第三十二話 東への使者
ゴルデンハイムの城、会議の場に、ヴィルヘルム、エルサ、マティアス、ジークハルトが顔を揃えていた。
「今日は、周辺の国々について、話し合いたいと思います」
ヴィルヘルムが切り出すと、マティアスが興味深そうに顔を上げた。
「外交、ですか。珍しく、私の得意分野が来ましたね」
「東に、ラウレンティアという、海に面した国があります。豊かな国だとか」
「ええ、旅の途中で、噂程度には耳にしたことがあります。海運が盛んで、他国にはない品も多く出回っている、と」
マティアスの言葉に、エルサが身を乗り出した。
「他国にはない品、というと、具体的には」
「海産物や、香辛料、この辺りでは見かけない布地なども出回っているとか」
「それが手に入れば、兵站の幅も、随分と広がる」
エルサは、既に頭の中で算段を巡らせているような顔をしていた。
「その国と、まともに渡り合えれば、この街にとっても得るものは大きいはずだ」
「特に、あの国には米というものがあると聞いたことがあります」
マティアスの言葉に、ヴィルヘルムは思わず息を呑んだ。
「米、ですか」
「ええ。麦とは違う、粒状の穀物だとか。この辺りでは、まず見かけない代物です」
その一言に、ヴィルヘルムの中で、前世の記憶が強く疼いた。
(米が、あるのか……)
表には出さなかったが、内心の高鳴りは、隠しきれるものではなかった。
「ただ、慎重に進めるべきかと」
マティアスが、億劫そうにしながらも、釘を刺すように言った。
「相手の国がどんな体制で、どんな考えを持っているか、分からないまま使者を送るのは、危うい。まず、情報を集めるところから始めるべきです」
「情報、というと」
「商人や旅人から、それとなく話を聞く。急いては事を仕損じます」
その言葉に、ヴィルヘルムは頷いた。
「では、まず情報収集から進めましょう。コンラートさん、街に出入りする商人の中に、東の国と行き来のある者はいますか」
呼ばれたコンラートが、少し考えてから答えた。
「何人か、心当たりがあります。聞き込みをしてみます」
数日後、コンラートが集めた情報が、会議の場に持ち込まれた。
「王家は、比較的開かれた気質で、他国との交易にも積極的だとか」
「悪くない話ですね」
「ただ、一つ気になる点が」
コンラートが、声を落として続けた。
「近年、他国からの使者を、無下に追い返した例もあるとか。理由までは、掴めませんでしたが」
その話に、マティアスが顎に手を当てた。
「見極めが必要ということですね。……こういう時は、大仰な使者団より、まず小さく、様子を見る形で近づく方がいい」
「具体的には」
「商人に扮した使者を、先行させましょう。正式な国交を持ちかける前に、まず向こうの空気を探る」
その提案に、ヴィルヘルムは頷いた。
「誰か、適任は」
「私が、行きましょう」
マティアスが、意外にもあっさりとそう申し出た。
「マティアスさんが?」
「元々、諸国を渡り歩いていた身です。商人のふりをするのも、慣れています」
「危険は」
「多少はあるでしょう。ですが、この街の内政に詳しく、かつ他国の事情にも通じている者となると、私以外に適任はいないかと」
その言葉には、いつもの気だるさとは違う、確かな自負が滲んでいた。
その物言いに、その場に小さな笑いが起こった。
だが、ヴィルヘルムは、笑いきれずにいた。
「……一人で行かせるのは、正直、気が進みません」
これまで、共に議論を重ねてきた相手だからこそ、危険な役目を、簡単に任せきりにはしたくなかった。
「ジークハルトさん、護衛をつけられますか」
「もちろんだ。商人のふりをするにしても、護衛の一人や二人、連れているのが自然だろう。それに、いざという時、逃げ足だけは確保しておきたい」
「それは、確かに」
マティアスも、素直に頷いた。
「では、腕の立つ者を、数人つけましょう。あくまで、商人の護衛という体裁で」
「フリッツの部下から、口の堅い者を選ばせる」
ジークハルトが、すぐにそう請け合った。
ヴィルヘルムは、改めてマティアスに向き直った。
「護衛の目処は立ちました。……マティアスさん、この使者の役目、改めてお願いできますか」
「ええ。ただし、無理な交渉はしません。あくまで、様子見です」
「それで構いません。まずは、危険のない範囲で」
出発の前夜、ヴィルヘルムはマティアスの元を訪れていた。
「本当に、行っていただけるんですね」
「今更、断る理由もありませんよ」
マティアスは、荷物をまとめながら、いつも通りの気だるげな様子で答えた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「この街に来てから、ずっと文句を言いながらも、随分と骨を折ってくれていますよね。……何か、理由があるんですか」
その問いに、マティアスは、しばらく手を止めた。
「……理由と言うほどのものでは。ただ、あなたが、私のような人間の意見にも、真面目に耳を傾けてくれる。それだけで、十分な理由になります」
「そう、ですか」
「それに、正直に言えば」
マティアスは、僅かに口の端を上げた。
「久しぶりに、面白い仕事をさせてもらっている、という気もします。……体を動かすのは、相変わらず嫌ですがね」
その言葉に、ヴィルヘルムは静かに笑った。
旅支度を整えたマティアスが、翌朝、城門の前に立っていた。
「行ってきます。……あまり、期待しすぎないでくださいよ」
「気をつけて」
ヴィルヘルムの言葉に、マティアスは軽く肩をすくめると、東へと続く道を歩き出した。
その背中を見送りながら、ヴィルヘルムは、静かに期待と不安を抱えていた。
(この街の未来に、繋がる一歩になればいいが)
遠く霞む東の空の下に、まだ見ぬ可能性が広がっているような気がした。
(第三十三話へ続く)




