5.失われた名前
『ラッキースター号』の後部貨物扉が、空気を吸い込むような重苦しい密閉音を立てて完全に閉ざされた。
直後、船内の人工重力と環境維持装置がフル稼働し、シューッという空気の充填音が薄暗い貨物室に響き渡る。
「レイ! おい、レイ! 生きてるか!?」
気圧が安定するや否や、トビーは工具箱を蹴り飛ばす勢いで足場を駆け上がり、漆黒の機体『ヴォルフラム』の胸部へと飛び移った。
機体はすでに完全に沈黙しており、装甲の表面からは、戦闘で帯びた超高温の熱が白い蒸気となって立ち上っている。焦げた金属とプラズマの残留オゾンが入り混じった、ひどく刺激的な匂いが鼻を突いた。
トビーが震える手で外部からの強制解除レバーを引くと、プシューという排気音と共に、コックピットの重厚なハッチがゆっくりとスライドして開いた。
「嘘だろ……」
ハッチの奥を覗き込んだトビーは、血の気を失って絶句した。
コックピットの中は、死のような静寂に包まれていた。
パイロットシートに深く沈み込んだレイの体は、まるで糸の切れた操り人形のように力なく項垂れている。激しい戦闘の負荷によるものか、彼の鼻腔からは一筋の黒黒とした血が流れ落ち、顎を伝ってパイロットスーツの襟元を汚していた。
全身は異常なほどの脂汗に塗れ、その呼吸は浅く、不規則に引きつっている。
さらにトビーを戦慄させたのは、レイの首筋の光景だった。
シートから伸びた無数の極細端子が、まだレイの皮膚の裏側に突き刺さったまま、まるで生き物のように蠢いていたのだ。端子の接続部周辺の皮膚は赤黒く変色し、ひどい火傷を負ったように爛れている。
「トビー! 彼は無事なの!?」
遅れて貨物室に駆け込んできたセリアが、足場の下から悲痛な声で叫んだ。
「……っ、今すぐ引きずり出す! 手伝ってくれ!」
トビーはコックピットに半身を突っ込み、レイの首に突き刺さっている端子の基部を乱暴に引き抜いた。バチッという微弱な放電音と共に端子が外れると、レイの体がビクンと大きく跳ね、くぐもった呻き声を漏らす。
トビーはそのままレイの腕を肩に担ぎ上げ、シートから強引に引き剥がした。鍛え上げられた青年の肉体は、少年のトビーにとっては殺人的に重かった。
「ひ、ひぃっ……! 重てえ……!」
「私に貸して!」
足場までレイを引きずり降ろすと、セリアが咄嗟に彼の反対側の腕を自分の細い肩に回した。
レイの体温は、触れたセリアが思わず手を引っ込めそうになるほど、異常な高熱を発していた。濡れたスーツ越しに伝わるその熱は、人間の生命活動の限界を超えた、内燃機関の暴走にも似た恐ろしい熱だった。
二人がかりで足を引きずらせながら、なんとかキャビンの簡易ベッドまでレイを運び込む。
乱雑に毛布が積まれた粗末なベッドにレイを仰向けに寝かせると、スプリングが重々しい音を立てて軋んだ。
「ハァッ、ハァッ……。俺は、船を出す」
トビーは額の汗を手の甲で拭いながら、切羽詰まった声で言った。
「レイが敵部隊を全滅させてくれたおかげで、連邦の包囲網に一瞬だけ穴が空いた。今のうちに、ビーコンの信号が届かないデブリ帯の裏側まで全速力で逃げ込む。……レイの介抱は、頼んだぞ」
「わ、わかったわ。任せて」
セリアが力強く頷くのを見ると、トビーは踵を返し、操縦席へと駆け出していった。
数秒後、ラッキースター号のメインエンジンが爆音を上げ、強烈なGが船内を襲う。セリアは咄嗟にベッドのパイプにしがみつき、揺れが収まるのを待った。
船の軌道が安定し、キャビンに再び重々しい静寂が戻る。
非常灯の薄暗いオレンジ色の光の下。
セリアは、苦しげに荒い息を吐き続けるレイの顔を覗き込んだ。
