1.灰燼の遭遇
人工の風は、いつも油と錆の匂いが混じっている。
コロニー『ラザルス』の最下層に位置するスクラップ場は、文字通り文明の墓場だった。天を仰げば、遥か数キロメートル上空に、湾曲した大地の裏側が張り付いている。そこには整然とした都市の明かりが明滅しているが、この地表には、へし折れたモビルスーツの四肢や、役目を終えた宇宙艇の装甲板が、まるで巨大な獣の骨のように幾重にも積み重なっているだけだ。
ジリジリと皮膚を焼くのは、中央シャフトから放射される擬似太陽光。その光を浴びながら、レイ・ヴァンガードは錆びついたハッチのボルトを締め直していた。
「……チッ、また噛み合わねえ」
煤で汚れた前髪を無造作に払いのけ、レイは手にした重いレンチを地面に放り投げた。乾いた金属音が、静まり返ったスクラップ場に寂しく響く。
彼の瞳は、その場にあるすべてのものに対して徹底的に冷めていた。20代半ばほどの締まった肉体を持ちながら、その佇まいには、若者らしい覇気も、未来への展望も一切見当たらない。ただ、今日という日をやり過ごし、明日という日を消化する。そのための「作業」がここにあるだけだった。
「おい、レイ! サボってんじゃねえぞ!」
背後から、スピーカー越しにひび割れた声が響いた。このスクラップ場の雇い主であり、レイに多額の「身元保証金」という名の借金を背負わせている老人、ガロの声だ。
レイは振り返りもせず、携帯端末の通信スイッチを親指で弾いた。
「サボっちゃいない。工具の精度が悪すぎるだけだ。いい加減、新しいのを仕入れてくれ」
『ぬかせ! お前がまともに働けば、来月には新しい油圧カッターぐらいは買えるんだ。アウターズの連中が小競り合いを始めてから、まともなジャンクが入ってこねえ。もっと使えそうなパーツを拾ってこい!』
「興味ないね、そんなこと。俺の仕事は、ここに持ち込まれた鉄クズを分別することだ。外の戦争なんて、割に合わない」
通信を一方的に切ると、レイは深くため息をついた。
戦争。地球連邦と、宇宙移民たちの独立連合『アウターズ』。両者の間で囁かれる冷戦の再燃など、この地の底に生きるレイにとっては、雲の上の出来事でしかなかった。どちらが勝とうが、どちらが正義だろうが、明日のパンの値段が変わるわけではない。関わるだけ時間の無駄だ。
その時だった。
大気が、不自然に震えた。
コロニーの人工隔壁を伝って、重低音の地鳴りが足元から駆け上がってくる。スクラップの山が不気味に揺れ、崩れ落ちた鉄板が甲高い悲鳴を上げた。
「……なんだ?」
レイは目を細め、湾曲するコロニーの上空――擬似太陽光が鈍く光る中央シャフトの付近を見上げた。
そこには、青い空のホログラムを切り裂くようにして、一筋の黒煙が立ち上っていた。煙の先にあるのは、巨大な質量。連邦軍の識別信号を発しているであろう、全長数百メートルに及ぶ強襲輸送艦だった。その船体はあちこちから火を噴き、制御を完全に失った猛禽のように、螺旋を描きながら落下してくる。
墜落コースは、このスクラップ場。
「おいおい……冗談だろ」
レイは呟くが、その声に焦りはなかった。身体が勝手に動いていた。無駄のない動きで足元の工具袋を掴むと、スクラップの隙間に作られた、分厚いチタン合金製の防空シェルターへと滑り込む。
数秒の後、世界が反転した。
凄まじい衝撃波がシェルターの隔壁を叩き、金属が軋む凄まじい音が耳条を蹂躙する。爆風によって数トンの鉄クズが木の葉のように舞い散り、シェルターの内部にまで熱風が侵入してきた。激しい振動の中、レイはただ壁に背を預け、嵐が過ぎ去るのを待っていた。心拍数すら、それほど上がっていない。彼にとって、死や破壊は恐怖の対象ではなく、ただの「現象」に過ぎなかった。
やがて、長い衝撃が収まり、コロニーの自動消火システムが作動するプシューという音が響き始める。
シェルターのハッチを押し開けると、そこは地獄の様相を呈していた。
