第80話:届かない五人の妻と、魂を削る試行錯誤
【虚無の拒絶 ~無為な足掻き~】
音も光もない絶対の漆黒。
『愛のチョーカー』という道標を頼りに、ライルと十人の女神たちは奇跡的な合流を果たした。
十一人の魂が強固に結びつき、互いを抱きしめ合うことで、彼女たちの魂が虚無に溶け出す速度は劇的に遅くなっていた。
だが、ライルの心はかつてないほどの激しい焦燥に焼かれていた。
(サクヤ……! フィリア! セレナ、ミア、アナスタシア!!)
声にならない絶叫が、暗闇の中で空回りする。
十一人の輪の外には、チョーカーを持たない『五人の先輩妻』たちが、今もたった一人でこの絶対的な孤独の中に沈んでいるのだ。
(探し出さなきゃ……でも、どうやって!?)
ライルは妻たちと手を繋いだまま、自身の神気を「光の矢」のように細く鋭くし、全方位に向けて放とうとした。
いわば、魂のサーチライトだ。
しかし――スゥッ。
『やめい、ライル!!』
最高神の怒声が魂の奥で響いた。
『力(事象)を外に放てば、このレヴィアタンの腹の中では「最高のエサ」になるだけじゃ! お前が放った神気は、一瞬で虚無に喰われ、届く前に霧散したぞ!』
(じゃあどうしろって言うんだ!? このまま待ってろっていうのか!!)
ライルは歯を食いしばり、今度は物理的に暗闇を泳ごうとした。
だが、上下左右の概念すらない空間だ。どちらに向かって進んでいるのかも分からず、ただ無重力の泥の中でもがいているような徒労感だけが全身を包む。
「……パパッ、ダメ……離れちゃ……っ」
ライルが動こうとするたび、繋いでいたベイラやリーフェたちの手が、虚無の引力に引き剥がされそうになる。
物理的な捜索も不可能。神気による合図も不可能。
あらゆるアプローチが、この『事象の消失空間』という絶対法則の前に、ことごとく無に帰していく。
◇
【タイムリミットの足音 ~欠けゆく魂~】
焦りが、絶望へと変わり始める。
『……ライル。急げ』
最高神の声が、かつてなく冷酷な事実を告げた。
『お前たち十一人は輪を作って魂の崩壊を遅らせているが……一人で漂っているあいつら五人は、もろに虚無の消化液を浴びている状態じゃ。……もはや、魂の輪郭が保てておらんはずだ』
(……ッ!!)
それを裏付けるように、ライルの腕の中にいるアフロディテが、声のない悲鳴を上げて自身の指先を見つめた。
暗闇の中でも、自身の魂の感覚だけは分かる。
彼女たちの指先や足先から、感覚が少しずつ「抜け落ちて(透けて)」いたのだ。
十一人が集まっていてもこれだ。ならば、一人でいる五人の状態は――。
(サクヤの魂が……フィリアたちが、消えてしまう……!)
焦燥で頭が狂いそうだった。
タイムリミットが、見えない秒針となってライルの心臓をギリギリと締め付ける。
何か方法があるはずだ。何か。
魔法がダメ。物理もダメ。なら、どうすれば五人にここ(自分たちの場所)を知らせることができる!?
(僕の命の半分を切り離して、巨大な爆発を起こすか……!? いや、それじゃ彼女たちごと吹き飛ばしてしまうかもしれない!
なら、空間そのものを僕の神気で塗り潰す!? ダメだ、出力が上がれば上がるほど、レヴィアタンの消化速度が早まるだけだ!)
試行錯誤のシミュレーションが、脳内で浮かんでは砕け散る。
時間は無情に過ぎていく。
ライルの額から、冷たい汗が流れ落ちた。
「……どうすればいい……教えてくれ、サクヤ……フィリア……っ」
最強の神王でありながら、愛する家族を見つけることすらできない無力感。
ライルの目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
◇
【一筋の光明 ~逆転の引力~】
「……パパ」
その時、暗闇の中で、長女のベイラがライルの頬にそっと手を添えた。
声は出ない。だが、その手から伝わる想いが、パニックになりかけていたライルの心にスッと染み込んでくる。
(パパ……。出したら、ダメなのよ)
ベイラの想いが、ライルの魂に直接語りかけてきた。
(さっき……パパが私たちを見つけてくれた時。チョーカーは熱を持ったけど、光ったり、音が鳴ったりはしなかったわ。
パパの「愛」が、私たちの魂を……強烈に『引っ張って』くれたの)
(引っ張ってくれた……?)
ライルはハッとした。
(そうか……!!)
レヴィアタンは、放たれた「力(事象)」を喰らい尽くす。
ならば、サーチライトのように神気を『外へ放つ』から喰われるのだ。
ダンジョンの深層で、ベイラたちが覚醒したあのスキルを思い出す。
魔力を放出するのではなく、極限まで『圧縮』する技術。
それを、魂と神気のレベルで行うとしたら――。
(爺さん! もし、僕たち十一人の魂と神気を、一切外に出さずに……僕の中心に向かって、極限まで圧縮し続けたらどうなる!?)
最高神が、息を呑む気配がした。
『……ッ! 馬鹿な、そんなことをすればお前たちの魂の質量が無限大に膨れ上がり、この虚無の空間の中に……人為的な「特異点」が生まれるぞ!』
(それだッ!!)
ライルの目に、ついに一筋の光明が差した。
光も音も出さない。ただ、圧倒的な『重さ(引力)』を作り出すのだ。
十一人の愛と魂を一点に凝縮し、虚無すらも捻じ曲げるほどの強烈な「魂の引力」を発生させる。
そうすれば、チョーカーがなくても、ライルを心の底から愛している五人の妻たちの魂だけが、その引力(重力)に引き寄せられて、必ずこの場所へと「落ちてくる」はずだ!
(ベイラ、みんな! 僕の魂に、君たちの神気のすべてを注ぎ込んでくれ! 放出するんじゃない、内側へ……限界を超えて、圧縮するんだ!!)
ライルの意図を瞬時に理解した十人の女神たちが、力強く頷いた。
タイムリミットまで、もう数分もないかもしれない。五人の先輩妻たちの魂は、すでに限界を迎えているはずだ。
失敗すれば、暴走した重力で自分たち自身が押し潰されて消滅する。
だが、迷っている時間は一秒もなかった。
(……サクヤ、フィリア、セレナ、ミア、アナスタシア! 今、僕が君たちの手を引くッ!!)
ライルと十人の女神たちは、互いに抱き合ったまま、その莫大な命の炎を、一切の光を漏らすことなく、ただ一点の『愛の特異点』へと猛烈な勢いで圧縮し始めた。
果てしない虚無の海に、魂を削る試行錯誤の末に見つけ出した「一筋の光明」が、見えない引力となって静かに、しかし確実に波及し始めた。




