第八話 素顔なき踊り子
その夜、部隊にとって初めての酒宴が開かれた。
立て続けの戦を凌ぎ切り、次の出陣までいくらか猶予ができたことを見て取ったジークハルトが、「たまには気を抜く時があってもいいだろう」と持ちかけたのが始まりだった。
焚き火が組まれ、酒が振る舞われる中、誰からともなく声が上がった。
「隊長、一言くらい挨拶したらどうだ」
促されるまま、ヴィルヘルムは立ち上がった。
「……こうして、皆で顔を揃えるのは、初めてかもしれません」
村を守った日から、ここまで、随分と慌ただしく過ごしてきた。
「至らないことも多いと思いますが、これからもよろしくお願いします」
気の利いた言葉は出てこなかった。
それでも、兵たちからは温かい拍手が返ってきた。
「兵站の方も、一言どうだ」
声をかけられ、エルサは億劫そうに立ち上がった。
「……エルサだ。飯と物資が尽きないよう、算段するのが仕事だ」
それだけ言って座ろうとするエルサに、リーゼルが横から茶々を入れる。
「もっと愛想よくできないんですか、姉さん」
「……姉さん?」
エルサが、怪訝そうに片眉を上げた。
「駄目でしたか? なんか、放っておけない感じがして」
「知らん。好きに呼べ」
素っ気ない返事に見えて、まんざらでもなさそうな気配が、その口元にわずかに滲んでいた。
続いて、男の兵士の一人が、からかうように声を上げた。
「兵站のねーちゃんが、そんな細っこい腕で何ができるんだ? 荷物運びなら、俺らの方が向いてるぜ」
どっと笑いが起こる中、エルサは眉一つ動かさなかった。
「腕っぷしで語るなら、お前らの方が上だろうな」
「だろ?」
「だが、あと十日も保たないはずだった物資を、今も保たせてるのは誰の算段だと思ってる」
その一言に、笑いが少し引っ込んだ。
「……減らず口だけは達者だな」
「口が達者な方が、腹を空かせて死ぬよりマシだろう」
淡々とした返しに、兵士は苦笑しながら降参するように両手を上げた。
場が温まったところで、天幕の一角から声が上がった。
「今宵は、バルドゥイン様のお計らいで余興が届いたそうだ。踊り子だと」
ざわめきが広がる中、現れたのは一人の女だった。
薄布を纏い、素顔を隠すように化粧を施している。
誰も、その正体には気づいていなかった。
楽の音が鳴り始めると、女は静かに舞い始めた。
その所作は、酒場の踊り子にありがちな媚びた振る舞いとは、明らかに一線を画していた。
一つ一つの動きに、洗練された品と、確かな鍛錬の跡がある。
気づけば、兵たちは息を呑んでその舞に見入っていた。
舞が終わると、割れんばかりの拍手と歓声が上がる。
「こいつは驚いた、こんな辺境で見る踊りとは思えねぇ」
「どこの踊り子だ、こりゃ相当な腕だぞ」
賞賛の声に紛れるように、酔った傭兵の一人が踊り子――イルゼの肩に馴れ馴れしく手を伸ばした。
「なあ嬢ちゃん、こっちで一杯どうだ」
その手が触れる寸前、別の腕がそれを制した。
「よせ」
低い声で割って入ったのは、ジークハルトの部下の一人だった。
「客人に無体を働くな。バルドゥイン様の顔に泥を塗る気か」
酔った傭兵は、ばつが悪そうに手を引っ込めた。
「……悪い」
制した男は、短く息を吐くと、周囲に向き直った。
「フリッツだ。ジークハルト様の下で、副官のようなことをやっている」
寡黙な物腰だったが、その一言だけで、場の空気が少し引き締まった。
イルゼは、助けられた形になったことに戸惑いながらも、小さく頭を下げた。
素顔を隠したその表情の奥に、何か複雑な感情が過ぎったのを、ヴィルヘルムは見逃さなかった。
(あの目は……何か、思い詰めているような)
だが、それが何なのか、この時はまだ分からなかった。
宴はその後も続き、素性を明かさぬままの踊り子は、いつしかヴィルヘルムの近くに腰を下ろしていた。
「……お強いんですね、あなたの部隊は」
素顔を隠したまま、女はそう囁いた。
「まだまだです。皆に、助けられてばかりで」
「謙遜、なさるんですね」
その声には、どこか探るような響きがあった。
ヴィルヘルムは、素顔の見えぬその女に、言いようのない違和感を覚えていた。
(この人は、何者なんだ)
楽しげな酒宴の喧騒の中、二人の間にだけ、奇妙な緊張が流れていた。
(第九話へ続く)




