第二十五話 初めての拠点
翌朝、ヴィルヘルムは、天幕の外のざわめきで目を覚ました。
昨夜の宴の余韻を残しながらも、兵たちは既に出立の支度を始めていた。
「隊長、おはようございます」
天幕の外で、リーゼルが眠そうな目を擦りながら声をかけてきた。
「昨日は飲みすぎたか?」
「……少しだけです」
ばつが悪そうに笑うリーゼルに、ヴィルヘルムも小さく笑い返した。
出立の準備が整うと、千人を超える部隊が、ゴルデンハイムを目指して歩き出した。
「行軍速度は、これまでよりゆっくりだな」
ジークハルトが、隊列の様子を見渡しながら言った。
「新参の兵も多いですし、無理はさせられません」
ヴィルヘルムの言葉に、エルサも頷いた。
「荷駄も増えた。急げば、どこかで綻びが出る」
道中は、これといった障害もなく、静かに進んでいった。
焚き火を囲む夜、フォルカーをはじめとした新参兵たちも、少しずつ古参の兵たちと打ち解けていく様子が見られた。
「隊長の采配は、本当に外れないんですか」
若い兵の一人が、興味津々に尋ねる。
「外れることも、もちろんあります」
ヴィルヘルムは、正直にそう答えた。
「ただ、外れた時にどう立て直すか。そこが大事なんです」
その答えに、兵たちは感心したように頷いていた。
数日の行軍の末、部隊はついにゴルデンハイムの近郊まで辿り着いた。
「街の様子、変わりないでしょうか」
ヴィルヘルムが尋ねると、コンラートが偵察から戻ってきた。
「エーレンガルトの駐留兵が、まだ百人ほど残っています。街の門を固めているようです」
「バルドゥインの死は」
「まだ、知らないようです。……無理もありません、ここは本国から離れた飛び地です。故郷へ散った投降兵たちも、真っ先にこの街を目指す理由はなかったでしょうから」
その報告に、ヴィルヘルムは頷いた。
「無用な血は流したくありません。まずは、話し合いの余地を探ります」
街の門前、ヴィルヘルムたちの姿を見た駐留兵たちが、色めき立った。
「な、なんだこの数は……! バルドゥイン様の軍か?」
「いや、待て……あれは……!」
兵の一人が、ヴィルヘルムの顔に気づき、顔色を変えた。
「まさか、谷間で閣下を討った……!」
その一言に、駐留兵たちの間に、動揺が走った。
「バルドゥイン様が、討たれた……!?」
「それじゃあ、俺たちは……!」
統率を失いかけた駐留兵たちの前に、ヴィルヘルムが一歩進み出た。
「バルドゥインは、確かに討ちました。ですが、あなた方に危害を加えるつもりはありません」
「信じろというのか……!」
隊長格らしき男が、震える声で叫んだ。
「あなた方には、二つの道があります」
ヴィルヘルムは、努めて冷静に続けた。
「武器を捨てて投降するか、あるいは、故郷へ帰る道を選ぶか。……どちらを選んでも、追いはしません」
その言葉に、駐留兵たちの間に、動揺とも安堵ともつかない空気が広がった。
「本当に、それだけで……」
「これまでも、そうしてきました。あなた方だけ、例外にする理由がありません」
しばらくの沈黙の後、隊長格の男が、槍を地面に置いた。
「……降伏する。これ以上、無駄な血を流す気はない」
その決断に、他の兵たちも次々と武器を下ろしていった。
「お前たち、これからどうするつもりだ」
隊長格の男が、部下たちに問いかけた。
「正直、行く当てなんてありません。……ここに残れるなら、それでいいです」
誰かがそう答えると、他の兵たちも次々と頷いた。
無理もない話だった。
この世界では、人口に対して土地も職も限られている。
平民が生きていく道は、大抵の場合、兵士になるか、農作業をするか、そのどちらかしかない。
故郷を離れれば、余計にその選択肢は狭まる。
「ヴィルヘルム殿とやら、我々を、どうするつもりだ」
隊長格の男が、覚悟を決めたような表情で尋ねた。
「志願する者は、部隊に加えます。それが難しければ、街での農作業の手伝いをします」
ヴィルヘルムの言葉に、男は驚いたように目を見開いた。
「敵だった者を、そこまで……」
「敵だったのは、昨日までの話です」
ヴィルヘルムは、静かにそう答えた。
「これから先まで、そうである必要はありません」
その言葉に、男は深く頭を下げた。
「……感謝する。この恩、忘れない」
こうして、ゴルデンハイムは、無血のまま、ヴィルヘルムたちの手に落ちた。
街の門をくぐりながら、ヴィルヘルムは、遠く続く城壁と、その向こうに広がる街並みを見つめていた。
かつて訪れた時よりも、幾分か活気を取り戻しつつある通りが、目に入った。
種を蒔いた畑は、既に青々とした葉を伸ばし始めている。
「あの畑、順調に育ってるみたいですね」
リーゼルが、嬉しそうに指を差した。
「ああ。……ここに、また新しく始める場所を作れそうだ」
(ここから、また新しく始めるしかない)
その決意を胸に、ヴィルヘルムは静かに歩を進めた。
こうして、ヴィルヘルムは、初めて「拠点」と呼べる場所を手に入れたのだった。
(第二十六話へ続く)




