第77話:未来を語る休日と、世界を喰らう虚無の顎(あぎと)
最終段階に来ました。最大の危機に面したライル達
【ローレンツ邸 ~成長した子供たちとの最高の休日~】
あの神への階(大迷宮)での卒業式から、十数年の月日が流れていた。
しかし、ローレンツ邸のテラスに集うライルと十五人の妻たちの容姿は、かつての最も若く美しい姿から一ミリも変わっていない。
変わったのは、彼らを囲む「子供たち」の背丈だった。
「……パパ。実は、隣領の辺境伯様から、正式に長女の方との婚姻の打診がありまして」
少し照れくさそうに、しかし立派な青年の顔つきで報告するのは、第一夫人フィリアが産んだ長男だった。
「あらあら、うちの息子もついに年貢の納め時かしら?」
フィリアが、口元を扇子で隠しながら嬉しそうに目を細める。
「お兄様だけずるいですわ! 私だって、騎士団の副団長様からお誘いを受けているんですから!」
サクヤの産んだ長女が、真っ赤になって抗議する。
純粋な人間である彼女たちは今年で十五歳。王立学園を優秀な成績で卒業し、それぞれが新しい領地の経営や、生涯の伴侶となる相手との「未来」を歩み始めようとしていた。セレナ、ミア、アナスタシアの産んだハーフの子供たちも、それぞれの特性を活かして立派な青年・少女へと成長している。
そして、広い庭園の芝生では、さらに賑やかな声が響いていた。
「ベイラお母様、見てください! 学園で習った上位の氷結魔法、もう詠唱なしで撃てますよ!」
「ふふっ、すごいですわ! でも、魔力の圧縮が少し甘いわね。後でパパには内緒で特訓してあげますわよ」
王立学園の中等部に通っている、十柱の女神たちが産んだ子供たち。
今はたまたま学園の長期休暇で帰郷しており、久しぶりに実家で甘えられる喜びに、母親たちにべったりとくっついて学園での武勇伝を語っている。
「パパ! 私ね、剣術のテストで学年トップだったの!」
「俺は座学で満点だったぜ!」
次々と報告にくる十人の子供たちの頭を、ライルは一人一人優しく撫でてやった。
(……みんな、本当に大きくなったな)
ライルは、眩しそうに目を細めた。
自分たち親は永遠の命を持ち、この場所から動くことはない。しかし、子供たちは限りある時間の中で、こうして恋をし、学び、立派に成長して、自分たちの世界を築いていく。
「……幸せですね、あなた」
長女のベイラが、ライルの隣に腰を下ろし、そっと肩に寄り添った。
「ああ。上の子たちの結婚式には、またみんなで盛大にお祝いをしてやらないとな。下の子たちも、これからどんな大人になるのか楽しみだ」
ライルが微笑むと、十五人の妻たち全員が、心からの愛情に満ちた笑顔で頷いた。
誰もが、この幸福な時間が永遠に続くのだと信じていた。
これから先も、子供たちの結婚式を見守り、孫を抱き、温かな家族の歴史が紡がれていくのだと。
◇
【異変 ~音のない崩壊~】
――ピタリ、と。
突然、庭園の木々を揺らしていた春の風が止んだ。
「……あれ?」
魔法の練習を見せていた子供の一人が、ふと足を止めて空を見上げた。
さえずっていた小鳥たちの声が、不自然に消え失せている。
テラスにいたライルも、何か得体の知れない『悪寒』を感じて立ち上がった。敵意や殺気ではない。もっと根本的な、世界そのものが歪むような気配。
その時だった。
『ライルッ!! 上じゃ!! 子供たちを、早くこっちへ!!』
魂の奥底で、最高神がかつてないほどの切羽詰まった悲鳴を上げた。
「え……?」
ライルが空を見上げた瞬間。
抜けるような青空のど真ん中に、ぽっかりと『黒い穴』が開いていた。
それは、雲や影ではない。光も、音も、空間さえも呑み込む絶対的な【虚無】。
穴は音もなく、しかし凄まじい速度で回転しながら巨大な『渦』へと変貌していく。
世界を飲み込むおぞましき悪魔の渦――『レヴィアタン』の顕現だった。
「きゃあああっ!?」
突如として発生した異常な重力(引力)に、芝生にいた下の子たちの体がふわりと宙に浮き上がった。
