第四話 牙を剥く狼
戦後の後始末は、勝利の余韻などとは程遠かった。
倒れた者たちの中から、まだ息のある者を探し出し、担架に乗せていく。
敵も味方も入り混じった呻き声が、平野のあちこちから響いていた。
「……あの男は」
ヴィルヘルムは、負傷兵の手当てを手伝いながら、捕らえられた敵兵の一人に近づいた。
まだ若い、震える声の男だった。
「戦の最中、一人だけ場慣れした動きをしていた男がいた。あれは、誰だ」
捕虜の男は、しばらく躊躇った後、諦めたように口を開いた。
「……ジークハルトだ。元は、貴族お抱えの傭兵隊長だったって話だ」
「傭兵隊長が、なぜ烏合の衆の中に」
「血統がねぇばっかりに、いくら手柄を立てても正当な地位をもらえなかったらしい。飼い殺しにされて、腐ってたところに、俺たちの蜂起に巻き込まれた……いや、拾われたのかもな」
捕虜は自嘲するように笑った。
「あの人がいなけりゃ、俺たちはもっと早く、もっと無様に潰されてたはずだ」
ヴィルヘルムは、その言葉を黙って聞いていた。
(能力があっても、血がなければ正当に扱われない。血統を持たぬ自分と、どこか重なる境遇だ)
その晩、報告を受けたバルドゥインは、興味深そうに笑みを浮かべた。
「ほう。ジークハルトか」
「ご存知で?」
「多少はな。……惜しい男だ、あれほどの腕を持ちながら、血がないというだけで飼い殺しにされていた」
バルドゥインは酒杯を傾けながら、どこか楽しげに続けた。
「だが、そういう男ほど御しやすい。飢えた獣に、餌をちらつかせてやればいい」
「……餌、ですか」
「地位、名誉、あるいは――正当な評価というやつだ」
バルドゥインの目に、ぎらついた光が宿る。
「明日、ジークハルトの部隊を叩く。降せば良し、討ち取ればなお良し。どちらにせよ、私の得にしかならん」
その言葉に、ヴィルヘルムは奇妙な胸騒ぎを覚えた。
敵として殺すか、道具として使うか。
バルドゥインにとって、そのどちらでもいいのだということが、はっきりと伝わってきた。
――一方、その頃。
ジークハルトは、焚き火の前で一人、愛用の槍の穂先を確かめていた。
(あの村の小僧、か)
脳裏に浮かぶのは、先の戦場で見た、あの奇妙な采配だった。
統率のない群衆相手に、まるで見えているかのように的確な指示を飛ばしていた、まだ若い男。
血統を持たぬにもかかわらず、だ。
(俺と、同じ穴の狢か)
能力があっても、血がなければ評価されない。
その理不尽さを、ジークハルトは誰よりも知っていた。
だからこそ、飢えた民の蜂起に、半ば自棄になって加担した。
だが、あの小僧は違う。
貴族に飼われながらも、まだ何かを――守ろうとする目をしていた。
「……つまらん感傷だな」
ジークハルトは、自嘲気味に呟いて、槍を傍らに立てかけた。
明日には、また戦場に立つ。
相手が誰であろうと、生き残るために剣を振るうだけだ。
そのはずだった。
翌朝、両軍は再び対峙した。
出陣を命じられたのは、ヴィルヘルムが預かる百人だった。
丘の上から敵陣を見渡しながら、ヴィルヘルムは支給された槍を握りしめた。
慣れない得物の重みが、掌にじんわりと伝わってくる。
今度は、烏合の衆ではない。
数はざっと見て、こちらと同程度――百に届くかどうかというところか。
だが、統率された、まとまりのある陣形だった。
「……これが」
陣の中央、明らかに指揮を執っているとわかる位置に、あの男――ジークハルトの姿があった。
ヴィルヘルムは、意識を集中させた。
いつものように、視界が割れる。
だが、今度は違った。
群衆のように無数に分岐するのではなく、まるで一つの意志で統率された、研ぎ澄まされた分岐だった。
(統率された敵は、こう視えるのか)
ジークハルトの指示ひとつで、部隊全体が意味のある動きに収束していく。
