第十六話 奪われた国で
論功行賞の後、ヴィルヘルムは、街の案内をコンラートに頼んでいた。
「陥落したばかりの街を、この目で見ておきたい。案内、頼めますか」
「もちろんです。あなたの部下になる前は、この街の警備に回されていたこともありますから」
コンラートが、静かにそう頷いた。
「護衛に、何人か連れて行きます」
ジークハルトがそう言って、数名の兵を呼び寄せた。
出発の前、ヴィルヘルムはテオドールにも声をかけた。
「街そのものはコンラートさんに案内してもらいますが、この国全体の事情については、テオドール様の意見も伺いたくて」
「なるほど。……分かった、同行しよう」
テオドールは、快く頷いた。
一行は、ジークハルト、コンラート、テオドール、エルサ、そして数名の護衛兵と共に、陥落したばかりの街へと向かった。
「街の様子を見るなら、私も見ておきたい。この先、食料や物資をどう回すか、判断材料になる」
エルサが、当然のようにそう言って先頭を歩いていた。
城門をくぐると、そこには、ヴィルヘルムが想像していたものとは違う光景が広がっていた。
都の中心部は、金箔と宝石で飾り立てられた建物が立ち並び、異様なまでに華美だった。
だが、そこから少し外れた通りに入ると、痩せこけた民たちが、虚ろな目でこちらを見上げていた。
「……これが」
ヴィルヘルムは、言葉を失った。
「奪う者と、奪われる者の、行き着く先か」
テオドールが、静かにそう呟いた。
「ミダースが集めた財の大半は、あの中心部の居館に眠っていたそうです」
コンラートが、居館のあった方角を指差した。
「今は、バルドゥイン様の兵が接収に当たっています」
「その財は、民のために使われているんですか」
ヴィルヘルムが尋ねると、コンラートは首を振った。
「いいえ。……この国が正式にバルドゥイン様の統治下に入ると決まったわけではありません。それまでは、財はあくまで戦利品として、こちらの陣の蓄えに回されるだけでしょう」
「民のためには」
「今のところ、何も」
その答えに、ヴィルヘルムは唇を噛んだ。
予想していた通りとはいえ、目の当たりにすると、やはり重いものがあった。
「そういえば」
ヴィルヘルムは、ふと思い出したように口を開いた。
「ミダースは、あれだけの力を持ちながら、なぜあんなにも痩せていたんでしょうか」
コンラートは、少し考えるように間を置いた。
「異能を使うたび、奪った分だけ体が肥え太る一方で……使わない間は、まるで飢えているかのように、みるみる痩せ細っていったと聞きます」
「奪い続けなければ、己を保てない」
テオドールが、低く呟いた。
「なんとも皮肉な力だ。……奪い続けなければ、たちまち飢えに逆戻りする。満たされた姿を、保っていられない」
その言葉に、ヴィルヘルムは何も返せなかった。
強欲の果てにあったのは、豊かさではなく、飢えそのものだった。
「王族の方は、どうなったんです」
ヴィルヘルムが尋ねると、コンラートの表情が僅かに硬くなった。
「……処刑されています。ミダースが実権を握って間もない頃、見せしめのように。ここの民なら、誰もが知っていることです」
「そう、ですか」
予感していたこととはいえ、その事実の重さに、ヴィルヘルムは息を吐いた。
「跡取りは」
「幼い王子が一人、いたはずですが……その後の消息は分かりません。生きているとも、死んだとも」
テオドールが、静かに口を挟んだ。
「もし生きているなら、いずれこの国の在り方を左右する存在になるかもしれない。……頭の隅に置いておいた方がいいだろう」
「それに、もう一つ」
コンラートが、声を落として続けた。
「これは、街の一部でしか囁かれていない話ですが……ミダース自身、元は王の庶子だった、という噂があります」
