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鋼鉄の亡霊は星に問う  作者: guil727


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2.交わらない思惑

鈍い痛みが、こめかみの奥で警鐘のように鳴り響いていた。


レイは、全天周モニターの明かりが落ちた薄暗いコックピットの中で、荒くなった呼吸を静めようと必死に酸素を吸い込んだ。喉の奥に、鉄錆と血の混じったような嫌な味が広がる。

脳裏に焼き付いた「銀髪の男」の哄笑。それは幻聴などではなく、レイ自身の奥底に封じ込められていた記憶の破片が、漆黒の機体『ヴォルフラム』との接続によって強制的に引き剥がされた結果だった。


(……考えんな。俺には関係のないことだ)


レイは首を振り、無理やり思考のスイッチを切った。過去がどうであれ、今の自分はコロニーの最下層で日銭を稼ぐジャンク屋に過ぎない。これ以上の深入りは、致命的な結果を招く。

コンソールのメインスイッチを叩き切ると、重厚な駆動音と共にコックピットのハッチがスライドして開いた。


途端に、焦げたゴムと硝煙の悪臭が熱風に乗って流れ込んでくる。

レイは這い出るようにしてハッチから身を乗り出し、ヴォルフラムの装甲を伝って地上へと降り立った。足元には、数分前まで彼の雇い主の事務所だった瓦礫が散乱し、まだあちこちで赤い炎がチロチロと舐めるように燃えている。


「……降りてきたのね」


背後から声がした。振り返ると、先ほどの少女――セリア・アークライトが、警戒を解かないまま数歩の距離を保って立っていた。

近くで見ると、彼女が着ている防弾ジャケットの下は、上質な仕立ての純白のワンピースだった。煤や泥で汚れ、裾は破れているが、コロニーの最下層にはおよそ似つかわしくない気品が漂っている。手入れの行き届いた亜麻色の髪と、理知的なエメラルドグリーンの瞳。彼女が「連邦の人間」であることは、その立ち振る舞いだけで十分に証明されていた。


「ここから一番近い民間港は、第4ブロックにある。あんたが持ってるその高そうなIDカードをかざせば、連邦軍の保護を受けられるはずだ。さっさと行け」


レイは足元の瓦礫から、奇跡的に無事だった自分の工具袋を拾い上げながら、抑揚のない声で言い放った。


「待って。あなたに頼みがあるの」

「断る」

「まだ何も言っていないわ!」

「聞く必要がない。軍の最高機密を積んだ船が落ちてきて、お嬢様が生き残った。追ってきたのはアウターズの強襲部隊。どうせ、『極秘データを連邦の特務機関まで届けてくれ』とか、そういうお決まりの依頼だろ。興味ないね。他を当たってくれ」


図星を突かれたのか、セリアはわずかに息を呑んだ。しかし、すぐに気丈な表情を取り繕い、レイの背中を追う。


「あなたが何者かは聞かない。でも、あの『ヴォルフラム』を動かせる人間は、連邦軍の正規テストパイロットにもいなかった。あなたなら、私を地球の特務機関本部まで護衛できるはずよ」

「だから、断るって言ってるんだ。俺の仕事じゃない」

「報酬なら払うわ! 連邦政府の特別口座から、あなたが一生遊んで暮らせるだけの額を……」

「命があっての金だろ。俺は割に合わない仕事はしない主義なんだよ」


レイは立ち止まり、冷たい視線でセリアを見下ろした。

彼女の瞳には、必死の懇願と、自分を拒絶する人間に対する戸惑いが入り交じっていた。おそらく、これまでの彼女の人生において、金や権威、あるいは「大義」を振りかざして動かなかった人間はいなかったのだろう。


「連邦だのアウターズだの、正義だの平和だの……そんなもんは、日の当たる上層階の連中がやってればいい。俺には、今日食う飯と、明日の寝床のほうが重要なんだよ。あんたの抱えてる爆弾に付き合う義理はない」

