第六話 奪わぬ道
ジークハルトが加わってから、部隊の空気は目に見えて変わった。
「……あの傭兵隊長を降しただと?」
「血統もねぇガキが、とんでもねぇ拾い物をしたもんだ」
これまで冷ややかだった視線の中に、わずかな驚きと、戸惑いに似た敬意が混じり始めていた。
リーゼルは、相変わらずどこか気まずそうにヴィルヘルムを見ていた。
「……あの時は、助かりました」
「いや、当然のことをしただけだ」
「当然って言うには、隊長がやることじゃないですよ」
リーゼルは、拗ねたように唇を尖らせた。
「大体、私の方が年上なんですから、庇われるのは筋が違います」
「……そうだったな。年上らしく、次はしっかり自分の身を守ってくれ」
からかうつもりで返した一言に、リーゼルは頬を膨らませた。
「そういうところが、年下に見られる原因なんですよ」
場違いなほど、ささやかなやり取りだった。
それでも、こうした時間が、確かに部隊の中に根付き始めていた。
その平穏は、長くは続かなかった。
「物資が、足りない」
ジークハルトが、地図を睨みながら低く呟いた。
「行軍の速度に、補給が追いついていない。あと十日も保たないだろう」
ヴィルヘルムの背筋が冷えた。
兵站が尽きるということは、そのまま部隊の崩壊を意味する。
バルドゥインの本陣に報告に上がると、返ってきたのは予想通りの答えだった。
「近隣の村から徴発しろ」
バルドゥインは、事もなげにそう告げた。
「渋るようなら、力ずくで構わん。奪えなければ、こちらが飢えるだけだ」
その言葉に、ヴィルヘルムの中で何かが軋んだ。
(それは……村を、また)
隠蔽虐殺、追放、虐殺。
この世界がこれまで繰り返してきた、あの悲劇と同じ構図だった。
「……分かりました」
それだけ答えるので、精一杯だった。
命令を受け、ヴィルヘルムたちが向かった先には、小さな村があった。
村人たちは、兵の姿を見るなり怯えた目を向けてくる。
その光景は、いつかのグリューンヴァルト村を思い起こさせた。
「食料を、供出してもらいたい」
ヴィルヘルムが、なるべく穏やかに告げようとした、その時だった。
「――待ちなさい」
鋭い声が響いた。
声の主は、痩せた体格の若い女だった。
腰まで届く黒髪が、風に揺れている。
粗末な身なりだが、黒い瞳には怯えではなく、強い意志が宿っていた。
「力づくで奪えば、この村は今年を越せずに死人が出る。今の蓄えを全部持っていけば、それこそ来年には、また別の反乱の種を蒔くだけだ」
「……お前は」
「エルサ。ただの、村の女だ」
エルサと名乗った女は、怯むことなくヴィルヘルムを見据えた。
「奪うんじゃなく、"回す"やり方がある。今の蓄えの何を残し、何を出せば、村も、あんたたちの軍も、共倒れにならずに済むか」
「それが、分かるのか」
「幼い頃、追放された村の一つで育った。飢えて死ぬ人間を、嫌というほど見てきた」
エルサの声には、感情の昂りよりも、乾いた諦観のようなものが滲んでいた。
「だから、誰よりも分かる。どこまでなら、人は死なずに済むのか」
その言葉に、ヴィルヘルムは息を呑んだ。
(――兵站を制する者が、戦を制する)
前世で触れた、多くの戦の記録が、共通してそう語っていたことを思い出す。
華々しい武功の裏で、兵站を疎かにした軍が、あっけなく瓦解していった例を、何度も読んだ。
これは、ただの村人の抵抗ではない。
兵站という、この世界の根本的な問題そのものを、正確に見抜いている人間の言葉だった。
ジークハルトが、横からヴィルヘルムに耳打ちする。
「……使えるな、あれは」
ヴィルヘルムは、頷いた。
そして、エルサに向き直る。
「力づくの徴発はしない」
その言葉に、村人たちがどよめいた。
「代わりに、お前の知恵を貸してほしい。俺たちの部隊に、来てくれないか」
エルサは、しばらくヴィルヘルムを値踏みするように見つめていた。
「……貴族でもないあんたが、そんな決定をして良いのか」
「良くはないかもしれない。だが、これ以上、飢えのために村が壊れるのは、もう見たくない」
その言葉に、エルサは初めて、わずかに表情を緩めた。
「……変わった男だ」
小さく息を吐き、頷く。
「いいだろう。あんたの"回し方"とやらに、乗ってやる」
こうして、また一人、ヴィルヘルムの元に力が加わった。
それは同時に、バルドゥインの方針とは明確に異なる道を、ヴィルヘルム自身が選び取った瞬間でもあった。
(第七話へ続く)




