第81話:魂の特異点と、果たされた再会。そして残る絶対の絶望
【魂の極限圧縮 ~愛の特異点~】
光も音も、物理法則すら存在しないレヴィアタンの消化器官。
ライルと十人の女神たちは、互いの体を強く抱きしめ合いながら、外に放とうとしていた神気を「己の内側」へと猛烈な勢いで逆流させていた。
(もっとだ……もっと! 一切の光を漏らすな! 魂の質量を、極限まで重くするんだッ!!)
ライルが魂の奥底で叫ぶ。
それは、自らの命をミキサーにかけて圧縮するような、壮絶な苦痛を伴う作業だった。長女のベイラも、ヘスティアーも、十人全員が苦悶に顔を歪め、声なき悲鳴を上げながらライルの魂のコアへと己の神気を注ぎ込み、圧縮し続ける。
十一人の莫大な神気と命が、針の先ほどの極小の点に凝縮されていく。
スゥゥゥッ……。
暗闇の中で、空間そのものが軋むような奇妙な感覚が生まれた。
放出(発散)を喰らうレヴィアタンの性質を逆手に取った、人為的な『魂の特異点』。光も音も出さない、ただ純粋で圧倒的な「魂の引力」だけが、冷たい虚無の海に波紋のように広がっていった。
◇
【忘却の淵と、引き寄せる引力】
その頃。
暗闇の彼方を一人で漂っていた第一夫人のフィリアは、己の「輪郭」が完全に溶け落ちようとしているのを感じていた。
(……ああ。私の手は、どこにあるのかしら)
声帯も、視覚も、すでに虚無に喰われていた。
自分がなぜここにいるのか。さっきまで誰と一緒にいたのか。それすらも、泥水にインクを垂らしたように滲んで消えていく。
サクヤも、セレナも、ミアも、アナスタシアも同じだった。
チョーカーという道標を持たない彼女たちは、レヴィアタンの絶大な消化液を直接浴び、魂の構成要素(記憶や感情)を端から削り取られていたのだ。
恐怖すら摩耗し、ただ安らかな「無」へと還ろうとしていた、その時。
――グンッ!!
「……え?」
フィリアの薄れゆく魂の底を、強烈な『何か』が引っぱり上げた。
物理的な力ではない。見えもしないし、聞こえもしない。だが、それはあまりにも温かく、重く、懐かしい『引力』だった。
(この熱……この、重さは……)
『フィリアッ!! サクヤ!!』
声ではなく、魂の振動として、愛する人の悲痛な叫びが直接響き渡った。
その瞬間、溶けかけていたフィリアの記憶が、鮮烈な色彩を持って蘇る。
庭園の陽だまり。笑い合う子供たち。そして、誰よりも自分を愛し、すべてを懸けて守ってくれた、ただ一人の夫の姿。
(……ライル様ッ!!)
フィリアの魂が、サクヤたちの魂が、その「愛の引力」に激しく呼応した。
自身が溶けることも厭わず、残された命の欠片をすべて燃やし尽くして、その強烈な重力の源へと、自ら落ちていく。
◇
【再会 ~透明な指先~】
ドスッ!
十一人が抱き合う塊の中に、別方向から五つの魂が激しく衝突するように飛び込んできた。
(フィリア! サクヤ!! セレナ、ミア、アナスタシア!!)
ライルは、飛び込んできた五人の体を、自身の腕の中に強引に引きずり込んだ。
「……っ、ああ……ッ!」
ライルの胸に顔を埋めたサクヤが、声にならない号泣を上げる。フィリアも、十人の妹妻たちと手を絡ませ合い、決して離れまいとしがみついた。
見えなくとも、触れ合う肌の温もりと、魂の輪郭で分かる。
十五人の妻たちと、ライル。
かつてない絶望の暗闇の中で、十六人の家族は、ついに誰一人欠けることなく再び「一つ」に繋がることができたのだ。
(よかった……本当によかった……っ)
ライルは安堵のあまり、暗闇の中でポロポロと涙を流した。
だが、その安堵は一瞬で凍りついた。
ライルの腕の中にいるフィリアやサクヤたちの体が……あまりにも『軽く』、そして『冷たかった』からだ。
(……サクヤ? なんだ、その体は……!)
魂の接触を通じて伝わってくる五人の状態は、凄惨の一言だった。
フィリアの足先はすでに感覚がなく、サクヤの背中は透け、セレナたちの生命力も風前の灯火。もう少し合流が遅れていれば、完全に消滅していた。
そして、今この瞬間も、彼女たちの魂は虚無に削られ続けている。
◇
【合流は、解決ではない】
『……喜んでいる暇はないぞ、ライル』
最高神の声が、冷や水を浴びせるように響いた。
『よくぞ全員を引き寄せた。お前たちの愛と絆には、神であるワシも舌を巻く。
……だが、現状は「何も変わっておらん」ということを忘れるな』
(……ッ!!)
ライルはハッとして、周囲の「圧倒的な虚無」の気配に絶望した。
特異点を作って全員を引き寄せた。だが、それはあくまで「迷子を同じ場所に集めた」だけに過ぎないのだ。
『お前たちの魂が一つに固まったことで、消滅までのタイムリミットは少しだけ延びた。じゃが……特異点を作って質量を高めたことで、レヴィアタンの「消化」の標的としては、より目立つ極上のエサになったぞ』
最高神の言葉通り、十六人の周囲の空間から、先ほどまでとは比べ物にならないほどの『強烈な消失の圧力』が迫り来るのを感じた。
合流は果たした。
だが、「ここからどうやって脱出するのか」という根本的な解決策は、依然として何一つ見つかっていない。
(くそっ……! どうすればいい!? 魔法で吹き飛ばすのは無理だ。物理で空間を裂くこともできない。特異点の引力も、外へ出るための力じゃない……!)
ライルは、透け始めているサクヤの手を両手で包み込みながら、必死に思考を巡らせる。
八方塞がりだ。
せっかく再会できたのに、このままでは、ただ「全員で寄り添って、一緒に消滅する日を待つ」だけになってしまう。
残されたタイムリミットの中で、この絶対的な「無」の法則を打ち破る、あり得ないほどの「エラー(奇跡)」を起こさなければならない。
(考えろ……考えろライルッ!!)
光も音もない空間で、十六人は互いの魂の熱だけを頼りに身を寄せ合う。
外殻を削り取ろうとする虚無の消化液に耐えながら、ライルは一切の希望が見えない絶望の底で、脱出の糸口を求めて血の滲むような思考の海へと沈んでいった。