「……見損なったわ」


セリアは、怒りとも悲しみともつかない声で唇を震わせた。

「圧倒的な力を持っていながら、自分だけの安全な場所に逃げ込むのね。あなたのような人間が一番卑怯よ。……いいわ、一人で行く。あの機体は、私がここで自爆処理させる。敵に渡すわけにはいかないから」


セリアは懐から小型の端末を取り出し、何らかのコマンドを入力し始めた。

レイは小さくため息をつき、踵を返そうとした。彼女が一人でどうなろうと知ったことではない。機体が自爆すれば、自分とあの忌まわしい記憶との繋がりも永遠に消え去る。それでいいはずだった。


――だが。


レイの長年培ってきた「死線」の勘が、背筋に氷を当てられたような悪寒を伝えた。

風の音が、消えた。

炎が爆ぜる音も、コロニーの環境維持装置が発する低周波のハムノイズも、すべてが分厚い膜に覆われたように遠ざかる。


「……伏せろッ!!」


思考するよりも早く、レイは工具袋を放り出し、セリアに向かって飛び込んでいた。

「きゃあっ!?」

セリアの細い体を抱え込み、熱い鉄板が転がる地面へと無造作に転がる。


直後、セリアが数秒前まで立っていた空間を、音のない閃光が薙ぎ払った。

高出力の狙撃用ビーム。瓦礫の山がバターのように溶け落ち、遅れて大気が急激に膨張する破裂音がスクラップ場に轟いた。


「な、何……!? アウターズの増援!?」

地面に押し付けられたセリアが、パニックを起こして叫ぶ。


「違う、黙ってろ!」

レイはセリアの頭を押さえつけたまま、鋭い視線を周囲の暗がりへと走らせた。

先ほどのアウターズの機体『ゲイザル』が使っていたのは、実弾のマシンガンとミサイルだ。だが、今の光学兵器は違う。より洗練され、隠密性に特化した高エネルギーの狙撃。


コロニーの上層、ひしゃげた鉄骨の影。

そこから、光学迷彩を解除しながら、音もなく四つの人影が舞い降りてきた。


彼らはモビルスーツではない。人間サイズの、しかし全身をマットブラックの強化外骨格エクソスケルトンで覆った特殊歩兵だった。顔面を覆うバイザーには、不気味な赤いセンサーだけが単眼のように光っている。

手には、対人用の高出力レーザーライフル。その銃口は、レイではなく、レイの腕の中にいるセリアを正確にロックオンしていた。


「……あれは、連邦の特殊作戦群ブラックオプス……?」

セリアの顔から、一瞬にして血の気が引いた。彼女の唇が、震えながらその名を紡ぐ。

「どうして……? 彼らは味方のはずよ! 私の護衛部隊の生き残りじゃ……」


「馬鹿か、お前は。あれが味方の撃ち方に見えるかよ」

レイは舌打ちをし、腰のホルスターから愛用の大型ハンドガンを抜き放った。

「あんたの持ってる『お荷物』は、どうやらアウターズだけじゃなく、あんたの身内からも命を狙われるほど、厄介な代物らしいな」


特殊部隊の一人が、ハンドシグナルで合図を送る。

赤いセンサーが冷酷に瞬き、四本の銃口が一斉に眩い光を収束させ始めた。

交渉の余地など一切ない。彼らの目的は純粋な「消去」だった。交わらない思惑の狭間で、レイは再び死線のど真ん中へと引きずり込まれていた。

空気が沸騰するような甲高い破裂音が、鼓膜を容赦なく劈いた。


特殊部隊ブラックオプスの放った四条のレーザーが、レイとセリアが伏せていた数ミリ上の空間を薙ぎ払う。背後に積まれていた分厚い装甲板が、まるで飴細工のようにドロドロに溶け落ち、オレンジ色の火の粉を撒き散らした。

