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第二十一話 罠を張る者

陣の闇を駆け抜けながら、ヴィルヘルムの頭は、目まぐるしく回転していた。


背後からは、松明の灯りと怒号が、次第に近づいてきている。


「隊長、この先は……」


ジークハルトが、息を切らしながら尋ねる。


「まだ、分かりません」


ヴィルヘルムは、走りながら視界を割った。


分岐の中に、この先に広がる土地の起伏(きふく)が、断片的に映り込んでくる。


「……東に、谷を挟んだ丘陵地帯がある。あそこなら、地の利を作れるかもしれません」


「まさか……」


ジークハルトが、その意図に気づいたように目を見開いた。


「このまま、ただ逃げるだけじゃない、ということか」


「はい」


前世で読んだ、寡兵(かへい)が大軍を打ち破った、ある合戦の記録が脳裏をよぎる。


わざと崩れて見せ、敵を誘い込み、左右から伏兵で挟み撃つ。


「東の丘陵に、こちらの有利な地形がある。あそこまで、逃げ延びるふりをしながら、皆を先に走らせます」


「先に? お前はどうする」


「殿を務めます。追手の目が、俺に集中するように」



部隊の元へ合流すると、ヴィルヘルムはすぐさま策を告げた。


「これより、東の丘陵地帯へ向かいます。ただし、ただ逃げるのではありません」


「策があるんですね」


エルサが、すぐに察したように尋ねた。


「はい。丘陵の左右に、伏兵を配置します。追ってきた敵を、谷間の狭い道に誘い込み、そこを挟撃する」


「誘い込んで、袋叩きにするってわけか」


ハンスが、感心したように呟いた。


「昔、そういう戦い方をする将がいたと、爺様(じいさま)から聞いたことがある」


「ええ。俺たちの数は四百、バルドゥインの軍は二千。まともにぶつかれば、勝ち目はありません」


ヴィルヘルムは、皆の顔を見渡した。


「ですが、地の利と、奇襲を組み合わせれば、勝機はあります」


その言葉に、誰もが息を呑んだ。


「配置は、こうします」


ヴィルヘルムは、地面に木の枝で簡単な図を描きながら、指示を続けた。


「ジークハルトさんとコンラートさんは、左手の斜面に。ハンスさん、リーゼルは、右手の斜面に。フリッツさんは、谷の出口を塞ぐ位置に伏せてください」


「隊長は?」


「俺は、正面から逃げながら、奴らを谷間へ誘い込みます」


その役割に、リーゼルが不安げな顔をした。


「一番危ない役目、隊長がやるんですか」


「他の誰かが敵の動きを見誤れば、罠自体が崩れます。……俺が、一番確実です」


ヴィルヘルムの言葉に、ジークハルトがしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。


「……お前には、先を見通す力があるようだからな。それを、信じるとしよう」


「……買い被りかもしれませんが」


「今まで、外れたことがあるか?」


その問いに、ヴィルヘルムは苦笑するしかなかった。


「……ないですね」


「なら、それでいい」


ジークハルトは、それだけ言うと、頷いた。


それぞれが、迅速に配置へと散っていった。



夜通しの行軍の末、ようやく丘陵地帯へと辿り着いた頃には、空が白み始めていた。


谷間を見下ろす斜面に身を潜めながら、ジークハルトとコンラートは、息を殺して敵の姿を待っていた。


「本当に、来るのか」


コンラートが、小声で尋ねる。


「来る。あの男は、ヴィルヘルムを生かしておく気は、微塵もないだろうからな」


ジークハルトは、槍を握る手に、じっとりと汗を滲ませていた。


反対側の斜面では、ハンスとリーゼルが、同じように息を潜めていた。


「父さん、緊張してる?」


「当たり前だ。……お前は、してないのか」


「してますよ、めちゃくちゃ」


軽口を叩きながらも、二人の目は、谷の入り口から片時も離れなかった。


夜が明ける頃、案の定、バルドゥインの軍勢が、街道の向こうに姿を現した。


その先頭には、バルドゥイン自身の姿があった。


「……逃げ切れると思うなよ」


バルドゥインの目には、獲物を追う狼の色が宿っていた。


二千の軍が、ヴィルヘルムたちの後を追い、着実に距離を詰めてくる。


ヴィルヘルムは、わずかに残した数十人と共に、必死の様相(ようそう)を装いながら、東の丘陵地帯へと走り続けた。


息が上がり、足がもつれそうになる。


だが、それすらも、演技ではなく本物の疲労だった。


「隊長、そろそろ谷の入り口です!」


共に走る兵の一人が、叫ぶように告げる。


「よし、このまま突っ切るぞ! 決して足を止めるな!」


(このまま、谷間まで引きずり込む)


視界に映る分岐の中で、追撃の軍勢が、少しずつ罠の中心へと吸い込まれていくのが視えた。


バルドゥインの声が、後方から届く。


「逃がすな! あの小僧の首だけは、必ず取れ!」


その声に応じるように、追撃の速度が、さらに増した。


ヴィルヘルムは、奥歯を噛みしめながら、谷間の奥へと駆け込んでいった。



(第二十二話へ続く)


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