いつもは氷のように冷たく、他者を拒絶する鋭い光を宿していた瞳は固く閉じられ、眉間には深い苦悶の皺が刻まれている。時折、「あ……」とも「う……」ともつかない、掠れた声が乾いた唇から漏れ出ていた。
(この人……たった一人で、あんな無茶をして……)
セリアの胸の奥が、締め付けられるように痛んだ。
彼は「自分の命を守るためだ」と冷酷に言い放っていた。だが、結果として彼は、圧倒的な数の軍隊を前に単騎で飛び出し、文字通り命を削ってセリアたちを守り抜いたのだ。
彼がどれほどの恐怖や痛みを抱えながらあの化け物のような機体を操っていたのか、温室育ちのセリアには想像することすら恐ろしかった。
「……とにかく、熱を下げないと」
セリアは洗面台から古びたプラスチックの洗面器を見つけ出し、ぬるい水を張って清潔そうな布切れを浸した。
ベッドに戻ると、彼女は震える指先で、レイの着ている厚手のパイロットスーツのファスナーに手をかけた。首元から胸元にかけて、ゆっくりとファスナーを引き下ろす。
そこで、セリアは息を呑んで動きを止めた。
あらわになったレイの胸から腹部にかけての肉体は、確かに無駄な脂肪のない、しなやかな筋肉に覆われていた。
しかし、その肌の表面は、およそ20代の若者が持つべきものではなかった。
無数の、凄惨な傷跡。
銃弾が貫通したであろう、丸く凹んだ火傷の痕。鋭利な刃物で肉を裂かれたような、斜めに走る巨大なケロイド。そして、最も異常だったのは、肋骨のラインや脊髄に沿って刻まれた、定規で引いたように真っ直ぐな「外科手術の痕」だった。
それは、通常の戦闘で負うような名誉の負傷ではない。
まるで、何度も肉体を解剖され、その度に機械の部品を組み込むかのように無理やり縫い合わされた、狂気的な生体実験の痕跡だった。
「ひどい……こんなの……」
セリアは思わず口元を両手で覆い、涙ぐんだ。
どれほどの苦痛を味わえば、人間の体にこれほどの傷が刻み込まれるのか。彼が日頃から見せていた「人間への無関心」や「徹底した冷酷さ」の裏には、これほどの地獄が隠されていたのだ。
そして、セリアの視線は、彼の右側の首筋から肩にかけての部分に釘付けになった。
爛れた神経端子の接続痕のすぐ下。
そこには、周囲の生々しい傷跡とは対照的な、無機質で冷たい青黒いインクで、ある『印』が彫り込まれていた。
太さの異なる縦線が並んだ、バーコードのような刺青。
その下には、小さく、しかしはっきりと文字が刻まれている。
【Project N / No.07】
「プロジェクト……ナンバーズ……?」
セリアはその文字を、掠れた声で読み上げた。
その瞬間、彼女の脳裏に、養父が命懸けで隠し持っていた『暗号データ』の断片がフラッシュバックした。
連邦軍内部に巣食う強硬派が、過去の大戦で極秘裏に進めていたとされる、非人道的な生体兵器開発計画。孤児や難民の子供を集め、脳神経に直接手を加えて闘争本能のみを肥大化させた、倫理を完全に無視した強化兵士の噂。
(まさか、そんな……。都市伝説じゃなかったの? じゃあ、この人は……)
「……っ!!」
不意に、レイの体が大きく跳ねた。
「きゃっ!?」
驚いて身をすくめたセリアの左腕を、レイの右手が一瞬にして弾き飛ばし、そのまま万力のような恐ろしい力で手首を掴み上げた。
「あ、痛っ……! レイ、離して!」
セリアは悲鳴を上げたが、レイの握力は異常だった。骨が軋むほどの力で手首を締め上げながら、レイは閉じた瞼の奥で、現実ではない何か別の幻影と戦っていた。
「……ちが……う……。俺は……」
レイの口から、うわ言が漏れ始める。
その声は、恐怖に震える子供のような響きと、殺意に満ちた獣のような唸り声が、不気味に混ざり合っていた。