超高温の熱波が頭上を通り過ぎる。髪の毛がチリチリと焦げる嫌な臭いが、鼻腔を突いた。


「走れッ!」


レイはセリアの細い腕を強引に掴み、強烈な力で引きずり起こした。

休む間などない。レイは自身の愛銃――大口径のマグナム弾を撃ち出す旧式のオートマチック――を構え、迷うことなく引き金を三度引いた。

銃口から火を噴く鉛弾は、強化外骨格に身を包んだ兵士たちに向けられたものではない。彼らの頭上に張り巡らされた、コロニーの旧式な冷却パイプのバルブだ。


ガキンッ、という重い金属音が響いた直後。

破壊されたパイプから、超低温の冷却ガスが凄まじい勢いで噴出した。純白の濃厚な霧が、一瞬にして周囲の視界を真っ白に染め上げる。レーザーの赤い射線がガスの中で乱反射し、暗殺者たちのセンサーを一時的に無効化した。


「こっちだ、止まるな!」

「あ、あっ……!」


セリアは悲鳴のような息を漏らしながら、レイに手を引かれるがままに駆け出した。

スクラップ場の裏手、廃棄された地下搬入路。光の届かないそこは、コロニーの重力発生装置が発する低周波の振動が常に響き、油とカビ、そして淀んだ水の匂いが鼻をつく不衛生な迷宮だった。

足元には錆びた鉄骨や正体不明のケーブルが蛇のように這い回り、少しでも気を抜けば足を取られて転倒する。セリアの履いていた上質な革靴はとうに傷だらけになり、純白のワンピースは油泥と煤で見る影もなく汚れていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


肺が焼け付くように痛い。喉の奥から血の味がする。温室育ちのセリアにとって、この薄暗い奈落を全力で走ることは、肉体の限界をとうに超えていた。足がもつれ、何度も転びそうになる。

だが、レイの握る手は万力のように力強く、彼女が倒れることを許さなかった。


(どうして……私、どうして味方に殺されかけているの……?)


混乱と恐怖が、セリアの心をどす黒く塗り潰していく。

特務機関へ機密データを届ける。それは、彼女の養父が命懸けで守り抜いた最後の希望だったはずだ。連邦軍の中枢に巣食う腐敗を正すための、絶対的な正義。それなのに、連邦の特殊部隊が自分に銃を向けている。

正義の拠り所を失った絶望が、涙となって彼女の瞳から溢れ落ちそうになった。


「……っ、もう、無理……!」


ついに膝の力が抜け、セリアはその場に崩れ落ちそうになった。

レイは舌打ちをし、強引に彼女の身体を引き寄せると、搬入路の壁面に口を開けていたダクトの影へと身を隠した。


冷たいコンクリートの壁に背を預け、二人は息を潜める。

数メートル先の通路を、強化外骨格の重々しい駆動音が通り過ぎていく。ウィィン、ガシャン。機械的な足音が、死神の秒針のようにセリアの心臓を叩いた。


暗がりの中、レイの顔がすぐ近くにあった。

彼の呼吸は、あれほど激しく走ったにもかかわらず、驚くほど乱れていなかった。額にわずかな汗を浮かべているだけで、その冷徹な瞳は感情の波を一切見せず、ただ暗闇の奥の敵の気配だけを淡々と探っている。

その異常なまでの冷静さが、セリアには逆に恐ろしかった。


「……どうして」

駆動音が遠ざかったのを確認し、セリアは震える声で絞り出した。

「どうして、助けてくれたの……? 護衛は、断ったはずじゃない……」


私を守ってくれる気になったのか。そんな淡い期待が、彼女の言葉の裏にはあった。

だが、レイは眼差しを微塵も柔らかくすることなく、冷たい声で吐き捨てた。


「勘違いするな。お前を守るためじゃない」

「え……?」

「あいつらは連邦の非正規部隊ブラックオプスだ。お前という標的と一緒にいた俺の顔を見た以上、口封じのために必ず殺しにくる。俺は俺の命を守るために、結果的にお前を引っ張って逃げただけだ。お前は、俺の逃亡の邪魔になるからな」


