第五章 記憶管理局
吹き飛んだ鉄扉の向こうに、黒い軍服の男が立っていた。
年齢は五十前後。
白髪混じりの短髪。
感情の見えない目。
だがその視線だけで分かった。
この男は何人も殺してきた。
後方には武装兵。
銃口が一斉にこちらへ向く。
ユイが俺の前へ出た。
「下がって」
男は彼女を見る。
「真白ユイ。生存していたか」
「あなたたちの期待を裏切って悪かったわね」
男は反応しない。
機械みたいだった。
「D-0-17を返してもらう」
「人間を物みたいに呼ぶな」
俺が吐き捨てると、男は初めて僅かに表情を動かした。
憐れむような目だった。
「君はまだ理解していない」
男は静かに言う。
「君たちは失敗作ではない」
「……何?」
「人類を救った成功例だ」
男の名は橘総一郎。
記憶管理局・中央監査官。
五十年前の虐殺事件後、「社会安定化計画」を主導した人物の一人だった。
橘は語る。
虐殺事件のあと、都市は崩壊寸前だった。
憎悪。
復讐。
暴動。
人々は互いを殺し合った。
国家は気づいた。
暴力を止めるには法律では足りない。
人間そのものを変えるしかない。
だから記憶技術が使われた。
悲劇を忘れさせる。
怒りを消す。
憎しみを薄める。
その結果、社会は平和になった。
犯罪率は激減。
戦争も消えた。
貧困さえ減少した。
「人は苦しみを失えば穏やかになる」
橘は言う。
「それが証明された」
俺は反論できなかった。
確かに世界は平和だった。
少なくとも表面上は。
だがユイが低く呟く。
「その代わり、人間じゃなくなった」
橘は彼女を見た。
「違う」
初めて感情が滲む。
「ようやく人類は理性を手に入れたんだ」
橘は俺へ近づく。
兵士たちは銃を下ろさない。
「D-0-17」
「その番号で呼ぶな」
「君は特別だ」
橘は続ける。
「他人の記憶に共鳴できる唯一の個体」
それが何を意味するのか。
次の言葉で理解した。
「君は記憶改変を“解除”できる」
空気が止まった。
ユイの顔色が変わる。
橘は淡々と語る。
記憶改変には欠陥があった。
人間の深層意識には痕跡が残る。
完全には消せない。
だが蓮だけは違った。
彼は他人の記憶を深層レベルで再接続できる。
つまり。
封印された真実を取り戻せる。
だから管理局は俺を監視し続けていた。
もし俺が真実へ辿り着けば。
世界中の封印された記憶が連鎖的に蘇る可能性がある。
「君は鍵なんだ」
橘が言う。
「世界を壊す鍵だ」
ユイが叫ぶ。
「蓮、騙されないで!」
だが橘は静かだった。
「本当に世界を壊そうとしているのは誰だ?」
彼は端末を操作した。
空中モニターが開く。
そこには虐殺事件後の映像が映っていた。
焼けた街。
死体。
暴徒。
子供を殴り殺す群衆。
復讐処刑。
処刑。
処刑。
地獄だった。
「これが真実だ」
橘の声は低い。
「人間は記憶を持ち続ければ必ず憎しみを継承する」
映像が切り替わる。
現在の都市。
穏やかな人々。
笑顔。
静かな街。
「忘れたから平和になった」
俺は何も言えなかった。
正しい。
どちらも。
両方とも。
その夜。
橘は俺に選択を与えた。
管理局へ戻るか。
真実を暴くか。
もし真実を公開すれば。
世界中で封印記憶が蘇る。
人々は失われた憎悪を取り戻す。
戦争が始まるかもしれない。
社会は崩壊する。
だが隠蔽を続ければ。
人類は永遠に“幸福な家畜”として生きる。
ユイは言った。
「苦しみを消したら、人は人じゃなくなる」
橘は言った。
「苦しみを残せば、人類は滅ぶ」
そして二人とも、間違っていなかった。




