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第十五話 望むもの

戦の後、バルドゥインの本陣では、論功行賞が行われていた。


「此度の戦、ヴィルヘルムの部隊の働き、大儀であった」


居並ぶ将たちの前で、バルドゥインは淡々とそう告げた。


「死角を突く戦術、寝返りを利用した崩し……いずれも、見事な采配だ」


「ありがとうございます」


ヴィルヘルムが頭を下げると、バルドゥインの目に、値踏みするような色が浮かんだ。


「息子を救ったのも、この目で見た。……礼を言う」


その声には、感謝と共に、隠しきれない硬さが滲んでいた。


(またか)


ヴィルヘルムは、内心でそう呟いた。


助ければ助けるほど、この男の中で自分への警戒が増していく。


そのことに、既に慣れつつある自分がいた。


「褒賞として、金子と、いくらかの土地を用意させよう」


バルドゥインが、事務的にそう続けた。


「……恐れながら、辞退させていただきたく存じます」


ヴィルヘルムは、深く頭を下げながら答えた。


その返答に、周囲の将たちがどよめいた。


「馬鹿な、褒賞を蹴るだと……?」


「命懸けの戦の対価だぞ、正気か」


ざわめきの中、バルドゥインだけが、興味深そうに目を細めていた。


「褒賞を辞退するとは、珍しい男だ。……理由を聞かせてもらおうか」


「土地も金子も、いずれ意味を持つとは存じます。ですが今、俺が欲しいのは、そのどちらでもありません」


ヴィルヘルムは、努めて丁寧に、しかしはっきりと続けた。


「もし、お許しいただけるなら……食料を、頂戴したく存じます」


「金子や土地より、食い物か」


「はい。此度の戦で得た、ゴルデンハイムの蓄えの一部で構いません」


天幕の中に、束の間の沈黙が落ちた。


将の一人が、堪えきれないように口を挟んだ。


「土地も、地位も望まぬと申すか。……お主、野心というものがないのか」


「野心がない、というわけでは」


ヴィルヘルムは、少し言葉を選びながら答えた。


「ただ、腹を空かせた者を、これ以上見過ごしたくないだけです」


その言葉に、天幕内の空気が、僅かに変わった。


この世界では、力を得た者は、こぞって土地と地位を求める。


それが当然であり、それこそが成り上がりの証だった。


だからこそ、金でも土地でもなく、ただ「食料」を望むという選択は、この場にいる誰にとっても、理解の範疇を超えたものだった。


バルドゥインは、しばらくヴィルヘルムを見つめていた。


その目の奥には、値踏みとはまた違う、何か測りかねるような色が浮かんでいた。


(この男は……本当に、私を脅かす気がないのか。それとも――)