積み上げられていたスクラップは均され、中央には、激しく炎上する連邦軍の輸送艦が文字通り「突き刺さって」いた。周囲にはちぎれた電子回路の臭いと、焼けた肉の匂いが立ち込めている。
「ガロの爺さんは……まあ、死んだな」
雇い主の事務所があった方向は、輸送艦の主砲塔に完全に押し潰されていた。悲しいという感情は湧かなかった。ただ、「これで借金は帳消しか」というドライな思考が頭をよぎる。
レイは、荷物をまとめてこの場を立ち去ろうとした。これ以上ここにいれば、墜落原因を作った『アウターズ』の追撃部隊か、あるいは口封じを目論む連邦軍の憲兵がやってくる。厄介事に巻き込まれるのは御免だ。割に合わない。
しかし、歩き出そうとした彼の足が、不自然に止まった。
墜落した輸送艦の側面、激しく裂けた装甲の隙間から、何かが「見えて」いた。
それは、通常の軍用モビルスーツとは明らかに一線を画す、異質な存在だった。
コンテナの残骸から露出していたのは、巨大な人型の機動兵器。その全身は、光を一切反射しない、底なしの深淵を思わせる漆黒の装甲で覆われている。鋭利なシルエット、狼の顎を模したかのような頭部バイザー。
「……モビルスーツ?」
なぜか、その機体から目が離せなかった。胸の奥が、締め付けられるように熱い。激しい頭痛が頭頭を突き刺し、レイは思わずこめかみを押さえた。
脳裏に、見たこともないはずの映像が明滅する。赤く燃え盛る炎、崩壊する宇宙都市、そして、自分を見下ろす銀色の髪の男――。
「くそっ、またこれか……」
レイは毒づき、頭振って思考を振り払った。ただの立ちくらみだ、そう自分に言い聞かせる。
だが、事態は彼の逃亡を許さなかった。
上空から、特有の金属的な駆動音が近づいてくる。コロニーの損壊した隔壁の穴から、アウターズの量産型機動兵器『ゲイザル』が3機、滑り込んできたのが見えた。彼らの目的は、この墜落艦の生存者の抹殺、あるいは積載物の回収だろう。
ゲイザルの一機が、地上にいるレイの姿を捉えた。モノアイが不気味に発光し、その巨大なマシンガンの銃口が、容赦なくレイへと向けられる。
「チッ……!」
逃げ場はない。生身でモビルスーツの機銃掃射を浴びれば、一瞬で肉片に変わる。
生き残るためのルートは、頭脳が計算するよりも早く、肉体が導き出していた。レイは地面を蹴り、スクラップの破片を足場にしながら、弾雨の中を跳んだ。目指すのは、あのコンテナから露出した漆黒の機体、その足元だ。
銃弾が背後でスクラップを粉砕し、火花が夜を徹するように弾ける。
レイは決死の跳躍で、漆黒の機体の脚部から露出していた、緊急用ワイヤーのトリガーを引いた。巻き上げられるワイヤーに引かれ、一気に上部のコックピットハッチへと身体を滑り込ませる。
滑り込んだコックピットの内部は、驚くほど静寂に包まれていた。
外部の爆音は遮断され、暗闇の中で、微かな電子音だけが鳴っている。全天周モニターは起動しておらず、シートに深く腰掛けたレイは、手探りで起動レバーを探した。
通常、最新鋭の軍用機には、厳重なIDロックや虹彩認証、あるいは生体サンプルの登録が必要なはずだ。民間人のジャンク屋が動かせるはずもない。
だが、レイが操縦桿に両手を触れた、その瞬間だった。
『――網膜パターン照合。神経波形、一致。システム・ヴォルフラム、覚醒』
冷徹な女性のシステム音声が、コックピット内に響き渡る。
それと同時に、シートから無数の細い端子が伸び、レイのパイロットスーツ越しに首筋へと突き刺さった。
「が、あぁっ……!?」
激しい電流が脳を駆け巡るような衝撃。だが、それは苦痛ではなかった。
レイの視界が、爆発的に広がる。全天周モニターが鮮烈な光を放ち、周囲のスクラップ場の景色が、まるで自分の肉体の延長であるかのように、リアルな三次元情報として脳内に流れ込んできた。
モニターの中央に、赤い文字で警告が点滅する。
