第39話:世界の死角と、最強の夫婦
【ローレンツ領・深夜の執務室】
祝宴が終わり、屋敷が静寂に包まれた深夜。
ライルは一人、執務室の窓辺で夜空を見上げていた。
「……眠れませんか、主さま」
背後から、静かな声がした。
振り返ると、桜色の薄絹を纏ったサクヤが立っていた。
娘たちを寝かしつけてきたのだろう。その表情は母の優しさを持っていたが、同時に、かつてライルと共に死線を潜り抜けてきた「戦乙女(女神)」の鋭さを秘めていた。
「サクヤ……。うん、なんだか胸騒ぎがしてね」
「当然です。貴方の直感(幸運のアンテナ)が、危険を察知しているのですから」
サクヤはライルの隣に並び、同じように夜空を見上げた。
「……先ほど、ファリナの風の精霊が『最果ての荒野に穴が開いた』と知らせてきましたね。
恐らく、娘たちが世界中を『パパのお庭』にしてしまった代償です」
「代償……? パパのためにって、あの子たちが頑張った結果が?」
「はい。この世界は、光があれば必ず影が落ちるようにできています。
娘たちが強引に世界を平和にし、富と幸福をこのレギュラント王国に集めすぎた結果……世界の『外側』に、行き場を失った不運と不幸のエネルギーが凝縮されてしまったのです」
サクヤは、そっとライルの胸に手を当てた。
「主さま。貴方の『幸運』は、不可能を可能にする奇跡の力。
ですが、それが無自覚に世界規模で働き続けた結果……世界そのものが、貴方の幸運の帳尻を合わせるために悲鳴を上げているのです。
あの『穴』から湧き出ているのは、この世界が処理しきれなくなった“虚無”です」
ライルは目を見開いた。
自分の幸運が、家族を守るための力が、遠いどこかで世界を壊す原因になっていたというのか。
「……なら、僕のせいだ。
僕が幸せになりすぎたから、世界に穴が開いたんだ」
ライルは拳を握りしめた。強い自責の念が彼を襲う。
だが、サクヤはその拳を両手で優しく包み込んだ。
「ご自分を責めないで。貴方はただ、私たちを愛してくれただけ。
……それに、忘れないでください。貴方の隣には、私がいます」
サクヤはライルを見つめ、女神としての絶対的な自信と、妻としての深い愛情を込めて微笑んだ。
「世界が壊れかけているなら、私たちが直せばいい。
溢れ出した虚無は、私たちが消し去ればいい。
……私たちは二人で、そうやって運命をねじ伏せてきたではありませんか」
その言葉に、ライルの中にあった迷いが晴れた。
そうだ。古龍の時も、神界の理に抗った時も、隣には必ず彼女がいた。
「……ありがとう、サクヤ。君の言う通りだ」
ライルはサクヤを引き寄せ、その唇に軽くキスをした。
「子供たちには、まだこの世界の理不尽は重すぎる。
パパとママで、さっさと片付けてこよう」
「はい、私の旦那様」
◇
【最果ての荒野 ~虚無の穴~】
空間転移で荒野に降り立ったライルとサクヤ。
そこは、この世の終わりを具現化したような地獄だった。
空間にポッカリと開いた真っ黒な大穴。
そこから、泥のような、影のような「色のない化け物たち(虚無の眷属)」が無限に這い出してきている。
虚無の眷属が触れた大地は、音もなく砂となって消滅していく。
「……厄介ですね。あれは魔物ではなく、現象の塊です。
娘たちの魔法(世界の内側の理)では、触れる前に吸収されてしまうでしょう」
サクヤが冷静に分析する。
この事態を解決できるのは、世界の理の外側から来た異界の女神サクヤと、理そのものを書き換えるライルの「幸運」だけだ。
「行くぞ、サクヤ!」
「はい!」
ライルが《天帝の覇鎧》を展開し、虚無の大群へと突っ込む。
剣を振るうが、手応えがない。スライムを斬っているような感覚だ。
しかも、虚無の泥がライルの鎧にまとわりつき、魔力を急速に奪っていく。
(……くそっ、物理も魔法も効きが悪い!)