その先の思考は、声にはならなかった。


「面白い」


やがて、バルドゥインは静かにそう呟いた。


「良かろう。……望み通りにしてやる」


その一言で、褒賞の話は終わった。


後日、届けられたのは、穀物袋にして三百袋、およそ十五トンにも及ぶ量だった。



陣に戻ったヴィルヘルムを、待ち構えていたのはジークハルトだった。


「聞いたぞ。土地も金子も蹴って、飯を選んだそうだな」


「もう、話が回っているんですか」


「ああいう場での話は、あっという間に広まる」


ジークハルトは、呆れたような、それでいてどこか楽しげな顔をしていた。


「正気か? 土地や金子があれば、これから先、いくらでも動かしようがあったろうに」


「動かしようがあるのは、腹が満たされてからの話です」


ヴィルヘルムがそう答えると、ジークハルトはしばらく黙り込み、やがて小さく笑った。


「……お前という男は、本当に食えないな。損得だけで動く人間なら、とうに見限っている」


その言葉に、周りで話を聞いていた兵たちからも、ざわめきが広がった。


「隊長、マジで土地も金も断ったのか」


「あの、ゴルデンハイムを分捕った戦の褒賞をだぞ……」


「普通の指揮官なら、真っ先に飛びつく話だろうに」


困惑と、それ以上の驚きが入り混じった声が、次々と上がる。


だが、その驚きの奥には、確かな敬意のようなものも滲んでいた。


「……らしいと言えば、らしいけどな」


誰かが、ぽつりと呟いた一言に、周囲が小さく頷いた。


部隊の中に、また一つ、ヴィルヘルムへの信頼が積み重なっていく瞬間だった。



陣に戻ると、ヴィルヘルムはすぐにエルサを呼んだ。


「食料を、いくらか分けてもらえることになった。穀物袋で、三百」


「三百……随分と気前がいいな、あの男にしては」


エルサは、驚いたように目を見開いた後、すぐに算段を巡らせる顔つきになった。


「一袋で、大人一人がだいたい八十日は食える。三百あれば、かなりのことができるぞ」


「それで、どう配る」


「まず、部隊全体の蓄えに厚みを持たせたい。皆が、腹を空かせたまま戦うようなことがないように」


「それなら、百五十は部隊に回す。当面はそれで保つはずだ」


「その上で、余力があれば、俺の故郷、グリューンヴァルト村に」


「五十もあれば、村の当面はしのげるだろう。村人一人当たり、十日は保つ計算だ」


ヴィルヘルムは、少し言葉を選ぶように間を置いた。


「エルサの故郷は、今どうなっている」


その問いに、エルサは一瞬、意外そうな顔をした。


「……追放された村だ。今も、どこかで散り散りのままだろう。正直、まとめて助けられるほどの当てはない」


「それでも、探せる範囲でいい。心当たりがあれば、教えてくれ」


「……分かった。残りの百は、そのための予備に回しておく」


エルサは、しばらく黙り込んでいたが、やがて小さく頷いた。


「……ありがとよ。少し、調べてみる」


「配分の詳しいところは、任せていいか。お前の方が、俺よりずっと的確に差配できる」


「まあ、そこは専門だからな」


エルサは、いつもの淡々とした調子で頷いた。


それだけ言うと、エルサは踵を返した。


その背中に、いつもの淡白さとは違う、微かな熱のようなものが滲んでいるのを、ヴィルヘルムは見た気がした。



論功行賞の後、寝返った兵たちの一団が、ヴィルヘルムの前に姿を見せた。


先頭に立つのは、精悍な顔つきの中年の男だった。


「……ゴルデンハイム軍で、百人ほどをまとめていた者です。名を、コンラートと申します」


男は、深く頭を下げた。


「ミダースが健在の間は、逆らえば即座に喰われる。だから、大人しく従うしかなかった」


「今は?」


「あなたが、我々を"奪う"側の人間ではないと、この目で見た。……よろしければ、この部隊に加えていただきたい」


その申し出に、ヴィルヘルムは頷いた。


「ありがたい話です。よろしくお願いします」


「こちらこそ」


コンラートが顔を上げると、その目には、これまでの兵たちとはまた違う、実戦を潜り抜けた者特有の鋭さがあった。



その夜、部隊内でささやかな祝いの席が設けられた。


「よぉ、コンラートさんじゃねぇか」


声をかけたのは、ジークハルトだった。


「……お前、まさか」


「傭兵時代に世話になった、あのジークハルトか? 生きていたのか」


コンラートが、驚いたように目を見開く。


「まさか、寝返った先にお前がいるとはな」


「世の中、狭いもんだ」


二人は、旧知の仲だったらしく、すぐに打ち解けた様子で肩を叩き合った。


その様子を見ていた兵の一人が、感嘆したように声を上げる。


「しかし、ジークハルトさんの戦いぶりは凄まじかったですね。あの右翼の崩れかけを、たった一人で押し返しちまうんだから」


「槍が折れても、間髪入れずに次を受け取って、また薙ぎ払う。あれには痺れましたよ」


「大したことじゃない。フリッツの支えがあってこそだ」


ジークハルトが、寡黙な副官の肩を叩くと、フリッツは小さく頷くだけだった。


それでも、その口元には、僅かな誇らしさが滲んでいた。



少し離れた場所では、エルサが、数人の兵に囲まれていた。


「なあ、エルサ殿。今度、俺と二人で――」


「あんたよりまず、俺と話そうぜ」


「横入りするな! 俺の方が先に声をかけてただろうが!」


「……全員、うるさい」


エルサは、心底うんざりした様子でため息をついた。


考えてみれば、部隊の中で年頃の独身女性は、彼女ぐらいしかいなかった。


イルゼには、既にテオドールという婚約者がいる。


そのため、酒の席が開かれるたびに、こうしてエルサが兵たちに囲まれるのが、いつしか恒例になりつつあった。


「エルサ、モテますね」


リーゼルが、面白がるように笑う。


「モテてるんじゃない、面倒くさがられているだけだ」


「それ、絶対モテてるって言うんですよ」


リーゼルの隣では、ハンスが渋い顔で酒を呷っていた。


「隊長。うちの馬鹿娘が、隊長のことをやたら褒めるんですがね」


「父さん、変なこと言わないでよ!」


顔を赤くして抗議するリーゼルに、ハンスは肩をすくめるだけだった。


その光景に、周囲から笑いが起こる。



一方、イルゼとテオドールは、少し離れた場所で静かに寄り添っていた。


「……上手くいったな、私たちの策」


テオドールの言葉に、イルゼは小さく笑った。


「あなたの人脈と、私の伝手があってこそよ」


「いや。何より、あの人が信頼に足る人物だったからだ」


二人は、ヴィルヘルムの方へと視線を向けた。


その様子に気づいたヴィルヘルムが、近づいてくる。


「テオドール殿、イルゼ殿」


「ああ、ヴィルヘルム殿」


「差し出がましいようですが……お二人は、そろそろ領地に戻られた方がいいのでは、と」


その言葉に、テオドールは頷いた。


「実は、私もそう考えていた。長らく留守にしている。民の暮らしも、気にかかる」


「私も、あなたと一緒に行くわ」


イルゼが、テオドールの隣で静かに告げた。


「もう、貴族の駒には戻らない。……でも、あなたの隣でなら、できることがある」


テオドールは、その言葉に優しく頷いた。


「次に大きな戦が起きるようなら、また力を貸してほしい。だが、それまでは」


「ゆっくり、二人の時間を過ごしてください」


ヴィルヘルムのその言葉に、二人は柔らかく笑った。


「ああ。……世話になった」


命がけの戦いの中で、また一つ、絆が深まった夜だった。



その賑やかな輪から少し離れた場所で、バルドゥインの息子は、一人天幕の外に立っていた。


命を救われた。


その事実は、頭では理解している。


「……なぜだ」


誰にともなく、呟く。


血統もない、平民出のあの男が、なぜこうも、誰からも認められていくのか。


父の評価も、兵たちの信頼も、気づけば全て、あの男の元に集まっていく。


「俺は……次期当主だぞ」


拳を握りしめる手が、震えていた。


感謝しなければならないと分かっているのに、湧き上がるのは、それとは真逆の感情だった。


(なぜ、俺じゃないんだ)


助けられた恩義さえも、今はただ、己の無力さを突きつける棘のように感じられた。


夜風が、少年の頬を撫でる。


その瞬間、少年の瞳の奥に、これまでとは違う、昏い光が一瞬だけ揺らめいた。


誰も、それに気づく者はいなかった。



(第十六話へ続く)


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