第31話:連鎖する奇跡、あるいは神界の完全敗北
【ローレンツ領・訓練場】
元・聖光教会のシスターたちがメイドとして働き始め、屋敷の運営が軌道に乗り始めたある日。
ライルは、第三夫人である獣人の姫・ミアと、日課の手合わせを行っていた。
「はぁっ! 行くよライル!」
「おっと!」
ミアの振るう木剣は鋭い。白炎の舞姫に進化した彼女の動きは、獣の直感と神速の反射神経を併せ持っている。
だが、今日の彼女はいつもと違った。
気迫が凄まじいのだ。
「……せいっ!!」
ガキィィン!!
「ぐっ……!?」
ライルが受け止めた剣が、あり得ない重さで押し込まれる。
力負けなどしたことがないライルが、たたらを踏んだ。
その隙を見逃さず、ミアが足払いをかけ、ライルを地面に転がした。
「――取ったぁぁぁッ!!」
ミアが勝ち誇ったように拳を突き上げる。
その背後には、幻影の翼――勝利の女神のシンボルが輝いていた。
「……強いな、ミア。今日は一段とキレがある」
「へへっ、でしょ?
なんかさ、朝から『負ける気がしない』んだよね。
……それになにより」
ミアはライルの上に跨り、ニカっと笑って自分のお腹を指差した。
「この子が応援してくれてるみたいなんだ」
「え?」
「できたみたいだよ、二人目。
……名前はもう決めてる。ニーケ。“勝利の女神”さ!」
その瞬間、訓練場にファンファーレのような風が吹き抜け、見ていたシスター(メイド)たちが思わず拍手喝采を送ってしまった。
◇
【天上界・第五セクター【勝利の座】】
ガシャァァァァン!!
神界にある巨大なトロフィー(勝利の概念装置)が、粉々に砕け散った。
「ぎゃあああああッ!!」
「ほ、報告ゥゥッ! 第五セクター沈黙!
勝利の女神ニーケ様、ロストしましたぁぁッ!!」
議長の天空神ゼウス(仮称)は、チェス盤の前で頭を抱えていた。
「ま、待て! ニーケがいなくなったら、勝負事の判定はどうなる!?
私のチェスの勝ち負けは!?」
「判定不能です! 概念が消滅しました!」
「そんな……。これから神々のポーカー大会があるのに……!」
神界から「勝利」という概念が消えた。
その結果、神々の間で「じゃんけん」をしても、永遠に「あいこ」が続くという地獄のような現象が発生し始めた。
勝者なき世界。それは、ただの泥仕合である。
「おのれライルゥゥッ! 私から勝ち越しの喜びまで奪うかぁぁッ!!」
◇
【ローレンツ領・夜のテラス】
勝利の女神騒動冷めやらぬその夜。
ライルは、第四夫人である魔族の姫・アナスタシアと、涼しい夜風に当たっていた。
「……静かですね、ライル様」
「ああ。昼間は娘たちが騒がしいからね」
アナスタシアは《宵闇の愛玩人形》のドレスを夜風になびかせ、星空を見上げていた。
魔族である彼女は、本来「闇」や「重力」の属性を持つ。
だが、今夜の彼女の周りには、不思議と心地よい「風」が渦巻いていた。
「……不思議ですわ。
私の中の闇が、風に洗われていくようです」
アナスタシアがそっとライルの胸に寄り添う。
その時、突風が吹いた。
屋敷の窓ガラスがガタガタと鳴り、庭の木々がざわめく。
だが、それは暴風ではなく、まるで世界中の風が彼女を祝福しに集まってきたかのような、意思のある風だった。
「……ライル様。
この風が、教えてくれました」
アナスタシアは自身の腹部に手を当て、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「私にも、二人目の宝物が宿りました。
……魔族の私から、こんなに清らかな風の子が生まれるなんて」
「風の子……?」
「はい。名前は、ファリナ。
“疾風の調律者”。……きっと、世界に新しい風を吹かせる子になりますわ」
ヒュオオオオオッ……!!
その言葉と同時に、上空の雲が一瞬で吹き飛び、満天の星空が現れた。
◇
【天上界・第四セクター【疾風の座】】
プスン……。
神界の空調システム(全天候管理装置)が、完全に停止した。
「あ、暑い……! 風が止まったぞ!?」
「空気が澱んでいる……! 息苦しい!」
神々が首元を緩めて喘ぎ始める。
「ほ、報告します……(酸欠気味)。
第四セクター【風の座】、反応消失……。
風の女神エリュゼ様(通称ファリナ)、転生されました……」
「ま、またかぁぁぁッ!!」
ゼウスは玉座でぐったりとしていた。
魔法が消え、光が消え、水が消え、勝利が消え、そして今、風まで消えた。
神界はもはや、ライフラインが寸断された廃墟同然だ。
「……なぁ、部下よ」
「は、はい」
「残っている女神は、あと誰だ?」
部下の神官が、震える手でリストを確認する。
「……残るは、第一セクター【天后の座】。
すなわち、貴方様の奥方であらせられる、**神々の女王ヘラ様(仮称・ノア)**のみです」
ゼウスの顔色から、神ごときの血の気が引いた。
「つま……り……。
サクヤ(異界の女神)が二人目を妊娠したら、私の妻も地上へ行くということか?」
「……計算上は、そうなります」
「嫌だぁぁぁッ! 独り身は嫌だぁぁぁッ!!」
ゼウスの絶叫は、風のない神界に虚しく響いた。
勝利の女神もいないため、この運命に「勝つ」こともできない。完全なる詰みである。
◇
【地上・屋敷の庭】
翌朝。
庭では、元・枢機卿ガニスが、止まった風のせいで汗だくになりながら草むしりをしていた。
「……ふぅ。今日は暑いな。風がない」
「ガニスさん、お水です」
元・シスターのマリアが、井戸水(ユリィナの影響で少ししょっぱい)を持ってくる。
「おお、すまないマリア。
……しかし、最近はおめでたい話続きだな。
ミア様のところと、アナスタシア様のところにも二人目ができたとか」
「はい。屋敷はてんてこ舞いですけど、皆様お幸せそうで」
マリアが微笑むと、ガニスは空を見上げた。
「……かつて我々は、天空の神に祈っていた。
だが、神々は何もしてくれなかった。
……今、こうして庭の草をむしり、赤ん坊のオムツを替えている方が、よほど世界のためになっている気がするよ」
「ふふ、そうですね。
あ、ヘスティアー様! そっちの草は燃やさないでー!」
マリアが駆けていく。
ガニスは鍬を握り直した。
「さあ、働くか。
……神界がどうなろうと、ここの芝生だけは守り抜くぞ!」
地上は平和だ。
神がいなくても、ライルと家族たちが笑っていれば、世界は回る。
……ただし、あと一柱。
「神々の女王」が転生する時、神界は本当の意味で「崩壊(閉店)」を迎えることになる。
その時は、もうすぐそこまで迫っていた。