「主さま、前を空けて!」
背後からサクヤの声。
ライルが跳び退くと同時、サクヤが神装《桜花・終焉の纏》を完全に解放した。
夜空を背景に、彼女の背後に巨大な満開の桜の幻影が浮かび上がる。
「《神威・桜花崩月》!!」
サクヤが放った桜色の神光が、虚無の大群を薙ぎ払う。
ただの破壊ではない。異界の女神の力による「概念の消去」だ。
虚無の眷属たちが、光に触れた端から浄化され、消滅していく。
「さすがサクヤだ!」
だが、大穴からはさらに巨大な、山のような虚無の塊が這い出してきた。
それは、娘たちが世界中から奪い取った「不幸」の集合体だった。
『オォォォォォ……!!』
「……主さま。アレは、私の力だけでは消しきれません。
世界の歪みそのものですから」
「なら、僕の力も合わせる!」
ライルはサクヤの隣に立ち、彼女の手を強く握った。
二人の魔力が、神気が、そして「想い」が一つに重なる。
「僕の『幸運』は、誰かを不幸にして成り立つものじゃない。
僕が望むのは……誰も泣かない、本当のハッピーエンドだ!!」
ライルは、自身の「幸運値:測定不能」のエネルギーを、攻撃力として強制的に剣に変換した。
確率の操作ではない。運命を切り開く、純粋な意志の刃。
「サクヤ、合わせろ!」
「はい、主さまの往く道を、私が照らします!」
サクヤの桜色の神気が、ライルの黄金の剣に纏わりつく。
二人が出会い、紡いできた絆が、世界を救う一撃へと昇華される。
「「――《運命突破・比翼連理》!!」」
振り下ろされた黄金と桜色の巨大な光の刃が、空間ごと大穴を両断した。
ピキィィィィィン……ッ!!
甲高い音を立てて、虚無の巨大な塊が真っ二つに裂け、光に飲まれて消滅する。
そして、大穴の淵がゆっくりと縫い合わされるように閉じていき……最後には、元通りの星空だけが残った。
◇
【エピローグ:親の背中】
「……終わったな」
ライルが剣を収め、息をつく。
サクヤは優しく微笑み、ハンカチでライルの汗を拭った。
「ええ。見事な一撃でしたわ、主さま。
……あら?」
サクヤが視線を向けた先。
岩陰から、ヒョッコリと小さな顔が十個、覗いていた。
「……パパ、ママ……すっごい……」
「あんなバケモノ、一撃で……」
こっそり後をつけてきていた十人の娘たちだ。
自分たちでは手も足も出ないと本能で悟ったバケモノを、両親はたった二人で消し飛ばしてしまった。
ライルは苦笑して、娘たちを手招きした。
「ほら、おいで。夜更かしは肌に悪いぞ」
「「「パパー! ママー!」」」
娘たちが一斉に二人に飛びついてくる。
その顔には、先ほどまでの「自分たちが一番強い」という驕りはなく、ただ純粋な、両親への絶対的な尊敬と憧れがあった。
「いいか、お前たち。世界はお庭じゃない。
何かを動かせば、必ずどこかに歪みが出る。……パパとママが、今日それを証明しただろ?」
ライルが優しく、しかし父親の威厳を持って諭す。
娘たちは、コクコクと素直に頷いた。
「わかった……ごめんなさい」
「私たち、少しやりすぎちゃった……」
サクヤがフフッと笑う。
「反省できるなら、良い子です。
さあ、お家に帰りましょう。明日からは、壊してしまった世界のバランスを、みんなで少しずつ直していくのですよ」
こうして、世界の致命的なバグは、最強の夫婦によって未然に防がれた。
ライルとサクヤ。
この二人が中心にいる限り、この家族の「幸運」は、決して世界を滅ぼす呪いにはならない。




