11 無能戦士、天才魔術師の盾になる
泣き止まないリゼットを前に、俺はしばらく頭を悩ませていた。
このまま山を下りるのが一番安全だ。
だが、本人にその気がない。
なら――。
「リゼット。こうしよう」
「……なによぉ」
「魔物が出たら、俺が前に出る」
「…………」
「大抵の魔物は、俺の風貌に恐れをなして逃げていく。さっきの鹿もそうだっただろう?」
「……本当?」
「ああ」
リゼットが涙の残る目で俺を見る。
「だから、お前は俺の後ろに隠れていればいい。そうすれば、魔物がお前を直接襲うことはない」
「うん……」
「そのまま逃げるまで待ってもいい。もし――」
俺は少し考えてから続けた。
「もし、攻撃できそうだと思ったら、そのときだけ魔法を撃ってみればいい」
「…………」
「無理なら撃たなくていい」
「……うん」
「それで、行けるところまで行ってみよう。どうしても無理なら、そのとき引き返せばいいだろう?」
俺はリゼットの頭をぽんぽんと撫でた。
「…………」
みるみるうちに、リゼットの表情が明るくなっていく。
「分かった。それでやってみる」
「ああ」
リゼットは立ち上がると、俺を上目遣いに見つめた。
「ガルド」
「ん?」
「……ありがとう」
にこりと微笑む。
「…………」
かわいらしい。
こんな表情もできるのか。
◇
夕暮れ時。
山道を進んでいると、水の流れる音が聞こえてきた。
「滝か?」
「行ってみましょう」
音のする方へ向かう。
木々の間を抜けると、小さな池が現れた。
対岸の崖から細い滝が流れ落ちている。
夕日を受けた水面は茜色に染まり、落ちてくる水しぶきがきらきらと輝いていた。
「……きれい」
リゼットがうっとりと呟いた。
「ああ」
俺もしばらく、その景色を眺めた。
野営にもよさそうだ。
俺たちは池から少し離れた場所に、ちょうどいい空き地を見つけた。
「今日はここにしよう」
「そうね」
背負っていた大量の荷物を下ろす。
「ふぅ……」
ようやく肩が軽くなった。
リゼットは焚き火に使う枝を集め始める。
そのときだった。
「ウゥゥゥ……」
「…………」
低い唸り声。
リゼットの動きが止まった。
ガサゴソ。
茂みから一頭の狼が姿を現した。
「ひっ……!」
だが、一頭ではない。
右の茂みから、もう一頭。
左からも。
さらに後ろにも。
「…………まずいな」
五匹。
いや、六匹か。
完全に囲まれていた。
「ひいぃぃ……」
背後からリゼットの悲鳴が聞こえる。
「大丈夫だ」
俺は大剣を抜いた。
近くの大木を背にし、その前にリゼット。
さらにその前に俺が立つ。
「俺の後ろにいろ」
「う、うん……」
狼たちは低い唸り声を上げながら、ゆっくりと俺たちの周囲を回り始めた。
「…………」
俺は一頭ずつ睨みつける。
「大丈夫だ、リゼット」
「…………」
「こいつらも、そのうち逃げていく」
「う、うん……」
そう言ったものの。
「…………」
逃げない。
狼たちは一定の距離を保ったまま、こちらを睨み続けている。
俺の風貌を警戒してはいる。
だが、逃げる様子もない。
腹を空かせているのだろう。
襲いたい。
だが、俺に襲いかかれば、自分たちも無傷では済まない。
そう考えているのかもしれない。
もちろん――。
実際には余裕で勝てると思う。
俺に。
「…………」
それに気づかれたら終わりだな。
そのとき。
「すー……はー……」
「…………」
「すー……はー……」
「リゼット。何をしている?」
「深呼吸……」
「そうか」
「すー……はー……。すー……はー……」
リゼットなりに、必死で気持ちを落ち着かせようとしているらしい。
しかし――。
「グルルルル……」
まずい。
狼たちの唸り声が強くなってきた。
このまま睨み合っていても、いずれ奴らは襲いかかってくるかもしれない。
そうなったら――。
俺が囮になるしかない。
リゼットだけでも逃がそう。
「…………」
そう覚悟を決めた、そのとき。
正面の狼が姿勢を低くした。
後ろ足に力を込める。
来る。
奴も覚悟を決めたらしい。
「…………」
怖くないと言えば嘘になる。
だが、背中にいるリゼットだけは守りたい。
その気持ちのほうが強かった。
ふと――。
子供のころ、野犬に襲われた時のことを思い出した。
「…アイリス」
正面の狼が地面を蹴ろうとした。
そのとき。
背後から、小さな声が聞こえた。
「……大丈夫。ガルドがいる。」
刹那。
「《火球》!」
ゴオッ!