刃物のように鋭く、一切の温もりを含まない言葉。

セリアは息を呑み、力なく俯いた。当然だ。彼からすれば、自分は平穏な日常を壊した疫病神に過ぎない。誰かが無条件で自分を助けてくれると思い込んでいた己の甘さが、ひどく恥ずかしく、そして惨めだった。


「歩けるか。追っ手が包囲網を敷く前に、ここを抜ける」


レイはそれ以上の同情を見せることなく、銃を構えたまま再び歩き出した。

セリアは唇を強く噛み締め、痛む足に鞭打って立ち上がると、無言で彼の広い背中を追った。もう泣き言は言わない。生き延びて、この理不尽な真実を暴くまでは、絶対に死ねないのだから。


地下搬入路をさらに深く潜り抜け、二人は第4ブロックの最下層にある、廃棄された旧港湾施設へと辿り着いた。

かつてはコロニー建設のための資材が運び込まれていた巨大な空間だが、今は薄汚れた海水が溜まるドックに、スクラップ同然の宇宙艇がいくつか放置されているだけの吹き抜けの廃墟だ。

湿った海風の匂いと、重油の臭いが入り混じった空気が漂っている。


「ここなら、まだ軍の封鎖は及んでいないはずだ。使える船を探す」


レイが周囲に視線を走らせた、その時だった。


ガタンッ!


ドックの隅に積まれた木箱の陰から、不意に物音が響いた。

「誰だ!」

レイは反射的に銃口を向け、撃鉄を起こす。冷たい殺気が空間を支配した。


「わ、わわっ! 待って、撃たないで! 俺だよ、レイ!」


両手を高く上げ、油まみれの布切れを振り回しながら飛び出してきたのは、小柄な少年だった。

ダボダボの作業ツナギに、頭には大きすぎる溶接用ゴーグル。顔も手も機械油で真っ黒に汚れているが、その瞳だけは状況に似合わずキラキラと人懐っこい光を放っている。


「……トビーか」

レイはわずかに目を細め、銃口を下げた。


「驚かさないでよ! 外でドンパチやってる音が聞こえたと思ったら、レイが女の人連れてこんな所に転がり込んでくるなんてさ」

少年――トビー・マクスウェルは、安堵の息を吐きながら二人に近づいてきた。彼はこの第4ブロックを縄張りにしている、16歳のジャンク屋兼、天才的なメカニックだ。


「事情を話す暇はない。軍に追われている」

レイは周囲を警戒しながら、単刀直入に切り出した。

「ここからコロニーの外に出られる船はないか。なるべく足が速くて、目立たない奴だ」


その言葉に、トビーの顔にニヤリとした、悪戯っ子のような笑みが浮かんだ。

「へへっ、誰にモノを頼んでると思ってんのさ。俺をただのガキ扱いしてると痛い目見るぜ」


トビーは得意げに鼻をこすり、背後にあった巨大な防水タープのロープを引き解いた。

バサァッ、と重い布が滑り落ちる。

そこに隠されていたのは、全長三十メートルほどの、黒ずんだ流線型の船体だった。表面の塗装は剥げ落ち、あちこちに不格好なパッチワークの修理跡があるが、スラスターのノズルだけは不気味なほど巨大で、最新のものが換装されている。


「廃品を継ぎ接ぎして作った、俺の特製密輸船『ラッキースター号』だ。装甲は紙装甲だけど、推力だけなら軍の巡洋艦だって振り切れるぜ。……で、乗せてってほしいなら、当然、相応のチップは弾んでくれるんだよね?」


交渉を持ちかけるトビーの言葉に、レイは答えず、ただ暗い瞳でそのオンボロ船を見上げた。

選択肢はない。背後からは、確実に死の足音が近づいている。


「乗せろ」レイは短く言った。

そして、後ろで立ち尽くすセリアを振り返り、顎でしゃくった。

「行くぞ。あんたの命の代償は、あとで高くつくと思え」

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