第三十四話 誇りの行方
ゴルデンハイムを手に入れた、まだ間もない頃のことだった。
「隊長、一つ、ご報告が」
コンラートが、そう切り出したのは、内政改革が動き出し始めた頃だった。
「以前から、気になっていることがありまして」
「何でしょう」
「この街には、隠居した元貴族がいる、という噂があります。フェルディナント様という方だとか」
「詳しく、聞かせてください」
「ミダースの頃、戦闘に不向きな血統魔法しか持たなかったせいで、軽んじられ、切り捨てられたと聞きます。以来、街のどこかで、ひっそりと暮らしているとか」
「探してみてもらえますか」
「承知しました」
それから、コンラートによる捜索が、密かに続けられていた。
内政改革の会議が幾つも重ねられる間も、その裏で、フェルディナントの行方を追う調査は、地道に進められていた。
「隊長、ようやく、見つかりました」
数週間の後、コンラートが、報告に来た。
「街の外れに、目立たぬ形で暮らしていました。それと、これは近所の者から聞いた話ですが……フェルディナント様は、貴族だった頃、水利や、街づくりの差配にも携わっていたことがあるそうです」
「治水や、土木にも、通じているかもしれない、ということですね」
「その可能性は、あるかと」
「会いに行きましょう」
訪ねた先は、小さな古い家だった。
出迎えたのは、メガネをかけた、貴族らしい端整な顔立ちの男だった。
「……何用だ」
「フェルディナント様、でしょうか」
「……フェルディナント様、などと。他人からそう呼ばれるのは、久しくなかったな」
男は、警戒を滲ませながら、ヴィルヘルムを見据えた。
その背後、家の奥から、幼い子供が顔を覗かせた。
「お父様……?」
「フリーデル、下がっていなさい」
フェルディナントが、静かにそう言うと、子供は不安げな顔のまま、奥へと引っ込んでいった。
入れ替わるように、一人の女性が、フェルディナントの傍に歩み寄った。
「あなた、お客人ですか」
「エリーゼ、心配ない。すぐに済む」
「私は、ヴィルヘルムと申します。今、この街を治めています」
「噂の、平民上がりの領主か」
フェルディナントの声には、隠しきれない皮肉が滲んでいた。
「私に、何の用だ」
「あなたの、力を借りたいんです。かつて、水利や、街づくりにも携わっていたと伺いました」
「……よく調べたものだ」
フェルディナントは、忌々しげに目を細めた。
「だが、断る。私の力は、戦にも、政にも、大して役に立たなかった。だからこそ、こうして捨てられ、隠れ住んでいる」
「それでも、この国には、必要な知識です」
「平民の下で働けと言うのか」
フェルディナントの声に、明確な拒絶が滲んだ。
「貴族としての誇りを、そう簡単に捨てられるものではない」
「今すぐの返事は、求めません。ただ、一度、この街の様子を見ていただけませんか」
「見たところで、何も変わらん」
「それでも」
ヴィルヘルムは、まっすぐに見据えた。
「断るにしても、見てからにしてください」
フェルディナントは、しばらく訝しげにヴィルヘルムを見つめていたが、やがて、小さくため息をついた。
「……好きにしろ。だが、私の答えは変わらんぞ」
その日から、フェルディナントは、今まで足を向けなかった場所にまで、街を歩いてみるようになった。
元敵兵として寝返った者と、生粋の民が、共に槍の稽古をつけている。
女性の職人が、堂々と鍛冶場で槌を振るっている。
難民として流れ着いた者が、部門の責任者として、若い衆に指示を出している。
それらの光景を、フェルディナントは、複雑な表情で眺めていた。
「……馬鹿げている」
独り言のように、そう呟く。
だが、その声には、これまでの侮蔑とは違う、戸惑いに近い響きが混じっていた。
幾日か経った、ある日のことだった。
街の外れで、フェルディナントは、水路の補修に当たる作業員たちの姿を見かけた。
老いた指揮役が、若い衆に的確な指示を飛ばしている。
「そこの土台、もう少し固めておけ。緩いと、すぐに崩れるぞ」
その采配は、素人目にも、堂に入ったものだった。
「……あれが、噂の」
フェルディナントは、しばらくその様子を見つめ続けていた。
かつて、貴族としての誇りだけを支えに、腐りかけていた自分自身の姿と、目の前の光景が、重なって見えた。
(あの老人には、誇りを持てる役目がある。私には、それがないのか)
その夜、フェルディナントは、一人、酒を煽りながら、これまでの人生を思い返していた。
戦えぬ血統魔法を蔑まれ、政の場でも侮られ、最後には切り捨てられた。
それでも、貴族としての矜持だけは、捨てられずにいた。
(その矜持に、一体、何の意味がある)
隣の部屋からは、寝息を立てるフリードリヒの気配が、微かに聞こえていた。
エリーゼは、何も言わずに、そっと酒を注ぎ足してくれる。
その優しさに、フェルディナントは、かえって胸が締め付けられた。
(いつまで、この暮らしを、続けさせる気だ)
貴族としての誇りを守り続けた先に、待っているのは、変わらぬ困窮だけだった。
その問いに、答えは出なかった。
数日後、フェルディナントは、初めて自らヴィルヘルムの元を訪れていた。
「一つ、聞きたい」
「何でしょう」
「お前は、本当に、貴族も、平民も、関係ないと思っているのか」
「はい」
ヴィルヘルムは、迷いなく答えた。
「誰かのために、頑張ろうとする気があるかどうか。俺が見ているのは、そこだけです」
その言葉に、フェルディナントは、しばらく黙り込んでいた。
「……私は、長年、自分の血統魔法を、恥じてきた。戦えぬ力など、貴族として無価値だと」
「そんなことは」
「だが」
フェルディナントは、ヴィルヘルムを遮るように続けた。
「街で見た、あの水路の老いた指揮役。あれも、平民だそうだな。それでも、確かな知識と采配で、大勢を動かしていた。……あれを見て、思い知らされた」
「何をですか」
「価値があるかどうかを決めるのは、血ではない。何かを成そうとする、その気持ちだと」
フェルディナントは、深く息を吐くと、まっすぐにヴィルヘルムを見た。
「フェルディナント・フォン・シュタインヴェーク。まだ、迷いがないと言えば嘘になる。だが、この力、試させてもらおう」
その言葉に、ヴィルヘルムは、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。……ただ、期待には応えてもらうぞ。私自身、もう一度、これに賭けてみたいのでな」
フェルディナントの声には、これまでとは違う、確かな熱が宿っていた。
こうして、この街に、また一人、新たな力が加わった。
(第三十五話へ続く)




