第四章 残響記憶
地下通路は迷路のようだった。
錆びた配管。
崩れた天井。
使われなくなった旧地下鉄網が、都市の下に蜘蛛の巣みたいに広がっている。
俺とユイは暗闇を走っていた。
背後では武装部隊の声が反響している。
「D-0-17を確保しろ!」
「損傷は許可する、生体優先!」
呼吸が乱れる。
肺が焼けるように熱い。
だが、それ以上に頭の中が混乱していた。
D-0-17。
連中はそう呼んでいた。
まるで名前じゃない。
管理番号だ。
「こっち!」
ユイが細い通路へ飛び込む。
俺も続いた。
直後、後方で爆音。
熱風が吹き抜ける。
爆薬まで使っている。
完全に殺す気だった。
通路の先には古い保守室があった。
鉄扉を閉める。
ユイが端末を接続すると、部屋全体にノイズ遮断フィールドが展開された。
青白い膜が空間を包む。
「これで少しは時間を稼げる」
彼女は壁に背を預けた。
肩で息をしている。
俺も床に座り込んだ。
沈黙。
遠くで微かにサイレンが鳴っている。
やがて俺は口を開いた。
「……なぜ俺を追う」
ユイは答えない。
「ただの被験者じゃないって言ったな」
「そう」
「何なんだ、俺は」
彼女はしばらく黙っていた。
迷っているようだった。
言うべきかどうか。
やがて小さく息を吐く。
「“共鳴体”」
聞き慣れない言葉だった。
「他人の記憶を、自分の脳で完全再生できる人間」
「鑑定士には珍しくない」
「違う」
ユイは首を振る。
「普通の鑑定士は映像として見るだけ。でもあなたは感情まで同期できる」
その瞬間、老人の記憶が脳裏をよぎった。
恐怖。
喪失。
絶望。
あまりにも鮮明だった感情。
「あれは副作用じゃない」
ユイは続ける。
「あなたは他人の記憶を“感染”みたいに受け取れる」
寒気がした。
感染。
その表現が妙にしっくりきた。
時々、自分の感情と他人の感情の境界が分からなくなることがあった。
記憶鑑定士にはよくある職業病だと思っていた。
だが違うのか。
「あの虐殺記憶を見てから、何か思い出してるでしょ」
俺は答えなかった。
だが図星だった。
知らない景色が断片的に頭へ流れ込んでくる。
血の臭い。
焼けた空。
泣き叫ぶ声。
そして。
白い部屋。
鉄格子。
幼い少女の手。
「……ユイ」
彼女が静かに目を伏せた。
「思い出した?」
その瞬間だった。
頭の奥で何かが弾けた。
フラッシュバック。
暗い部屋。
小さなベッド。
震えている子供たち。
その中に幼い俺がいる。
隣には少女。
黒髪。
細い身体。
泣いている。
『大丈夫?』
幼い俺が聞く。
少女は首を振る。
『また消されるの』
『何を?』
『お母さんのこと』
研究員の足音。
白い扉が開く。
少女が連れていかれる。
その直前。
彼女は振り返る。
『もし忘れても』
涙で濡れた顔。
『私を見つけて』
「っ……!」
激痛。
俺は床へ倒れ込んだ。
頭を抱える。
視界が歪む。
吐き気。
呼吸ができない。
ユイが駆け寄る。
「蓮!」
彼女の声。
だが遠い。
耳鳴りが酷い。
脳の奥で、消された記憶が無理やり浮上してくる。
そのとき。
保守室の壁が震えた。
低い衝撃音。
一回。
二回。
三回。
ユイの顔色が変わる。
「まずい……!」
衝撃。
鉄扉が歪む。
連中だ。
追いつかれた。
ユイは素早く端末を操作した。
壁面モニターが点灯する。
そこに映った男を見て、俺は息を呑んだ。
黒い軍服。
銀色の紋章。
そして。
男の顔。
俺はその人物を知っていた。
いや。
ありえない。
知っているはずがない。
なのに記憶が叫んでいた。
この男を知っている。
男はモニター越しにこちらを見る。
冷たい目だった。
そして静かに言った。
「久しぶりだな、D-0-17」
ユイが青ざめる。
男は続ける。
「迎えに来た」
次の瞬間。
鉄扉が内側へ吹き飛んだ。