「……やめろ……燃やすな……っ」
「レイ、目を覚まして! 私よ、セリアよ!」
「……おれは……」
レイの額から、滝のような汗が流れ落ちる。彼は手首を掴んだまま、セリアを自分の方へ引き寄せようと力を込めた。
「俺は……『兵器』じゃ……ない……ッ!」
苦悶に満ちた叫び。
そして、その直後だった。
レイの口から、無意識の底から絞り出されたような、ひどく冷たく、虚ろな言葉が紡がれた。
「……コード……『アザゼル』……」
セリアの全身の血が、一瞬にして凍りついた。
『アザゼル』。
それは、地球連邦の公式な歴史書には絶対に存在しない名前。
しかし、彼女が解読を進めていた暗号データの中に、連邦が過去に封印した「大量虐殺事件」の首謀者、あるいは最悪の実験体のコードネームとして、一度だけ記されていた忌まわしき単語だった。
「……レイ……あなた、本当に……?」
セリアは痛む手首を忘れ、目の前で苦しむ青年の顔を呆然と見下ろした。
彼がただの巻き込まれたジャンク屋ではないことは、すでに理解していた。だが、彼女が思っていた以上に、この男の存在そのものが、この世界の根幹を揺るがす恐ろしい『爆弾』であることを、セリアは魂の底から理解させられていた。
暗いキャビンの中、ラッキースター号は星屑の海を、ただ逃げるように進んでいく。
かつて世界を地獄に突き落とした亡霊の名前を呟きながら、レイは深い闇の中で、なおも終わらない悪夢に苛まれ続けていた。
「……メインスラスター、冷却開始。デブリ・シールド解除。……信じらんねえ。俺たち、本当に逃げ切ったのか……?」
ラッキースター号のコックピットで、トビーは震える両手から操縦桿を離し、深く、本当に深く息を吐き出した。
広角スクリーンに映し出されていた冷たい星の海は、今は巨大な人工建造物の鈍い輝きに遮られている。
中立コロニー群、通称『ターミナル』。
地球連邦とアウターズ、そのどちらの公的管轄にも属さない緩衝宙域に浮かぶこの巨大なステーションは、廃棄された複数の旧式コロニーを無理やり繋ぎ合わせて作られた、いびつなキメラのような外観をしていた。
周囲には、原色系の毒々しいネオンサインやホログラム広告が重力に逆らうように浮かび上がり、連邦の巡洋艦から海賊のオンボロ船まで、国籍も所属も不明な無数の宇宙船が、まるで光に群がる羽虫のように停泊している。
法と秩序の及ばない、宇宙の吹き溜まり。しかし今の彼らにとって、そこは唯一の安全地帯だった。
ガコンッ、という重々しい金属音と共に、ステーションの磁気ロックがラッキースター号の船体をがっちりと固定した。
その振動は、後部キャビンの簡易ベッドで横たわっていたレイの意識を、深い泥沼の底から引きずり上げた。
「……っ」
レイは微かな呻き声を上げ、重い瞼をこじ開けた。
視界のピントが合うまでに数秒を要する。非常灯の薄暗い光が、やけに網膜に刺さった。
全身の筋肉が、何千回と金槌で叩き潰されたかのように悲鳴を上げている。口の中はひどく乾き、鉄錆のような血の味がこびりついていた。
不意に、自分の額に冷たくて湿った布が乗せられていることに気づく。
首だけをわずかに動かすと、ベッドの傍らの床に座り込み、壁に背を預けたまま眠りに落ちているセリアの姿があった。
彼女の純白だったワンピースは、汗と油汚れですっかり灰色に変色している。疲れ果てたその寝顔には、数時間前までの気高さはなく、ただ過酷な現実に怯え、それでも必死に耐え抜こうとする年相応の少女の脆さが浮かんでいた。
レイは自分の胸元に視線を落とした。
パイロットスーツの厚手なファスナーが、胸のあたりまで引き下げられている。