「ダメッ!!」
ベイラが絶叫し、咄嗟に子供たちの腕を掴んで引き寄せる。
だが、渦の引力は物理的なものではなかった。存在そのものを「無」へ還元しようとする、世界そのもののバグ。
「みんな、子供たちを守れッ!!」
ライルが吠え、純白の神気を爆発させて渦に向かって防御結界を展開する。
上の子たちも、咄嗟に剣を抜き、妹や弟たちを庇うように陣形を組んだ。
「消えなさいッ! 《神気共鳴・絶対零度の氷槍》!!」
ベイラとリーフェが極限まで圧縮した氷の槍を放ち、ヘスティアーが炎を、十五人の女神と妻たちが一斉に、持てる最大の魔力を渦の中心へと叩き込む。
しかし――。
スゥッ……。
「なっ……!?」
渾身の魔法は、黒い渦に触れた瞬間、何の音も立てずに『消滅』した。
弾かれたのではない。最初からそこに存在しなかったかのように、虚無に飲み込まれてしまったのだ。
「魔力が、通じない……!?」
「嘘でしょ、私たちの神気が、ただ吸い込まれて……っ!」
『いかんライル!! アレは敵ではない、すべてを無に帰す「事象の消失」じゃ! 物理も魔法も意味を成さん!!』
◇
【未来を紡ぐための身代わり】
ゴゴゴゴォォォォォッ!!
渦がさらに巨大に広がり、ローレンツ邸の庭園の空間そのものが、メリメリと音を立てて剥がれ落ち、吸い込まれ始めた。
「いやぁぁぁっ! パパァッ!! お母様ッ!!」
渦の引力は、まだ神の領域に至っていない『子供たち』を執拗に飲み込もうとしていた。
(……このままじゃ、あの子たちの未来が喰われる!)
「させるかぁぁぁッ!!」
ライルは自身の持てる神王の力のすべてを解放し、十五人の子供たちを庇うように、妻たちと共に壁となって立ち塞がった。
「みんな、僕の神気に同調しろ! 攻撃じゃない、この庭園の空間そのものを『固定』して、子供たちをこの世界に繋ぎ止めるんだ!!」
ライルの悲壮な叫びに、十五人の妻たちが即座に反応した。
全員がライルの背中に手を当て、己の命そのものである神気を、ライルを通して子供たちへの『絶対の護り』へと変換する。
十六色の神々しい光が混ざり合い、子供たちを包み込む強固な光の繭となった。
だが、それは同時に、ライルたち十六人が、完全に『虚無の渦』への抵抗を捨て、子供たちの身代わり(盾)になることを意味していた。
「……パパッ! 私の体が……っ」
ベイラの足元が、黒い空間へと溶け込み始める。
十五人の妻たちの体が、渦の強大な力に引きずられ、宙へと浮き上がった。
「父上ッ! 母上ッ!! ダメです、やめてください!!」
十五歳になったばかりの長男が、光の繭の中から必死に手を伸ばして叫ぶ。
結婚を控えた娘たちも、下の子たちも、泣き叫びながら親の服を掴もうとする。
「絶対に離すな!! お互いの手を、強く握るんだ!!」
ライルが叫び、宙に浮きながらベイラの手を、サクヤの手を必死に掴み取る。
妻たちも互いの手を固く握り締め、絶対に離れまいと涙を流しながら見つめ合った。
「……生きなさい。立派に結婚して、幸せになるのよ……っ」
フィリアが、光の繭の中で泣き叫ぶ我が子たちへ向けて、最後に最も美しい母の微笑みを向けた。
直後。
彼らの視界が、完全に『黒』に塗り潰された。
上下も、左右も、時間の感覚さえない、絶対的な無の世界。
凄まじい混沌の濁流の中で、ライルが必死に握りしめていたはずの『妻たちの手の温もり』が、一つ、また一つと、残酷にすり抜けていく。
(嫌だ、嘘だろ……待ってくれ、離れないでくれッ!!)
声も出ない。光もない。
さっきまであんなに眩しく、子供たちの未来を語り合っていた幸福な記憶が、氷のように冷たい虚無の中に溶けていく。
『――あ、なた……っ』
最後に微かに聞こえた誰かの悲鳴を最後に、ライルの意識は、果てしない絶望の暗闇(レヴィアタンの腹の中)へと真っ逆さまに堕ちていった。
次話以降は悪魔の渦との戦い?なのかなお楽しみに待っててね。




