後日談2 麦畑の女神(前編)
コンコン。
控えめにドアを叩く音で、俺は目を覚ました。
「ん……」
窓の外は、すっかり明るい。
少し寝坊したか。
昨日、俺たちは穀倉地帯の小さな町、ラトナへ到着した。
折しも町は収穫祭の真っ最中。
黄金色の小麦畑に囲まれたこの町は、エールの名産地でもある。
昨夜はアイリスはもちろん、普段はワインを好むオルフィナまで楽しそうに杯を重ねていた。
酒をほとんど飲まないリゼットも、
「リンゴジュースみたい」
などと言って、少しだけ口にしていた。
結局、四人で夜遅くまで祭りを楽しんだ。
寝坊も仕方ない。
コンコン。
再びノックの音。
「誰だ?」
「私よ」
アイリスの声だ。
「入ってくれ」
すると、ドアが少しだけ開いた。
その隙間から――。
アイリスとリゼットが、ひょこっと顔を出した。
「…………」
「…………」
なぜか入ってこない。
しかも二人とも、妙にもじもじしている。
「どうした?」
「あの……」
アイリスがためらいがちに尋ねる。
「オルフィナ、来てない?」
「オルフィナ?」
「ええ」
「来ていないが?」
「…………」
アイリスが明らかに安堵した。
「ほら」
リゼットがアイリスの脇腹をつつく。
「言ったでしょう? オルフィナが抜け駆けなんてするわけないって」
「分からないでしょ。ああいう、おとなしそうな子に限って――」
「…………」
ヒソヒソ話をしているつもりらしい。
全部聞こえている。
「何の話だ?」
「あっ」
「あっ」
二人が同時に俺を見る。
「それで、オルフィナがどうしたんだ?」
「…………」
二人が顔を見合わせる。
そして――。
「朝起きたら、オルフィナがいないの」
「なに!?」
◇
嫌な予感がする。
俺たちは急いで一階へ駆け下り、カウンターにいた宿屋の女将へ詰め寄った。
「俺たちの連れの神官を見なかったか?」
「ああ、あの綺麗な娘かい? 少し前に散歩へ行くって出ていったよ」
「「「散歩!?」」」
三人の声が重なった。
嫌な予感が的中した。
「女将さん、どれくらい前だ?」
「そうだねえ。一時間くらい前かねえ」
「まずいな」
「ええ。すぐ探しましょう」
「私、外を見てくる!」
「待て。まずは作戦会議だ!」
「…………」
女将が怪訝そうに俺たちを見る。
「たかが散歩で、何をそんなに慌ててるんだい?」
実にもっともな疑問である。
◇
宿の食堂。
俺たちは緊急の作戦会議を始めた。
「オルフィナは、すでに迷子になっていると考えて間違いない」
「そうね」
アイリスが真顔で頷く。
「この町はそれほど広くないけど、オルフィナなら隣町くらいまで行きかねないわ」
「効率よく探す必要があるわね」
「ああ。俺に案がある」
俺は紙の束と鉛筆を取り出した。
「何するの?」
「こうする」
紙に鉛筆を走らせる。
描くのは、胸から上のオルフィナ。
いつもの穏やかな微笑を浮かべた顔だ。
作品を描くわけではない。
本人だと分かればいい。
三分ほどで描き上げた。
「できた」
「…………」
「…………」
二人が似顔絵を覗き込む。
「そっくりじゃない」
「さすがねえ」
「これを持って、二人で手分けして聞き込みをしてくれ」
「分かったわ」
「これなら見た人がいるかもしれないわね」
「ああ。俺はもう何枚か描く」
「何枚か?」
「町中に貼る」
「ああ、なるほど」
「『この娘を見つけたら宿まで連れてきてほしい。報酬を出す』と書いておけば、町の人も探してくれるはずだ」
「いいじゃない」
「それでいきましょう」
◇
二人は、それぞれ似顔絵を手に宿を飛び出していった。
俺もすぐに次の一枚へ取りかかる。
一枚。
二枚。
三枚。
ひたすら描く。
一時間ほどで、二十枚ほど描き上げた。
「よし」
紙の束を抱え、俺も町へ出る。
ギルドの掲示板。
酒場の入口。
店の軒先。
人通りの多い場所を選んでは、オルフィナの似顔絵を貼っていく。
その下には、大きな文字で――。
『この女性を探しています』
これだけ貼れば、誰かが見つけてくれるだろう。
◇
すべて貼り終え、二人と合流しようと町を歩いていると。
通りの真ん中に、人だかりができていた。
なんだ?
嫌な予感がする。
「だから、誤解だって言ってるでしょ!」
リゼットの声だ。
「…………」
俺は慌てて人の輪をかき分けた。
そこには、頬を真っ赤にしたリゼット。
その向かいには、町の警備兵らしき年配の男が立っている。
「私が迷子じゃない! この人が迷子なの!」
リゼットがオルフィナの似顔絵を突きつける。
「はいはい。分かったからね」
警備兵が優しく頷く。
「お母さんとはぐれたんだね。おじさんたちが探してあげるから、まずは駐屯所へ行こうか」
「だから違うって言ってるでしょ!」
「リゼット!」
「ガルド!」
リゼットが俺を見つけるなり、駆け寄って腕にしがみついた。
「この人、全然話を聞いてくれないの! ガルドからも言ってやって!」
「うっ……」
警備兵が俺を見上げ、一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに安心したように笑った。
「なんだ。お父さんが来てくれたのか」
「…………」
「…………」
「お子さんを一人にしちゃ駄目ですよ」
「ああ。すまん」
「なんで謝るのよ!」
「お嬢ちゃん、よかったなあ」
「もう迷子になるんじゃないぞ」
野次馬たちも満足そうに去っていく。
「…………」
あとには、頬を膨らませたリゼットだけが残った。
「まったく……失礼しちゃうわ」
「まあ、落ち着け」
俺は近くの店でオレンジジュースを買ってやった。
「…………」
リゼットが無言で受け取る。
「うまいか?」
「…………うん」




