第四十話 新しい年に
年の瀬、ゴルデンハイムの広場は、これまで見たこともないほどの賑わいに包まれていた。
「明日は、新年です! それに合わせて、私や、皆さんの誕生日も、まとめて祝いましょう!」
ヴィルヘルムの号令に、集まった人々から歓声が上がる。
「今日は、その前夜祭です! 今日と明日、二日がかりの祭りといきましょう! 皆、乾杯!」
その号令と共に、広場中が、瞬く間に祝宴の熱気に包まれていった。
焚き火が幾つも組まれ、串焼きの香ばしい匂いが漂う。
ハンスとリーゼルは、子供たちを交えて、輪になって踊っていた。
「父さん、下手すぎ!」
「うるせぇ、俺の年で、こんなもんだ!」
その掛け合いに、周りから笑いが起こる。
踊りの輪から少し離れた場所で、ハンスは、ふと空を見上げた。
(母さんも、こんな日が来るとは、思っちゃいなかっただろうな)
亡き妻のことを、ふと思い出す。
それでも、悲しみよりも、今は、目の前で笑うリーゼルの姿に、確かな幸せを感じていた。
リーゼルもまた、踊りながら、ちらりと隊列の方を見やっていた。
(隊長も、ジークハルトさんも、エルサ姉さんも……皆、一緒にいられる。それだけで、十分だ)
その思いを、口にすることはなかったが、彼女の笑顔には、確かな充足感が滲んでいた。
フリッツは、珍しく杯を傾けながら、コンラートと静かに酒を酌み交わしていた。
「まさか、あの戦の後、こんな穏やかな夜が来るとはな」
フリッツが、しみじみと呟いた。
「本当にな。……お前が、部下になったばかりの頃は、こんな日が来るとは、思ってもみなかっただろう」
「ああ。……悪くない未来だ」
コンラートは、静かにそう呟くと、杯を傾けた。
「俺は、口数が多い方じゃない。だが」
フリッツが、珍しく続けた。
「隊長についてきて、良かったと思ってる。……お前が、こうして仲間になってくれたこともだ」
その不器用な言葉に、コンラートは、少し驚いたように目を見開いた後、静かに笑った。
「らしくないな、フリッツ」
「酒のせいだ」
二人は、それ以上多くを語らず、ただ静かに杯を重ねていった。
「隊長の考えそうなことだ。誕生日がいつか、よく分からない者が多いなら、まとめて祝ってしまえ、とはな」
ジークハルトが、感心したように言った。
「まったく、変わった発想をする」
マティアスも、億劫そうにしながらも、珍しく上機嫌な様子で、酒を口にしていた。
「変わってはいますが、悪くない発想ですよ。……準備は、私が引き受けましたがね」
ジークハルトは、遠く広場を見渡しながら、静かに目を細めた。
(傭兵として、誰にも顧みられなかった俺が、こんな場所で、こんな夜を迎えるとはな)
かつての自分では、想像もできなかった光景だった。
「隊長には、返しきれない恩がある」
ぽつりと呟いたその言葉に、マティアスが、意外そうに片眉を上げた。
「珍しく、殊勝なことを言いますね」
「今日くらいは、いいだろう」
ジークハルトは、そう言って、酒杯を大きく傾けた。
少し離れた場所に、フェルディナントの姿もあった。
妻のエリーゼ、そして息子のフリーデルと共に、静かに祝宴の輪に加わっている。
「隊長」
フェルディナントが、軽く会釈をしながら、声をかけてきた。
「フェルディナントさん、来てくれたんですね」
「せっかくの祭りです。家族皆で、楽しもうと思いまして」
フリーデルが、興味深そうに、周りの賑わいを見渡していた。
「お父様、皆、楽しそうですね」
「ああ。……こういう夜があることも、悪くないものだな」
フェルディナントの声には、これまでにない柔らかさが滲んでいた。
「良いお年を」
エリーゼが、静かに微笑みながら、そう言葉を添えた。