(……見られたか)
レイは無表情のまま、ゆっくりと体を起こした。額に乗っていた布切れがバサリと床に落ちる。
彼は、己の右首筋に刻まれたバーコードの刺青を手のひらで無造作に隠しながら、もう片方の手でスーツのファスナーを一番上まで乱暴に引き上げた。
『アザゼル』。夢うつつの中で、自分が過去の忌まわしき名を口走ったことなど、レイは覚えていない。ただ、自分の体に刻まれた傷と印が、彼女にどれほどの恐怖と疑問を与えたかだけは、容易に想像がついた。
「……起き、たの……?」
かすかな衣擦れの音に気づいたのか、セリアが身じろぎをして薄く目を開けた。
彼女のエメラルドグリーンの瞳がレイを捉えた瞬間、その奥に明らかな「怯え」の色が走ったのを、レイは見逃さなかった。
数時間前までは、単なる得体の知れない用心棒に対する不信感だった。だが今の彼女の瞳にあるのは、得体の知れない『怪物』の封印を解いてしまったかもしれないという、根源的な恐怖だ。
「……船は、着いたのか」
レイは彼女の視線を無視し、あえて何事もなかったかのように低く乾いた声で尋ねた。
「え、ええ……。中立ステーションよ。トビーが、ここなら連邦の軍艦も手出しできないって……」
「そうか」
レイはよろめきながら立ち上がり、壁に掛けられていた愛用の防風コートを羽織った。
歩くたびに、全身の関節がバラバラに砕けそうなほどの痛みが走るが、顔には微塵も出さない。彼はそのまま無言でキャビンを後にし、エアロックへと向かった。
残されたセリアは、彼が去った後の冷たい空気を抱きしめるように、自身の両腕を強くさすった。
プシューッ、という排気音と共に、ラッキースター号のハッチがステーションの第7ドックへと開かれた。
途端に、圧倒的なまでの「生」の匂いと喧騒が、雪崩のように三人を飲み込んだ。
「うおぉぉっ! 着いたぜ、ターミナル!」
トビーが歓声を上げてタラップを駆け下りる。
ドックの向こうに広がるのは、無秩序に増築された何層にも重なる巨大なスラム街だった。
剥き出しの鉄骨の合間を縫うように、原色のネオン管が毒々しい光を放っている。様々な人種の怒号、安っぽい合成音楽の重低音、そして金属を加工するグラインダーの甲高い悲鳴。
空気は驚くほど淀んでおり、劣化した循環フィルターから漏れ出すオゾン臭に、香辛料のキツい匂いと、安価な合成肉の焼ける脂の匂いが入り混じっていた。
「ゴホッ、ゴホッ……! な、何ここ……空気が……」
後から降りてきたセリアが、顔を顰めてハンカチで口元を覆う。地球の清浄な空気や、上流階級の居住区しか知らない彼女にとって、このむせ返るような雑踏の悪臭は、ほとんど暴力に近いものだった。
「ここは中立地帯の底辺さ。連邦の指名手配犯も、アウターズの脱走兵も、金さえ払えば誰でも受け入れてくれる。俺たちにとっては最高の隠れ家だ」
トビーは慣れた様子で、ドックの管理人に無記名の電子チップを投げ渡し、停泊手続きを済ませた。
「まずはメシだ! 非常食のペーストはもうウンザリだぜ!」
トビーはそう叫ぶと、ドックに隣接する屋台街へと駆け出していった。
レイは、重い足取りでタラップを降りながら、コートの襟を立てた。
周囲には、武装した傭兵風の男たちや、怪しげな機械部品を売り歩く行商人、あばら骨の浮き出た子供たちがひしめき合っている。誰もが他人に無関心で、己の生存にのみ血眼になっている世界。
だが、その猥雑で泥臭い喧騒は、今のレイにとって、氷の海から引き上げられた後の毛布のように、奇妙な安堵感をもたらしていた。
(……ここでは、俺の頭の中にいる亡霊の声は聞こえない)