【REGISTERED PILOT : RAY VANGUARD】(登録パイロット:レイ・ヴァンガード)
初見のはずの、連邦の最高機密であるはずの新型機。それが、なぜ自分の名前を知っているのか。なぜ、自分の神経と完璧に同調しているのか。
「俺の名前……? なぜ、お前が……」
レイの困惑を置き去りにしたまま、漆黒の狼『ヴォルフラム』のツインアイが、狂気的な輝きを放って起動した。
首筋に突き刺さった無数の極細端子から、膨大なデータがレイの脳髄へと直接流れ込んでくる。
それは暴力的なまでの情報の奔流だった。機体の関節駆動にかかるトルク、ジェネレーターの熱量、周囲三キロメートル圏内の風速と大気中の塵の密度。本来なら人間の処理能力を優に超えるそれらの数値が、なぜかレイの意識の中で「感覚」として完璧に最適化されていく。
操縦桿を握る両手とペダルを踏む両足が、漆黒の機体『ヴォルフラム』の四肢と溶け合うような錯覚。
いや、錯覚ではない。思考するよりも早く、機体がレイの意思を先読みして脈動しているのだ。
「――っ!」
全天周モニターの視界の端で、三機のアウターズ製量産機『ゲイザル』が、瓦礫の中から立ち上がった漆黒の異形に気づき、巨大なマシンガンの銃口を一斉に向けた。
閃光。次いで、空気を切り裂く轟音。
120ミリの徹甲弾が、豪雨のようにレイのコックピットをめがけて放たれる。
通常のパイロットであれば、恐怖に身を竦ませるか、無謀な回避行動をとって被弾する場面だ。しかし、レイの心は奇妙なほどに静まり返っていた。迫り来る無数の弾道が、モニター越しに予測線として可視化される。それはまるで、止まっているかのように遅く見えた。
「……右、か」
乾いた声で呟くと同時、レイの肉体が無意識に反応した。
操縦桿をわずかに傾け、ペダルを蹴り込む。ヴォルフラムは足元のスクラップを粉砕しながら、物理法則を無視したかのような鋭いサイドステップを踏んだ。
分厚い装甲を持つ巨大な機動兵器とは思えない、獣のような跳躍。降り注ぐ徹甲弾の雨は、すべて漆黒の機体がコンマ数秒前までいた空間の残像を撃ち抜くだけに終わる。
『なっ……!? なんだあの機体は! 連邦の新型か!?』
ゲイザルのパイロットが発したであろう狼狽の通信波を、ヴォルフラムのセンサーが傍受し、冷酷にテキスト化してモニターの隅に表示する。
レイはそれに答えることなく、ただ眼前の「標的」だけを見据えていた。
どうやって戦えばいいのか、武器はどこにあるのか。そんな疑問を抱く猶予すらなかったはずだ。だが、レイの右手指は流れるような動作でコンソールを叩き、機体の両腕部に格納された武装のロックを解除していた。
両腕の装甲がスライドし、青白いプラズマを帯びた高周波ブレードが、獣の爪のように展開される。
「興味ないね。どこの誰だか知らないが――俺の邪魔をするな」
スラスターが青白い炎を噴き上げ、ヴォルフラムは爆発的な加速で地を蹴った。
先頭のゲイザルが慌ててマシンガンを乱射するが、遅すぎる。レイの機体は、まるで影が這い進むかのように低い姿勢で弾幕の下を潜り抜け、一瞬にして敵機の懐へと飛び込んだ。
金属が悲鳴を上げる間もなかった。
すれ違いざま、右腕のブレードがゲイザルの胴体を両断していた。分厚いチタン合金の装甲が、まるで熱したナイフでバターを切るように滑らかに溶断される。
一拍遅れて、ゲイザルの上半身がゆっくりとズレ落ち、内蔵ジェネレーターが誘爆して巨大な火柱を上げた。
「一機」
レイの口から、感情の抜け落ちた冷たい声が漏れる。
自分の手が、躊躇いもなく人の命を奪った。その事実に対して、微塵の罪悪感も湧かない。ただ、作業工程を一つ消化したという、機械的な達成感だけが胸の中にある。
その己の冷酷さに、レイ自身が一番戸惑っていた。
(なぜ、俺はこんなにも冷静なんだ……? なぜ、この機体の動かし方を知っている……?)