その言い回しに、ヴィルヘルムは、僅かに目を見開いた。
(その言葉、俺が広めたものだけどな)
いつの間にか、街の人々の間にも、すっかり馴染んでいるらしい。
「はい。皆さんも」
その温かなやり取りに、ヴィルヘルムは、小さく頭を下げた。
遠くでは、農耕や、鍛冶、木工、林業に携わる者たちも、それぞれの輪で祝杯を交わしている。
皆、それぞれの持ち場で積み重ねてきた日々を、今宵ばかりは労い合っていた。
その賑わいの中心で、ヴィルヘルムは、次々と勧められる酒を、断りきれずにいた。
「隊長も、もっと飲んでくださいよ!」
「今日くらいは、羽目を外していいんですぜ!」
兵たちに囲まれ、杯を重ねるうちに、ヴィルヘルムの顔は、次第に赤みを帯びていった。
「……あれ、なんか、視界が、揺れて」
呂律の怪しくなった声で、ヴィルヘルムが呟く。
「おいおい、隊長、大丈夫か」
ジークハルトが、苦笑しながら覗き込んだ。
「だいじょ……ぶれす」
明らかに、大丈夫ではない様子だった。
ふらつく足取りで立ち上がったヴィルヘルムは、少し離れた場所にいたエルサの元へと、千鳥足で向かっていった。
「エルサぁ、なあ、聞いてくれよぉ」
「……なんだ、随分と出来上がってるな」
エルサが、呆れたように腕を組んだ。
「お前は、いっつも、頑張っててさぁ。俺、ちゃんと、見てるからな」
「……酔っ払いの世迷い言か」
「違うって! 本気で言ってんだよ!」
その声に、周りにいた兵たちまでもが、面白がって集まってくる。
「隊長、それは口説いてるんですかい!」
「よし、俺たちも便乗しよう!」
「エルサ殿、俺も、前々からお慕いしてまして!」
便乗する兵たちの声に、エルサの額に、青筋が浮かんだ。
「お前ら、揃いも揃って……!」
「エルサぁ、俺の話、まだ終わってな……」
「うるさい、酔っ払いは寝てろ!」
エルサの一喝と共に、ヴィルヘルムの体が、思い切り小突かれる。
「うわっ」
そのままヴィルヘルムは、地面に尻もちをついた。
それでも、めげずに立ち上がろうとする。
「まだ、話は……」
「いい加減にしろ」
エルサが、今度は容赦なく頭を小突いた。
「痛っ……ひどいよぉ」
涙目になりながらも、ヴィルヘルムは、なおもエルサの周りをうろつこうとしていた。
その光景に、広場中から、割れんばかりの笑いが起こった。
「隊長のあんな姿、初めて見た!」
「これは、語り継がれるな……!」
リーゼルが、涙を流さんばかりに笑い転げている。
「まったく、世話の焼ける」
エルサは、そう言いながらも、ヴィルヘルムを引き起こし、水を運んでくるよう、誰かに指示を飛ばしていた。
(……馬鹿な奴)
その口元に、隠しきれない笑みが浮かんでいるのを、エルサ自身は、気づいていなかった。
夜通し続いた祭りは、いつしか、皆が思い思いの場所で眠りに落ちるまで続いていた。
酔い潰れた者、抱き合って踊り疲れた者、焚き火の傍でうとうとする者。
それぞれの形で、夜が更けていった。
そして、東の空が白み始めた頃。
「日が、昇るぞ!」
誰かの声に、まだ起きていた者たちが、次々と空を見上げた。
地平線から、朝日が顔を覗かせる。
「新年、おめでとう! そして、皆の誕生日も、おめでとう!」
一斉に上がった歓声が、朝の空に響き渡った。
酔い潰れて、少し離れた場所で寝かされていたヴィルヘルムも、その歓声に、ぼんやりと目を開けた。
「……あけまして」
まだ呂律の回らない声で、そう呟く。
その隣で、エルサが、呆れたように、それでいてどこか優しい目で、その様子を見守っていた。
新しい年と共に、この日、皆が揃って一つ、歳を重ねたのだった。
(第四十一話へ続く)