灼熱の熱風が俺の身体のすぐ横を駆け抜けた。
次の瞬間――。
ドンッ!
今まさに飛びかかろうとしていた狼が、火球をまともに受けて後方へ吹き飛んだ。
「…………!」
残った狼たちが一斉にそちらを見る。
だが――。
「《火球》!」
ドンッ!
二匹目。
「《火球》!」
ドンッ!
三匹目。
立て続けに放たれた火球が、狼たちを正確に捉えた。
仲間が次々と倒されたのを見て、残った狼たちは完全に戦意を失ったらしい。
一頭が逃げ出す。
それに続いて、残りも散り散りになって森の奥へ消えていった。
静寂が戻った。
俺は大剣を下ろし、後ろを振り返る。
リゼットが杖を構えたまま立っていた。
頬を赤く上気させ、肩で大きく息をしている。
「やった……」
「ああ」
リゼットの顔がぱっと明るくなった。
「わたし、やったわ!」
「お、おう」
次の瞬間。
「ガルド!」
「うおっ!」
勢いよく飛びついてきた。
俺の腹の辺りに、リゼットがぎゅっと抱きつく。
「できた! わたし、ちゃんと撃てた!」
「ああ」
俺はその頭をぽんぽんと叩いてやった。
「上出来だ。さすが一級魔術師だ」
「…………」
少し間があって。
「あたりまえでしょう」
俺の腹に顔を埋めたまま、リゼットは静かに答えた。
「…………」
肩が、まだ少し震えていた。
◇
気を取り直した俺たちは、野営の準備に取りかかった。
リゼットは焚き火の準備を始める。
その間に俺は、倒れた三匹の狼を一頭ずつ担ぎ、野営地から十分ほど離れた森の奥まで運んだ。
戦うのは苦手だが、こういう力仕事なら得意だ。
戻ってくる頃には焚き火も出来上がっていた。
◇
俺たちは焚き火を囲み、携帯してきた食料で簡単な夕食を済ませた。
辺りはすっかり暗くなっている。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音。
少し離れたところからは、滝の流れる音が聞こえてくる。
「ねえ、ガルド」
「ん?」
リゼットが不安そうに森の暗闇へ目を向けた。
「あの狼たち……戻ってこないかしら?」
「大丈夫だ。あいつらも馬鹿じゃない。仲間を三匹もやられた場所には、そう簡単には戻ってこないさ」
「本当?」
「まあ、夜が明けるまで俺が見張っている。安心して寝てくれ」
「…………」
リゼットが俺を見る。
そして――。
「ありがとう、ガルド」
にこり。
また、あのかわいらしい表情で微笑んだ。
「…………」
どうも調子が狂う。
◇
夕食を終え、寝床を整える。
俺が焚き火に薪を足していると、リゼットが荷物の中から何かを取り出した。
白い粉が入った小さな袋だった。
「何だ、それ?」
「ちょっと待ってて」
リゼットは答えず、地面にしゃがみ込んだ。
そして白い粉を指先につまみ、地面に線を描き始める。
「…………」
円。
その中に、見たこともない文字や図形。
さらに複雑な紋様を書き足していく。
さすが魔術師というべきか。
手慣れたものだ。
しばらくすると、リゼットを中心に半径一メートルほどの魔法陣が完成した。
「できた」
満足そうに立ち上がる。
「何なんだ、それ?」
「獣避けの魔法陣よ」
「獣避け?」
「そう」
リゼットは魔法陣の中央に毛布を敷きながら説明する。
「獣や魔物がこの線を踏むと――」
人差し指をぴんと立てた。
「火柱が立つわ」
「…………」
「だから、ガルドも気をつけてね」
「俺も?」
「踏んだら火柱が立つから」
「そうか」
絶対に近づかないようにしよう。
リゼットは毛布に潜り込んだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
「あっ、ガルド」
「ん?」
毛布から顔だけ出して、こちらを見る。
「今日は本当にありがとう」
また、にこりと微笑んだ。
「…………ああ」
「おやすみ」
「ああ」
リゼットは目を閉じた。
俺は大剣を傍らに置き、木の幹に背中を預ける。
そして、リゼットをぐるりと囲む白い魔法陣を眺めた。
「…………」
なるほど。
俺も獣側というわけか。




