第三十話 実りの土台
街の外れに作った畑では、蕪と大根が、青々とした葉を茂らせていた。
「隊長、見てください! こんなに育ちました!」
リーゼルが、誇らしげに収穫したばかりの蕪を掲げて見せた。
「立派なものですね」
ヴィルヘルムは、その手応えのある重みに、思わず頬を緩めた。
荒れ果てていた土地が、今では、確かな実りをもたらす畑になっていた。
「これも、皆で石を拾い、根を掘り起こした甲斐がありましたね」
「まったくだ。あの頃は、こんな立派に育つとは、正直思っちゃいなかったが」
ハンスも、収穫の手を止めて、感慨深そうに畑を見渡した。
「父さんも、あの時は半信半疑だったくせに」
「うるさい。今は素直に喜んでるんだから、いいだろう」
親子の掛け合いに、周りの兵たちからも笑いが起こる。
怪我や体力の衰えで前線を退いた者たちも、農作業に馴染みのない手つきながら、次々と収穫作業に加わっていた。
「こんなに早く食えるものができるとは、驚きだ」
「隊長のおかげで、飢える心配が少し減った気がするよ」
その声に、ヴィルヘルムは静かな満足感を覚えていた。
「街の外に作った、もう一つの畑はどうですか」
ヴィルヘルムが尋ねると、フリッツが答えた。
「あちらは、面積が広い分、土壌を改善する作業そのものに、より多くの時間がかかりました。ようやく使える土になった頃には、もう蕪や大根を蒔いても、冬までに収穫が間に合わない時期になっていて」
「それで」
「いっそのこと、冬を越して育つ麦に切り替えました。今から蒔くなら、それが一番無駄がないだろうと」
「なるほど、理にかなっていますね」
ヴィルヘルムは、頷いた。
「防寒の対策は」
「藁を被せて、霜よけにしています。あとは、雪が積もれば、それが逆に凍結を防いでくれるはずです」
「麦は、これから長い冬を越えて、来年の夏頃にようやく収穫できるかと」
その報告に、ヴィルヘルムは頷いた。
「気の長い話ですね」
「食料というのは、そういうものです。今すぐには実りませんが、蒔かなければ、いつまでも実りません」
「二つの畑が揃えば、この街の食料事情も、随分と変わりそうですね」
「ええ。まだ道半ばですが」
「収穫は順調だが、これから先のことも考えないとな」
エルサが、収穫の様子を見ながら、真剣な表情で言った。
「冬、ですね」
「ああ。もう秋も深まってきた。このまま何もしなければ、冬場は食料が尽きる」
ヴィルヘルムは、前世の記憶を辿った。
「保存の効く形にしましょう。塩漬けや、乾燥させる方法があります」
「塩漬け、か。塩の確保はどうする」
エルサが、思案するように呟いた。
その場に居合わせたコンラートが、口を挟んだ。
「この街の東に、確か岩塩の採掘場があったはずです。ミダースの頃は、あまり手入れもされていませんでしたが」
「使えそうですか」
「見てみないことには、何とも。ですが、当たってみる価値はあるかと」
「それに」
エルサが、続けて言った。
「根菜類は、土の中に埋めたままにしておけば、案外長く保つ。地下に貯蔵庫を作るのも、手だろうな」
「それも、進めましょう。冬を越せなければ、これまでの苦労も水の泡です」
その様子を、少し離れた場所で見ていたマティアスが、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「乾燥させる方法も、忘れずに」
「マティアスさんも、詳しいんですか」
「旅の途中、食い扶持を稼ぐために、色々な村で働かされましたからね。……あまり、思い出したくはありませんが」
その物言いに、エルサが小さく笑った。
「乾燥させるだけで、随分と日持ちが変わるものです。天日で干すか、燻すか。……燻す方が、虫もつきにくいので、こちらの方が良いでしょう」
「燻製、ですか」
「肉にも、魚にも使えます。それに、風味も良くなりますから、一石二鳥ですよ」
その説明に、ヴィルヘルムは感心したように頷いた。
「マティアスさんの知識、本当に助かります」
「役に立てるところで、役に立っているだけです。……体を動かす仕事でないのが、何よりですが」
その軽口に、その場に和やかな笑いが広がった。
その日のうちに、あらかじめ決めていた通り、農耕技術部門の設立と、責任者の任命が行われた。
「これからは、この部門を中心に、農業全般を見ていくことになります」
ヴィルヘルムの言葉に、集められた農夫たちが、緊張した面持ちで頷いた。
「内政全体は、引き続き私が見る。だが、農耕技術部門は、専任で見る者が要る。私一人で、全部の現場に目を配り続けるのは、さすがに限界がある」
エルサが、そう続けた。
「昔、輪作の話を知っていると言っていた、あなたに任せたい。……名は」
「グレゴールと申します」
年配の農夫が、驚いたように顔を上げた。
「わし、なんぞに、務まりますかどうか」
「知識があり、他の者からの信頼もある。適任だと思います」
ヴィルヘルムの言葉に、グレゴールは、しばらく戸惑った様子を見せていたが、やがて深く頭を下げた。
「……精一杯、務めさせていただきます」
「まず、同じ土地で同じ作物を作り続けないようにしましょう。土地が痩せていくのを防ぐためです」
「輪作ですな。……昔、そういう話を聞いたことがある程度で、実際にやってみたことは、ありませんでしたが」
「これから、少しずつ取り入れていきましょう」
その場に、静かな熱気が広がっていった。
「もう一つ、伝えておきたいことがあります」
ヴィルヘルムは、集まった面々を見渡した。
「同じものばかり食べ続けると、体を壊すことがあります」
「体を、壊す?」
「はい。麦だけ、あるいは肉だけを食べ続けると、体に必要なものが偏り、気づかぬうちに調子を崩すことがあるんです」
その説明に、農夫たちは、半信半疑の表情を浮かべていた。
「豆や、青菜、根菜など、色々なものを、バランス良く食べることが大事です。これも、農耕技術部門で、そうした知識を広める役目を担ってほしいと思います」
「……隊長は、本当に、色々とご存知なんですな」
農夫の一人が、感嘆したように呟いた。
ヴィルヘルムは、曖昧に笑うことしかできなかった。
前世の記憶が、今、少しずつ、この街の土台を作り始めていた。
(第三十一話へ続く)