「……庶子?」
「正妃の子ではない、王の血を引く者、ということです。だからこそ、実権を奪う際、王宮の内情にも容易く食い込めた、と」
その話に、ヴィルヘルムは目を見開いた。
(だとすれば……先の王の子は)
「本当なら、その幼い王子とミダースは、異母兄弟ということになりますね」
エルサが、腕を組みながら呟いた。
「血の繋がりのある者同士で、あそこまで国を喰い荒らすとはな」
その言葉に、誰もがしばらく黙り込んだ。
ヴィルヘルムは、小さく頷いた。
通りを進むうちに、一人の老婆が、震える手を差し出してきた。
「……お恵みを」
その姿に、ヴィルヘルムは足を止めた。
隠蔽虐殺で失われた、故郷の誰かの顔と、その姿が重なって見えた。
「コンラートさん、この辺りの民に、まず配れるものは」
「今すぐにというなら、我々が持っている糧食を、多少なら」
「頼めますか」
「承知しました」
コンラートが、すぐに指示を出しに走っていく。
その様子を見ていたジークハルトが、小さく笑った。
「相変わらず、隊長は損な性分だな」
「損とは思いません」
ヴィルヘルムは、静かに答えた。
「この国がどうなるにせよ……せめて、目の前で飢える人を、これ以上見過ごしたくないだけです」
その言葉に、ジークハルトは何も言わず、ただ肩をすくめただけだった。
「エルサ」
ヴィルヘルムは、改めて向き直った。
「先の褒賞、配分を少し見直したい」
「言われなくても、分かってる」
エルサは、既にその先を読んでいたように頷いた。
「この街の惨状を見れば、誰だってそう思う。……私も、同じことを考えていた」
「なら、話は早い」
「まずは、この街と、俺たちの軍が、当面食うに困らない分を優先で確保したい。グリューンヴァルト村や、エルサの故郷の分は、その後で構わない」
エルサは、静かに頷いた。
「……分かった。数を組み直そう」
陥落したばかりの都の空を見上げながら、ヴィルヘルムは、込み上げる焦燥を抑えられずにいた。
(このままじゃ、駄目だ)
戦って、奪って、また奪われて。
その繰り返しの先に、いつまで経っても、飢えから逃れられる未来など見えなかった。
「……戦争をしている場合じゃない」
思わず漏れた呟きに、ジークハルトが片眉を上げた。
「どういう意味だ」
「俺たちは、いつまでも誰かの蓄えを頼りに戦い続けるわけにはいかない。……最低限、自分たちが食べる分くらいは、自分たちで作れるようにしないと」
「畑仕事をしろと?」
「ええ。育つのが早い作物からでいい」
ヴィルヘルムは、辺りを見回した。
だが、この国もまた、人口に対して土地が足りていない。
使えそうな場所は、既にどこも誰かの畑か、住処になっていた。
「……この街の中には、空いている土地なんて、そうそうありませんよね」
「農作業をする者がいなくなった、荒れた畑ならあります」
コンラートが、少し考えながら答えた。
「戦で家族を失った者の畑や、逃げ出した貴族の私有地なんかは、手入れもされずに放置されています」
「そこを、借りられますか」
「話は通してみます。……ですが、荒れ地を耕すとなると、それなりに手間もかかりますよ」
「構いません」
ヴィルヘルムは、頷いた。
「それに、街の中だけでは、いずれ足りなくなる。街の外にも、開拓できる土地がないか、探してみましょう」
「街の外、ですか」
「はい。……この国も、俺の故郷と同じで、土地が足りていない。だったら、増やすしかない」
コンラートは、その言葉にしばらく考え込んだ後、深く頷いた。
「分かりました。手配します」
数日のうちに、街外れの荒れた畑と、さらにその外側の未開拓の土地が用意された。
種は、コンラートがその日のうちに、街の商人から蕪と大根のものを手に入れてきていた。
