第二十六話 間引きの采配
エーレンガルト王都に、バルドゥイン討ち死にの報せが届いたのは、谷間の決戦から数日後のことだった。
王城の一室、居並ぶ重鎮たちの間に、動揺が走った。
「バルドゥイン様が、討ち死に……!?」
「あの化け物じみた強さを誇った御方が、まさか」
ざわめきの中、上座に座る一人の男が、静かに口を開いた。
それが、この国を陰から実質的に動かす男、エーリヒだった。
兄バルドゥインとは違い、細身で洗練された体つきをしている。
暗めの茶髪を整え、感情の読めない鋭い灰色の瞳が、居並ぶ重鎮たちを静かに見渡していた。
「相手は、平民上がりの男だそうだ。名を、ヴィルヘルムという」
その言葉に、重鎮たちがどよめいた。
「なぜ、そこまでご存知なのですか」
「……兄上から、生前に文が届いていてな」
エーリヒは、酷薄な笑みを浮かべた。
「目障りな駒が育ちすぎている、と。まさか、本当に牙を剥くとは思わなかったが」
その言葉には、亡くなった兄への哀悼など、欠片も滲んでいなかった。
それから数週間、王城では連日、対応をめぐる議論が続いた。
「ゴルデンハイムを奪還すべきか、放棄すべきか」
「奪還するにせよ、誰にその任を負わせるか」
議論は平行線を辿り、決着がつかないまま時だけが過ぎていった。
ようやく方針が固まったのは、報せが届いてから、およそ二月が経った頃だった。
「近頃、都の食料庫が心許ないという話は、皆も承知しているだろう」
エーリヒが、静かに切り出した。
「口減らしの時期だ。ちょうど、ゴルデンハイムという口実もある」
その言葉に、部屋の空気が、より一層重くなった。
「使い物にならなくなった年寄りどもを、ゴルデンハイムに向かわせる。運が良ければ奪還できる。……運がなくとも、それはそれで構わん」
その意味を理解した者たちは、誰も言葉を発しなかった。
一人の若い重鎮が、恐る恐る口を挟んだ。
「……ですが、十万もの民を無為に送り出すというのは、あまりにも」
「無為ではない」
エーリヒは、感情の読めない目のまま、静かに続けた。
「食い扶持を減らし、都合よく敵地を突かせる。……これほど、都合のいい策があるか?」
その場に呼び出されたのが、バルタザール・フォン・フェッテンベルクだった。
その巨躯は、四頭身にも見えるほど肥え太っており、椅子に座るというより、ほとんど押し潰すようにして腰掛けていた。
「バルタザール卿。ゴルデンハイムを奪還してもらいたい」
エーリヒは、これまでの経緯を、簡潔に語って聞かせた。
都の食料庫の窮状、老人たちを間引くという真の狙い、そして、それを覆い隠すための建前としての「奪還」。
「……なるほど。承知いたしました」
バルタザールが、脂肪に埋もれた目を細めながら、頭を垂れた。
「褒美は、期待してよろしいですかな」
「無論だ。……そなたほど、忠実に汚れ仕事を引き受ける者は、他にいないからな」
エーリヒは、感情の読めない目のまま、静かに続けた。
「この戦は……いや、戦とも呼べんな」
「と、仰いますと」
「我が国の暴徒が、ゴルデンハイムへ行き、どうなるか。……ただ、それを見届けるだけの話だ」
その乾いた物言いに、部屋の空気が、より一層冷え込んだ。
それは同意ではなく、ただの沈黙だった。
「バルタザール卿。……卿一人では、実務が回るまい」
エーリヒが、静かに続けた。
「副将として、クリストフ・フォン・ラウデンバッハをつける。効率だけを見る男だ、卿の意向にも沿うだろう」
「それは、有難い」
バルタザールが、満足げに頷いた。
その場に控えていたクリストフが、静かに一礼した。
「編成は、お任せください」
表情一つ変えず、淡々とした声で続ける。
「使えない者から順に、老いぼれどもを十万、集めましょう」
バルタザールが、満足げに頷いた。
「話が早くて助かる」
「武具の支給は、いかがなさいますか」
クリストフが、淡々と尋ねた。
「不要だ。自分で用意させろ。……どうせ、まともに戦える連中ではあるまい」
「畏まりました。……効率よく、進めましょう」
その声には、憐憫の欠片もなかった。
一方その頃、王都にある屋敷の一室に、一人の若者が戻っていた。
バルドゥインの息子、クラウスだった。
傷が癒えぬまま療養を続けていた彼は、ようやく動けるようになり、王都の屋敷へと帰り着いたばかりだった。
出陣の噂を耳にしたクラウスは、すぐさまエーリヒの元へと向かった。
「叔父上。……その遠征、俺も加えてください」
エーリヒは、感情の読めない目で、甥を一瞥した。
「何のためにだ」
「父上の、仇です。俺の手で、あの男に……!」
「勘違いするな」
エーリヒの声は、氷のように冷たかった。
「あれは、戦功を競う場ではない。ただの間引きだ。お前の私怨を挟む余地など、どこにもない」
「……ですが」
「下がれ。お前の出る幕はない」
その一言に、クラウスは、拳を強く握りしめたまま、それ以上何も言えなかった。
部屋を出た後も、その目に宿るのは、以前のような幼い嫉妬ではなく、もっと昏く、深いものだった。
数日のうちに、王都近郊の広場には、十万人もの老人たちが集められていった。
男も女も、皆一様に、痩せ細り、疲れ果てた顔をしていた。
手にしているのは、何もない。
武器どころか、まともな身なりすら整えられていない者が大半だった。
「わし、戦になんて出たことねぇよ……」
「これで、何をしろと言うんだ」
「息子も孫も、とうに先の戦で死んじまった。……今度は、わしの番か」
不安げな声と、諦めにも似た呟きが、あちこちから漏れる。
「……なぜ、逆らわないんだ」
一人の老女が、震える声でそう零した兵に、隣の老人が力なく答えた。
「逆らえば、その場で斬られる。……見ただろう、昨日、抗った者が」
その言葉に、誰も何も言えなくなった。
召集の命令に逆らうことは、そのまま死を意味していた。
生きるためには、死地へと向かうしかない。
その理不尽な現実が、広場を覆っていた。
中には、腰も曲がり、杖をつかなければ歩けないような老人の姿もあった。
それでも、召集の命令には逆らえなかった。
その光景を、豪奢な輿に乗ったバルタザールが、遠くから眺めていた。
数十人がかりで担がれるその輿は、彼の巨躯を支えるためだけに、特別に頑丈な作りになっている。
傍らでは、専属の料理人が、彼のためだけの豪華な食事を用意している。
焼きたての肉、蜜をかけた果実、山盛りのパン。
広場に集められた老人たちの、乾いた喉と痩せた腹とは、あまりにも対照的な光景だった。
「ふむ、悪くない眺めだ」
バルタザールは、肥えた指で肉を摘みながら、満足げに呟いた。
「これで、少しは食料庫にも余裕ができよう」
その言葉を、クリストフは黙って聞いていた。
十万の老人たちが、これから向かう先で何を待つのか。
それを本当に理解している者は、この場に一人もいなかった。
(第二十七話へ続く)




