18.黎明を裂く刃
荒野の空で、二つの極限の意志が真っ向から激突しようとしていた。
絶望の魔王『ルシファー・レガリア』が、太陽をも両断せんばかりの巨大なビーム・ソードを上段に構え、漆黒の流星となって天空から降下してくる。
迎え撃つのは、左腕を失い、全身の装甲が焼け焦げた満身創痍の『継ぎ接ぎの獣』。二つのジェネレーターの共鳴によって生み出された紫電の光を右腕の高周波ブレードに一点集中させ、重力を振り切って大地から飛翔する。
『死ねェェッ! 俺を否定するすべての者と共に、灰になれェェッ!!』
カイン・レイスの狂気に満ちた絶叫が、オープン回線を通じて世界中に響き渡る。
彼は、自分自身の絶望の深さを証明するために、ただ破壊の限りを尽くすことしかできなくなっていた。連邦が武器を捨てようとも、世界が真実を知ろうとも、彼の心の中にある『あの炎の日』の痛みは、誰にも癒やすことなどできないのだから。
「……カインッ!!」
レイ・ヴァンガードの喉から、血を吐くような咆哮が迸った。
コンマ一秒の交錯。
紫電の刃と、極太の光の剣が、何の前触れもなく激突した。
ズガァァァァァァァァンッ!!!
宇宙が誕生した瞬間のような、すべてを白く塗り潰す絶対的な閃光。
鼓膜を破壊し、空間そのものを歪ませるほどのすさまじい衝撃波が、荒野を中心に爆発的に広がった。
バベルの塔の防弾ガラスが残らず粉砕され、上空の黄土色のスモッグが、巨大な円形を描いて一瞬にして吹き飛ばされる。
極限のエネルギー同士がぶつかり合う、永遠にも思えるコンマ数秒間。
その時、限界を超えたニューラル・リンクの同期が、二人のパイロットの精神を、物理的な時間を超えた『意識の深淵』へと強制的に接続した。
――音が、消えた。
光に包まれた真っ白な空間の中で、レイは立っていた。
目の前には、白衣を着た研究員たちの死体の山と、燃え盛る炎。
その中央で、返り血を浴びた十代半ばの銀髪の少年が、ポツリと一人で立ち尽くしていた。
狂気に笑う姿ではない。
炎の中で、彼はただ、自分の血まみれの両手を見つめながら、ひどく怯えた子供のように震えていたのだ。
『……痛いよ、セブン……』
少年の口から、泣き出しそうな声が漏れた。
『俺たちは、何のために生まれてきたんだ。どうして、こんなに痛い思いばかりしなきゃいけないんだ。……お前が逃げた後、俺はずっと一人で、この痛みに耐えてきたんだぞ……』
カインの狂気と憎悪の根源。
それは、世界に対する怒りであると同時に、唯一の心を許した『弟』に置いていかれたという、耐え難い孤独と悲しみだった。彼はその痛みを誤魔化すために、自分自身を絶対的な神へと作り変え、世界を燃やすしかなかったのだ。
レイは、炎の中へゆっくりと歩み寄った。
「……ごめんな。カイン」
レイは、自分を拒絶するように後ずさる銀髪の少年の前に立ち、その血に塗れた小さな体を、正面から強く抱きしめた。
『……っ! 離せ! 俺を哀れむな、裏切り者が……ッ!』
少年がレイの胸を叩き、もがく。
「俺は、お前と一緒に狂うのが怖かった。自分が化け物になるのが恐ろしくて……お前にすべての痛みを押し付けて、一人で逃げ出した。最低の裏切り者だ」
レイの声は、優しく、そして深い贖罪の念に満ちていた。
「でもな。逃げた先の泥水の中で、俺を『人間』だと言ってくれる奴らに出会った。作られた命でも、過去がどうであれ……今を必死に生きようとする奴らに、手を取ってもらったんだ」
レイの脳裏に、セリアの涙と、トビーの笑った顔が浮かぶ。
彼は、腕の中の少年の背中を、そっと撫でた。
「だから、俺はもう逃げない。……お前のその痛みも、狂気も、全部俺がここで終わらせる」
『……セブン……』
「俺たちは、兵器じゃない。……ただの、人間だ」
その言葉が響いた瞬間、カインの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼はずっと、誰かにそう言ってほしかったのだ。神でも悪魔でも、欠陥品の兵器でもなく、ただ一人の人間として、その痛みを抱きしめてほしかった。
炎の幻影が、光の粒子となってゆっくりと溶けていく。
――そして、精神の交差が終わり、時間は再び現実の激突へと引き戻された。
「おおおおぉぉぉぉぉッ!!」
レイの眼球が限界を超えて見開かれ、右腕の操縦桿を文字通りへし折るほどの力で押し込んだ。
ギィィィィィンッ!!
