第三十九話 冬支度
ゴルデンハイムの城、作業場の片隅に、ヴィルヘルムは何枚もの図面を広げていた。
前世の記憶を辿りながら、幾晩もかけて描き上げた設計図だった。
「これが、隊長の考えていた道具ですか」
バルトが、興味深そうに図面を覗き込んだ。
「はい。まず、こちらは、踏み込んで土を耕す道具です。柄が長く、足で踏み込む力を使えるので、腰への負担が、これまでより軽くなるはずです」
「踏み鋤、ってやつだな」
バルトが、感心したように呟いた。
「刃の部分は、鉄で。柄の部分は、木で作ってもらいたいと思っています」
「なら、木工のリーザとも、話を詰めねぇとな」
「もう一つ、こちらは、脱穀のための道具です」
ヴィルヘルムは、別の図面を指した。
「穂先を、この歯の間に通して引くだけで、効率よく実を落とせます」
「面白ぇ形だ。……見たことねぇが、理屈は分かる」
バルトは、しばらく図面を睨んでいたが、やがてニヤリと笑った。
「よし、試しに一つ、作ってみるか」
「今すぐ、量産というわけにはいかないでしょうから」
「ああ。まずは、試作を重ねて、形を詰めていく。使い物になると分かってから、本格的にやらねぇと、無駄が出る」
「農作業が本格化する、来年の春までに、間に合わせられればと思っています」
「それなら、十分な余裕がある」
バルトは、静かに頷いた。
「学びの場についても、進めておきたいですね」
ヴィルヘルムが、続けてマティアスに向き直った。
「場所の当てはあります。あとは、教える者を、どう揃えるかですね」
「私一人では、さすがに手が回りません。読み書きができる者を、少しずつ集めていきましょう」
「隊長も、教える側に立てるんじゃないですか」
マティアスが、ふと思いついたように言った。
「俺で、務まりますかね」
「人並みには、読み書きができるでしょう。それだけでも、十分ですよ」
その言葉に、ヴィルヘルムは小さく頷いた。
(子供の頃、幼馴染や、家族と一緒に、教わったんだったな)
誰に教わったのか、記憶はどこか朧げだった。
(今思えば、教えてくれた人は、貴族みたいな身なりをしていたな……あの人は、貴族だったんだろうか)
確かめる術は、もうない。
(まあ、考えても、仕方ないか)
そこまでは、口にしなかった。
その時、話を聞きつけたのか、リーゼルが顔を覗かせた。
「私も、字は読めますよ。父さんに、少しだけ教わったので」
「読めるんですね。では、書く方は」
その問いに、リーゼルは、途端に目を逸らした。
「……そっちは、あんまり」
「あんまり、というと」
「自分の名前くらいなら、なんとか。それ以上は、ちょっと……」
その歯切れの悪さに、ヴィルヘルムは思わず口の端を上げた。
「では、今度、俺が教えましょうか」
「け、結構です!」
リーゼルが、慌てて首を振った。
「隊長に教わるとか、恥ずかしすぎます!」
「そんなに、恥ずかしがることでも」
「あります! 絶対あります!」
その慌てぶりに、その場に小さな笑いが起こった。
「まあ、いつでも待っていますから」
ヴィルヘルムが、からかうようにそう言うと、リーゼルは、真っ赤な顔のまま、逃げるようにその場を後にした。
「時間は、かかりそうですね」
「教える内容も、一から整えねばなりません。……こちらも、来年の春の開校を、目標にするのが現実的でしょう」
「では、そのつもりで、準備を進めましょう」
ヴィルヘルムの言葉に、マティアスは頷いた。
それから、街では、冬に向けた準備が、静かに進められていった。
バルトの工房では、幾度も試作が繰り返され、少しずつ、道具の形が磨かれていった。
「柄の角度が、まだしっくりこねぇ」
「では、もう少し、緩やかにしてみましょうか」
リーザとバルトが、試行錯誤を重ねる様子を、ヴィルヘルムは時折、見に訪れていた。
「刃の角度も、少し変えてみたんですが」
バルトが、新たな試作品を差し出す。
ヴィルヘルムは、実際にそれを手に取り、感触を確かめた。
「前のものより、握りやすくなった気がします」
「だろう? 使う者の手に馴染むよう、少しずつ、詰めていってるところだ」
その一つ一つの工夫が、着実に道具の完成度を高めていた。
マティアスもまた、教材となる文字の一覧や、簡単な計算の手ほどきを、コツコツと整えていた。
「隊長、少しは、様になってきましたか」
「はい。この分なら、きっと良いものになります」
「街の子供たちだけじゃなく、大人にも、興味を持ってもらえるといいのですが」
「その点は、心配していません。……この街の人たちは、皆、貪欲に学ぼうとしていますから」
ヴィルヘルムの言葉に、マティアスは満足げに頷いた。
春の完成に向けて、それぞれが、着実に歩みを進めていた。
やがて、冬が訪れようとしていた。
その頃、エルサもまた、冬に向けた備えに追われていた。
「保存食の蓄えは、どうですか」
ヴィルヘルムが尋ねると、エルサは帳面を片手に答えた。
「塩漬けと、乾燥させたものを合わせれば、この街の全員が、冬を越すには十分な量がある。地下の貯蔵施設も、完成してから、随分と助かってる」
「良かった」
「それに、街の外の畑では、麦が、雪の下で無事に冬を越そうとしている。収穫は来年の夏になるが、今のところ順調だ」
その報告に、ヴィルヘルムは深く頷いた。
昨年の今頃は、まだ荒れ地を耕し始めたばかりだった。
それが今では、こうして冬を越す備えを、確かな形で語れるようになっている。
(積み重ねてきたものが、少しずつ、実を結んでいる)
その実感が、ヴィルヘルムの胸に、静かな温かさを広げていた。
「北の大河沿いの水路も、凍結対策は済ませてある。水路の爺さんが、しっかり見てくれてるからな」
「頼もしい限りです」
「炭鉱の方も、冬の間は掘り進めが難しくなるが、それを見越して、既に十分な鉄鉱石は確保済みだそうだ」
エルサが、一つ一つ、指を折りながら確認していく。
「屯田の兵たちの防寒具は」
「そこは、木工と、布を扱う職人たちに、急ぎ手配させている。凍える兵を出すわけにはいかないからな」
「ありがとうございます、エルサ」
「礼はいい。……これが、私の仕事だ」
エルサは、素っ気なくそう答えたが、その口元には、僅かな誇らしさが滲んでいた。
街全体が、冬を迎える準備を、着実に整えていく。
それぞれの部門が、それぞれの持ち場で力を尽くす様子を、ヴィルヘルムは、静かな頼もしさと共に見つめていた。
(第四十話へ続く)