思考が渦巻く間にも、レイの肉体は次の標的を求めて流れるように動いていた。
残る二機のゲイザルが、味方の爆発に怯みながらも後退し、背中のミサイルポッドを展開する。数え切れないほどのマイクロミサイルが、煙を引いてヴォルフラムに殺到した。
「遅い」
レイは操縦桿を強く引き絞った。
ヴォルフラムは背面のメインスラスターを全開にし、空高く舞い上がる。ミサイルの群れは地上のスクラップの山に着弾し、無数の火球を咲かせた。
上空に逃れたレイは、そのまま機体を反転させ、急降下しながら両腕のブレードを交差させる。
『ひぃっ……! 化け物……!』
ゲイザルのパイロットの断末魔が、ノイズ混じりに響く。
落下する質量と推進力を乗せた一撃が、二機目のゲイザルの頭部からコックピットまでを、一刀の下に唐竹割りにした。血の雨を降らせる間もなく、超高温のプラズマがすべてを炭化させる。
最後の一機は、すでに戦意を喪失していた。マシンガンを放り出し、コロニーの隔壁に空いた穴に向かって逃走を図る。
「逃がすかよ」
レイの指先が、無慈悲にトリガーを引く。
ヴォルフラムの胸部装甲が展開し、内蔵された大出力のビーム・スマッシャーが閃光を放った。太い光の束が暗闇を一直線に切り裂き、逃げるゲイザルの背中を正確に貫く。
三度目の爆発。そして、圧倒的な沈黙がスクラップ場に舞い降りた。
戦闘開始から、わずか数十秒の出来事だった。
「……はぁっ、はぁっ……」
モニター越しに燃え上がる三つの残骸を見つめながら、レイはコックピットの中で荒い息を吐いていた。
首筋の端子から伝わるニューラル・リンクの熱が、全身の神経を焦がすように熱い。身体中から脂汗が吹き出し、操縦桿を握る手が小刻みに震えている。
それは、初めての実戦を経験した恐怖からくるものではなかった。
自分の奥底に眠っていた「何か」が、この機体を通して無理やり引きずり出されたことに対する、本能的な悪寒だ。
(俺は、ただのジャンク屋だ。こんな……こんな殺戮マシーンの扱いなんて、知るわけがない)
レイは震える手でコンソールを操作し、首筋の接続端子を強制的にパージした。
カチリという音と共に、脳内に響いていた無数のデータ通信が途絶え、視界が通常のものへと戻る。一気に疲労感が押し寄せ、レイはシートに深く背中を預けた。
「……最悪だ。とんでもない貧乏くじを引いちまった」
自嘲気味に呟き、ハッチを開けて外の空気でも吸おうとした、その時だった。
『――動かないで』
コックピットの外部スピーカーから、凛とした、しかし微かに震える少女の声が響いた。
全天周モニターの片隅、炎上する輸送艦の残骸の影から、一人の人影が歩み出てくるのが見えた。
煤で顔を汚し、軍用の防弾ジャケットを羽織った少女。年齢は二十歳にも満たないだろう。彼女の細い両手には、不釣り合いな重厚な自動拳銃が握られ、その銃口はまっすぐに漆黒の機体――ヴォルフラムのコックピットに向けられていた。
レイはモニター越しにその少女を見下ろし、小さく舌打ちをした。
「撃ちたきゃ撃てよ。モビルスーツの装甲に、そんなオモチャの弾が通るならな」
外部スピーカーを通じてレイの冷めた声が響くと、少女はハッとしたように銃を下ろし、モニター越しにレイの姿を探るように目を凝らした。
『あなた……軍の人間じゃないわね。その機体のパイロットは、降下中の衝撃で死んだはずよ。あなた、一体何者?』
「通りすがりの、運の悪いジャンク屋だ。お前こそ誰だ。連邦のお偉いさんのお姫様か?」
レイの皮肉めいた問いかけに、少女は一瞬だけ唇を噛み締め、毅然とした態度で名乗った。
『私はセリア。セリア・アークライト。連邦の人間よ』
「そうかよ。じゃあな、セリア。お互い生き延びられてよかったな。俺はこれで失礼する。これ以上、軍隊のドンパチに付き合う気はない」
レイはモニターを切り、再び機体を起動させてこの場を去ろうとした。これ以上の関わりは、己の平穏な日常を完全に破壊すると、本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、セリアの口から放たれた言葉が、レイの指先をピタリと止めた。
『逃げられると思っているの? あなたが今動かしているその機体、『XF-0 ヴォルフラム』の本当の恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるのよ!』
「……なんだと?」
『その機体は、ただの新型兵器じゃない。パイロットの精神を喰らい、闘争本能を強制的に引き出す……連邦が封印した『呪われた狼』よ。一度でも完全にリンクしてしまったら、あなたも……』
セリアの言葉が終わるよりも早く、レイの脳裏に再び激しいノイズが走った。
炎。崩れる鉄骨。
そして、業火の中で狂ったように笑う、あの「銀髪の男」の姿。
「……くそっ……!」
レイは激しい頭痛に耐えかね、呻き声を上げて顔を覆った。
ただのジャンク屋の日常は、漆黒の狼の覚醒とともに、すでに過去の灰と化していた。彼が背を向けてきた「過去」が、今、血塗られた口を開けて彼を飲み込もうとしていた。