だが、実際に土を見たヴィルヘルムは、思わず眉を寄せた。
長らく放置されていた土は、固く締まり、小石や枯れた雑草の根が絡み合っている。
「……このままじゃ、蒔いても碌に育たない」
前世の記憶が、微かな知識を呼び起こす。
(まずは、石と根を取り除く。それから、土を掘り返して空気を含ませる)
「まず、石と雑草の根を、根こそぎ取り除きましょう。その後、土を深く掘り返して、耕します」
「それだけで、良くなるんですか」
ハンスが、怪訝そうに尋ねた。
「いや、まだです。厨から出る生ゴミや、家畜の糞を集めて、土に混ぜ込んでください。それと、薪を燃やした後の灰も」
「灰、ですか」
「土が、なんというか……荒れて、尖った性質になっていると、作物が育ちにくくなるらしいんです。灰には、その尖りを和らげる効き目がある、と聞いたことがあります」
(……説明したところで、伝わってるかどうか)
ヴィルヘルムは、内心でそう思いながらも、ひとまず言葉を続けた。
「理屈は、俺もそこまで詳しくは分かりません。ですが、昔からそうやって土を良くしてきた、という知恵です」
ハンスは、しばらく首を捻っていたが、やがて肩をすくめた。
「まあ、隊長がそう言うなら、やってみるさ」
半信半疑の顔をする者もいたが、他に手立てもなく、皆は言われた通りに動き始めた。
石を拾い、根を引き抜き、鍬で土を掘り返す。
集めた生ゴミや灰を、土によく混ぜ込んでいく。
数日をかけて、荒れ果てていた土は、少しずつ、黒々とした柔らかさを取り戻していった。
「どちらも、育ちが早い作物です。土さえ良くなれば、一月かそこらで収穫できるはずです」
「よし」
ヴィルヘルムは、頷くと、自ら鍬を手に取った。
「まずは俺たちでやる。手の空いている者、総出で来てくれ」
その言葉に、ジークハルトが呆れたように笑った。
「隊長自ら鍬を振るう指揮官なんて、聞いたことがないな」
「戦うだけが、俺たちの仕事じゃありません」
部隊の兵たちが、次々と農具を手に取り始めた。
「よし、俺もやるか」
「隊長がやるなら、俺たちも黙ってられねぇな」
元々の三百人に、コンラートが率いていた百人を合わせれば、総勢四百に届こうかという人数だった。
これほどの人数が一斉に動けば、荒れ地の広さなど問題にならなかった。
ある一角では、数十人がかりで石と根を運び出し、その後ろから、また数十人が鍬を振るって土を掘り返していく。
別の一角では、街から集められた生ゴミや家畜の糞、灰が、次々と荷車で運び込まれ、土に混ぜ込まれていった。
一人でやれば何日もかかる作業が、四百の手が揃えば、目に見える速さで形になっていく。
「これだけの人数がいりゃ、開墾も種蒔きも、あっという間だな」
ハンスが、額の汗を拭いながら笑った。
「一人で耕すのと、四百人で耕すのとじゃ、そもそも土地の広さの感覚が違う」
リーゼルが、感心したように辺りを見渡した。
実際、広大に見えた荒れ地も、数日のうちに、見違えるほど整えられた畑へと姿を変えつつあった。
ハンスとリーゼルが並んで畑を耕し、エルサが種の配分を差配し、フリッツが黙々と荒れ地の開墾を続けていた。
数日をかけて、荒れ果てていた土は、少しずつ、黒々とした柔らかさを取り戻していった。
その光景に、コンラートが感慨深そうに目を細めた。
「街の者にも、声をかけてみます。自分たちの手で作れるとなれば、喜んで動く者もいるはずだ」
「お願いします。俺たちがここを発った後は、この街の皆さんに、後を継いでもらうことになりますから」
種蒔きの手はずが整った土地を見渡しながら、ヴィルヘルムは、この国の未来がどこへ向かうのか、まだ何も見通せないまま、それでも一つの決意だけを、胸に刻んでいた。
(第十七話へ続く)




