第62話:女神たちの花嫁修業(マウント合戦)と、小さな天使の第一歩
【転生後の世界・ローレンツ邸 朝のダイニング】
「パパ! 私が作った特製モーニングですわ! あーんで召し上がって!」
「ずるいぞベイラお姉ちゃん! パパ、あたしのお味噌汁のほうが絶対に美味しいから!」
「……食後のコーヒーは、私が淹れました。パパ、膝枕で飲んで」
朝のローレンツ邸は、かつてないほどの熱気とフローラルな香りに包まれていた。
ダイニングテーブルを囲んでいるのは、フリルのエプロンを身に着けた十柱の女神(娘)たち。
身長190センチメートル。股下110センチという圧倒的な美脚と、八頭身の完璧なプロポーション。十色の艶やかなストレートロングの髪を揺らしながらエプロン姿で微笑む彼女たちは、どう見ても『新婚の絶世の美女』の群れだった。
「わ、分かった! 順番に食べるから、そんなに身を乗り出さないでくれ!」
ライルは嬉しい悲鳴を上げていた。
先日、ライルと正式に「15歳(あと7年後)になったら結婚する」という婚約を交わした彼女たちは、パパへの愛を隠す必要が完全になくなった。
その結果、「十人の中で誰が一番パパに尽くせる『筆頭妻』になれるか」という、凄まじい花嫁修業(と姉妹間のマウント合戦)が勃発したのである。
「ふふっ。パパの肩揉みは私の特権ですわ。……どう? 力加減は?」
「パパの足の裏マッサージはあたしがやる!」
長い腕と長い脚が、前後左右からライルに絡みつく。
幸せすぎる空間だが、十人分の神の器による物理的な圧迫感で、ライルのHPは朝から削られ気味だった。
「あらあら。娘たち、随分と気合が入っていますね」
そこへ、第一夫人フィリアをはじめ、セレナ、ミア、アナスタシア、そしてサクヤたち「先輩の妻(母親)たち」が、クスクスと笑いながら入ってきた。
「ママたちには負けませんわ! 7年後には、私たちがパパの隣の特等席を半分いただきますからね!」
長女のベイラが、黄金の髪をかき上げて堂々と宣言する。
「ええ、楽しみにしているわ。……でも、良いお嫁さんになるには、パパのお世話だけじゃなくて『小さな命』のお世話もできないとね?」
サクヤが優しく微笑み、奥の部屋――育児室の方を指差した。
◇
【育児室の攻防 ~よちよち歩きの天使たち~】
「……我が王! 大変です! 坊ちゃまが……第一夫人の坊ちゃまが、ついに立ち上がりそうです!」
育児室から、元・魔王にして現在は最強のメイド兼教育係である神魔・ゼタの悲鳴に近い声が響いた。
ライルたちは弾かれたように席を立ち、育児室へと駆け込んだ。
そこでは、ゼタやガニスたちメイド陣が、床に膝をつき、息を殺して「その瞬間」を見守っていた。
分厚い絨毯の上。
フィリアが産んだ人間の男の子が、ベビーサークルの柵を小さな手で一生懸命に掴み、プルプルと震える短い足で、自力で立ち上がろうとしていたのだ。
「あ、ああ……っ! がんばれ、がんばれ……!」
ライルも思わず床に這いつくばり、両手を広げて待ち構える。
フィリアの子供だけではない。
セレナのハーフエルフの女の子も、ミアの獣人の男の子(尻尾でバランスを取りながら)も、アナスタシアのハーフ魔族の女の子も、そしてサクヤの産んだ人間の女の子も。
五人の赤ん坊たちは、ハイハイの時期を卒業し、ついに「自分の足で歩く」という人生の第一歩を踏み出そうとしていたのだ。
「ぱぁぱ、がんばれー!」
ヘスティアーがポンポンを持って応援しようとするが、ゼタが鬼の形相で「シーッ!! お嬢様方、神気で坊ちゃまたちを驚かせないでください!」と制止する。
「わ、分かってますわ! ……ああ、でも転んだらどうしましょう! 私が氷の結界で床をスライムみたいに柔らかく……」
「ダメですわベイラお姉様! 過保護すぎます! ……私が重力を軽くして、転ぶ速度を遅く……」
「十人とも、魔法は禁止です!!」
190センチの絶世の女神たちが、小さな小さな弟や妹たちの初めての試練を前に、パニックを起こしてオロオロと右往左往している。
普段は魔獣を指先一つで消し飛ばす無敵の彼女たちも、「普通の命の脆さ」の前ではただの心配性な姉(未来のお世話係)でしかなかった。
「……あ、あうっ」
サクヤの産んだ人間の女の子が、ついにサークルの柵から手を離した。
一歩。
そして、ぐらりと体が揺れて、二歩目。
「ライル様……!」
サクヤが祈るように両手を組む。
三歩目を踏み出そうとして、小さな体がバランスを崩し、前へ倒れ込んだ。
「危ないっ!」
ライルがスライディングで飛び込み、その小さな体をフワリと両腕で受け止めた。
「……っ! あー……、びっくりしたぁ……」
ライルが心臓をバクバクさせながら安堵の息を吐くと、腕の中の小さな女の子は、ライルの鼻を小さな手でペチッと叩き、「キャッキャッ」と無邪気に笑った。
「やったな。……すごいぞ、みんな」
他の子供たちも、それぞれ数歩歩いては転び、フィリアやミアたち母親の胸の中に飛び込んでいく。
育児室は、割れんばかりの歓声と、温かい拍手に包まれた。
◇
【ただの、温かい日常】
「パパ! 私も! 私も弟たちみたいにパパにギュって抱きしめてほしいですわ!」
感動も冷めやらぬうちに、ベイラが長い腕を伸ばしてライルにダイブしてくる。
「ずるい! あたしも!」
「私もです!」
十人の巨大な女神(婚約者)たちが、赤ん坊を抱いているライルの周りにわちゃわちゃと群がり、サクヤたち妻が「こらこら、赤ちゃんが潰れちゃうでしょ」と笑いながら引き剥がす。
ゼタは「ふふっ……尊い……」と呟きながら、こっそり魔導具で今の光景を映像に記録していた。
ライルは、赤ん坊の柔らかい温もりと、娘たちの賑やかなフローラルの香りに包まれながら、窓の外の青空を見上げた。
神々に喧嘩を売り、次元を越え、帝国を滅ぼしてまで守り抜きたかったもの。
それは、世界征服でも、絶対的な権力でもない。
ただ、こうして愛する家族全員で、子供の成長を笑い合いながら見守る「普通の温かい日常」だったのだ。
「……最高だな、うちの家族は」
ライルがぽつりとこぼしたその言葉は、賑やかな笑い声にかき消されたが、彼の心の中には、永遠に続く確かな幸せが満ち溢れていた。