その動きの精度は、これまでヴィルヘルムが見てきたどの敵とも違っていた。
「……あれが、噂の小僧か」
ジークハルトもまた、丘の上に立つヴィルヘルムを見据えていた。
気の流れを読む彼の目にも、ヴィルヘルムの纏う異様な気配――血統でも気でもない、何か別のものが視えていた。
(あれが、能力だけで俺の隊に喰らいつこうとする"何か"か)
双方が、互いの手の内を探るように、静かに睨み合う。
やがて、ジークハルトが片手を上げた。
その合図と共に、彼の部隊が一糸乱れず動き出す。
「来る……!」
ヴィルヘルムは槍を構え直しながら、必死に分岐を追った。
だが、ジークハルトの采配は、ヴィルヘルムの予知すら僅かに上回る速さで展開されていく。
視えている光景の、その先を、さらに読まれている。
(これが……格上、ということか)
冷や汗が背を伝った。
それでも、ヴィルヘルムは食らいついた。
(崩れた陣は、退くのではなく、一点に固め直せ――そう語った将がいたはずだ)
前世で読んだ、劣勢から陣を立て直した将の逸話が、頭の芯に灯る。
全軍で耐えようとせず、崩れた場所だけを固く縮める。
前世の知識、これまでの戦いで培った判断、そして予知。
持てる全てを総動員し、崩されかけた陣形を、辛うじて立て直す。
一進一退の攻防が、しばらく続いた。
その均衡を破ったのは、些細な誤算だった。
ヴィルヘルムが指示した部隊の一つが、地形を読み違え、僅かに陣形の隙間を作ってしまう。
それは、ほんの一瞬の綻びだった。
だが、ジークハルトはその綻びを見逃さなかった。
「そこか」
静かな呟きと共に、彼自身が動く。
気を纏った一撃が、ヴィルヘルムのすぐ近くまで迫った。
一瞬で間合いを詰めたジークハルトは、長柄の槍を捨て置き、腰の剣を抜き放っていた。
「――っ!」
とっさに視えた分岐に従い、槍の柄で受け流しながら、体を捻る。
紙一重で、刃が頬をかすめた。
ジークハルトは、そこで初めて足を止めた。
間近で見るその男は、見上げるほどの長身だった。
使い込まれた皮鎧に身を包み、服の上からでも分かる、全身にくまなく鍛え上げられた筋肉。だが、いかにも屈強といった厚みではなく、無駄なく引き締まった、しなやかな体つきをしている。
黒髪を短く整え、黒い瞳が、目の前で、恐怖に顔を強張らせながらも、まだ立っている若者を見据えていた。
「……お前」
ジークハルトの声に、これまでとは違う響きが混じった。
「今のを、視えていたのか。それとも、勘か」
「……視えて、ました」
ヴィルヘルムは、震える声で答えた。
ジークハルトは、しばらく黙ってヴィルヘルムを見つめていた。
その目には、敵意とは少し違う、何かを測るような色があった。
「……面白い」
ぽつりと、そう呟く。
そして、剣を鞘に収め、傍らの槍を拾い上げた。
「今日はここまでにしておこう」
「……退くんですか」
「ああ。これ以上は、互いに損だ」
ジークハルトは踵を返しながら、最後にもう一度だけヴィルヘルムを振り返った。
「――お前、名は?」
「ヴィルヘルムです」
「ヴィルヘルム、か」
ジークハルトの口元に、初めてわずかな笑みが浮かんだ。
「覚えておこう」
その言葉を最後に、ジークハルトは部隊と共に去っていった。
ヴィルヘルムは、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
手にはまだ、槍を握りしめたままだった。
手足の震えは、まだ止まらなかった。
だが、心のどこかで、確かな手応えも感じていた。
(あの人は……)
敵として、殺し合うはずの相手だった。
それなのに、なぜかその背中を見送りながら、ヴィルヘルムの胸には、奇妙な予感が残っていた。
(第五話へ続く)