静寂は、レイに過去を強制する。漆黒の宇宙空間は、彼の脳内に眠る狂気を増幅させる鏡だった。
しかし、このステーションの圧倒的なノイズと悪臭は、レイの意識を「今、ここにある現実」へと強制的に繋ぎ止めてくれる。張り詰めていた神経の糸が、わずかに、ほんの数ミリだけ緩むのを感じた。
「ほらよ、お嬢様! ここの特製『謎肉串』だ! 何の肉かは絶対聞いちゃダメだぜ!」
屋台から戻ってきたトビーが、湯気を立てる黒焦げの串焼きをセリアの顔の前に突き出した。
強烈なスパイスと脂の匂いに、セリアは一瞬ウッと顔を背けた。
「そ、そんな不衛生なもの、食べられるわけ……」
「食べなきゃ死ぬぜ? ここから地球までは、まだ長いんだ。カロリー入れとかないと、次の戦闘で気絶するぞ」
トビーの屈託のない笑顔と、その奥にあるシビアな現実。
セリアはためらいながらも、ギュッと目を瞑り、その串焼きに思い切って齧り付いた。
「……っ!?」
口の中に広がるのは、ゴムのような食感と、舌が痺れるほどの塩気と辛味。とても人間が食べるものとは思えなかったが、空っぽだった胃袋が、その強烈な熱量に歓喜して収縮するのがわかった。
彼女は涙目になりながらも、無言で二口目、三口目と肉を咀嚼した。生きるためだ。綺麗事を言っている余裕は、今の彼女には一切なかった。
「レイ、お前も食えよ。死にそうな顔してるぜ」
トビーがもう一本の串をレイに差し出す。
レイは無言でそれを受け取ると、壁に背を預けたまま、機械的に肉を口に運んだ。
味などどうでもよかった。ただ、胃に物を落とし込み、肉体の欠損を補うための作業。
それでも、目の前で不器用に串焼きと格闘するセリアの姿と、口の周りをタレだらけにしているトビーの顔を見ていると、凍りついていたレイの胸の奥に、ほんの微かな、名前のつかない温もりが灯るのを感じた。
(俺は、まだ人間でいられるのだろうか)
レイは自問した。あの宇宙空間で、自分は間違いなく『殺戮の快楽』に溺れていた。人間の命を奪うことを、ただの作業工程として処理する冷酷な化け物。
だが今、こうして油まみれの串焼きを噛み締めている自分は、確かに「生きている」と感じている。
一時の、偽りの平穏。
彼らは知らなかった。この星屑の吹き溜まりにすら、すでに過去の因縁が、音もなく忍び寄っていることを。
喧騒に包まれたステーションの屋台街。
その上層。何本もの太いパイプとケーブルが入り組んだ、人気のない薄暗いキャットウォーク(点検通路)。
そこから、はるか下層で串焼きを頬張るレイたちの姿を、静かに見下ろしている一つの影があった。
点滅するネオンの光が、その影の輪郭を断続的に闇から浮かび上がらせる。
長身を包む、上質な漆黒の軍服。
そして、闇の中でも妖しく光を放つ、長く美しい銀色の髪。
男は、キャットウォークの手すりに気怠げに両腕を乗せ、下層の雑踏の中で目立たないように身を潜めているレイの姿を、蛇が獲物を舐め回すようなねっとりとした視線で捉えていた。
「……随分と、みすぼらしいツラになったじゃないか。なぁ」
男の薄い唇が三日月のように歪み、そこから、狂気と歓喜が入り混じった、甘く冷たい吐息が漏れた。
あのフラッシュバックの中で、地獄の業火を背にして笑っていた男と、寸分違わぬその顔。
アウターズのカリスマ的指導者であり、レイと同じ地獄の実験室を生き抜いた存在。
「……会いたかったぜ。俺の可愛い弟」
男――カイン・レイスの銀色の瞳が、ステーションの毒々しいネオンの光を反射して、残酷な色にギラリと輝いた。
猟犬たちの追跡を振り切ったはずの彼らの背後に、それよりも遥かに恐ろしい『亡霊』が、すでに冷たい刃を突き立てていた。