紫電の刃が、ルシファー・レガリアの巨大なビーム・ソードを力ずくで弾き飛ばした。
圧倒的な出力差を覆したのは、レイの機体に移植された『白いパーツ』――かつてカインを信奉していたパイロットの残骸が、最後の最後で、自らの神を呪縛から解き放つために、一瞬の推力の爆発を生み出したからだった。
カインの機体の胸部。先ほどレイが刻んだ、一条の亀裂。
「これで……終わりだァァァッ!!」
紫電の刃が、その亀裂のド真ん中へと、深く、真っ直ぐに突き刺さった。
装甲を貫き、分厚いチタン合金の骨格を溶断し、ブレードの切っ先が、ルシファー・レガリアのメイン・コックピットの直前でピタリと停止した。
だが、その一撃から放たれた強烈な高周波の衝撃波が、機体の内部システムとジェネレーターを完全に破壊していた。
『……っ……』
オープン回線に、カインの微かな、息を吐くような音が響いた。
ルシファー・レガリアの八枚のバインダーから光が消え、機体の駆動音が完全に沈黙する。
空中で完全に静止した二機の機体。
レイの荒い呼吸音だけが、通信機を通じて世界に流れている。
『……あぁ。……お前が、勝ったよ……セブン』
カインの声には、もはや憎悪も狂気もなかった。
ひどく穏やかで、憑き物が落ちたような、本来の彼の……あの無菌室で笑いかけてくれた時の少年の響きがあった。
『……人間、か。……そうだな。……俺も、ただ……お前と……』
最期の言葉は、最後まで紡がれなかった。
ルシファー・レガリアの胸部から、限界を迎えたジェネレーターの小さな爆発が連続して起こる。
「……おやすみ。ワン」
レイがブレードを引き抜いた瞬間、巨大な絶望の魔王は、完全にその命を失い、重力に引かれて荒野の大地へと落下していった。
ズウゥゥゥンッ……という重い地響きと共に、漆黒と黄金の機体が砂煙を上げて横たわる。
絶対的なカリスマを失った上空のアウターズの強襲揚陸艦は、沈黙を守ったまま、逃げるようにして高度を上げ、宇宙へと撤退し始めていた。
連邦軍も、それを追撃することなく、ただその場に立ち尽くしている。
終わったのだ。
作られた命たちが流した血の連鎖と、世界を巻き込んだ狂った復讐劇が、今、ここに終結した。
「……ははっ……」
コックピットの中で、レイは操縦桿から手を離し、シートに深く背中を預けた。
全身の神経が完全に焼き切れ、もはや指一本動かすこともできない。視界は真っ暗になり、死の淵へと向かう心地よい眠気が、猛烈な勢いで彼を包み込み始めていた。
『レイ!! レイッ!!』
薄れゆく意識の中で、通信機から、泣き叫ぶようなセリアの声が聞こえた。
『応答して! お願い、死なないで……っ! レイ!』
「……うる、さい……。大声、出すな……」
レイは、血だらけの口元を微かに緩め、掠れた声で答えた。
「……仕事は、終わったぞ。……借金……ちゃんと、帳消しに……しろよな……」
それが、レイ・ヴァンガードが残した最後の言葉だった。
プツン、と通信が切れ、ヴォルフラムの赤い発光回路も、その役目を終えたかのようにゆっくりと光を失っていった。
左腕を失い、全身を焼き焦がした銀と白の機体は、空中で一瞬だけ静止した後、糸が切れた操り人形のように、ゆっくりと荒野へと降り立っていった。
バベルの塔の管制室で、セリアはその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って号泣した。
トビーも、唇を噛み締めながら、ただ無言でモニターを見つめていた。
だが、彼らの目には、確かに見えていた。
二つの巨大な意志の激突によって吹き飛ばされた、黄土色の分厚いスモッグの切れ間。
そこから、この死に絶えた地球に、何年ぶりかもわからない、眩しく、美しい『本物の朝日』が差し込み始めていたのだ。
荒野に立つ満身創痍の獣の背中を、黎明の光が優しく包み込んでいく。
過去との決別を果たし、未来への扉をこじ開けた者たちを祝福するかのように、静かで、どこまでも温かい朝が訪れようとしていた。




