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第五話 狼、牙を収める

三度目の対峙が命じられたのは、それから数日後のことだった。


「決着をつけろ」


バルドゥインの声には、これまでにない苛立ちが滲んでいた。


「いつまでも小競り合いを続けられては、こちらの体面に関わる」


ヴィルヘルムは、その言葉に頷きながらも、内心では複雑な感情を抱えていた。


(ジークハルトを、殺すのか)


敵として殺し合うはずの相手に、いつの間にか奇妙な敬意のようなものを抱いている自分に気づいていた。


それでも、命令には従うしかなかった。



戦場に立つと、ジークハルトの部隊の空気が、以前とは違うことにヴィルヘルムはすぐに気づいた。


探るような動きは、もうない。


最初から、全力で来ている。


「今日は、手加減なしだ」


遠くから、ジークハルトの声が届いた気がした。


ヴィルヘルムは槍を構え、意識を集中させる。


視界が割れる。


統率された分岐が、以前よりもさらに速く、鋭く流れ込んでくる。


(前より、速い……!)


予知でなんとか追いつきはするものの、単純な力量では、まだ及ばない。


陣形はじわじわと押し込まれていった。



その均衡が崩れたのは、ほんの一瞬の隙だった。


部隊の後方、まだ実戦に不慣れな一人の女性兵士――リーゼルが、敵の急襲に晒された。


小柄な体躯に、肩までの黒髪。歳の割に幼く見える顔立ちに、黒い瞳が恐怖に見開かれている。


ヴィルヘルムの視界にも、その光景は視えていた。


(このままでは、リーゼルが死ぬ)


損得だけで言えば、部隊全体の陣形維持を優先すべき場面だった。


だが、ヴィルヘルムの体は、考えるより先に動いていた。


「リーゼル、伏せろ!」


叫びながら、自ら間に割って入る。


敵の一撃を、槍の柄で辛うじて受け流した。


衝撃に手が痺れる。


「な……っ、隊長が前に出てどうする!」


リーゼルの悲鳴じみた声が背後から聞こえた。


だが、ヴィルヘルムは退かなかった。



その光景を、ジークハルトは間近で見ていた。


味方を庇うために、指揮官自らが最前線に出る。


采配としては、褒められたものではない。


それでも――


「……なぜだ」


攻防の合間、ジークハルトが低く問いかけてきた。


「なぜ、一兵卒のために自ら危険を冒す。お前が死ねば、それこそ元も子もあるまい」


ヴィルヘルムは、荒い息の合間に答えた。


「勝つためだけなら……それでもいい、のかもしれません」


「……」


「でも、勝った後に誰もいなくなってたら……それは、何のために勝ったのか、分からなくなる」


その言葉に、ジークハルトは束の間、槍を止めた。


「……甘いな」


「知ってます」


「だが」


ジークハルトは、自嘲するように笑った。


「その甘さで、烏合の衆相手にも、俺相手にも、まだ立っているというわけか」


沈黙が流れた。


やがて、ジークハルトはゆっくりと槍を下げた。


「……バルドゥインは、俺のような血のない者を、使い捨ての駒としか見ていない」


「お前は、どうだ」


ヴィルヘルムは、まっすぐにジークハルトを見つめ返した。


「分かりません。まだ、何も返せてない」


「ですが……あなたの力は、こんな所で潰していい力じゃないと、思ってます」


それは、口説き文句でも、戦術的な計算でもなかった。


ただの、本音だった。


ジークハルトは、しばらく黙り込んでいたが、やがて肩の力を抜いた。


「……面白い小僧だ」


槍を、地面に突き立てる。


「俺の首、預けてやる。せいぜい、無駄にするなよ」


その言葉に、ヴィルヘルムは息を呑んだ。


「……はい」


「言っておくが、俺一人の首じゃないぞ」


ジークハルトは、背後に控える自らの部隊――かつての子飼いの傭兵団、およそ百人を振り返った。


「こいつらも、俺について来た連中だ。烏合の衆に義理はなくとも、俺には義理がある、というだけの話だがな」


部下たちからは、戸惑いと同時に、どこか安堵したような空気が漂った。


主が下した決断に、黙って従う構えを見せている。


これで、ヴィルヘルムが預かる兵は、一気に倍近くにまで膨れ上がることになった。



戦場に、静かな緊張が解けていく。


味方の兵たちからは、困惑と、どこか安堵の混じった声が漏れた。


リーゼルは、庇われた驚きも冷めやらぬまま、ただ呆然とヴィルヘルムを見つめていた。



その夜、バルドゥインの元へ報告が届いた。


「ジークハルトが……降伏、いや、寝返っただと?」


バルドゥインは酒杯を片手に、しばらく黙り込んでいた。


やがて、口の端を歪めるように笑う。


「……使える駒が増えるのは、悪くない」


だが、その目の奥には、隠しきれない疑念の色が浮かんでいた。


(小僧、まさか――)


その先の言葉は、声にはならなかった。



(第六話へ続く)


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