第十二話 再会
バルドゥインとの対峙から数日、部隊にはようやく穏やかな時間が戻り始めていた。
その日、陣の外れに、一人の男が姿を見せた。
旅装は薄汚れ、頬もこけていたが、その青い瞳にはただならぬ意志の光が宿っていた。
元は上質だったと分かる金髪も、今は乱れ、痩せた体躯をさらに際立たせている。
「……イルゼは、ここに」
震える声で、男はそう尋ねた。
その名を聞きつけ、天幕から飛び出してきたイルゼは、男の姿を見た瞬間、言葉を失った。
「……テオドール?」
男もまた、その場に立ち尽くしていた。
「イルゼ……本当に、イルゼなのか」
二人は、しばらく互いを確かめるように見つめ合っていた。
やがて、堰を切ったように、イルゼが駆け寄る。
「生きて……! 生きていたのね……!」
「当たり前だ。お前を、置いて死ねるはずがないだろう」
テオドールは、震える腕でイルゼを抱きしめた。
「捜した。ずっと、捜し続けた。だが、貴族の目を欺いて動くには、あまりに時間がかかりすぎた」
テオドールは、涙を堪えるように目を細めた。
「……お前の無事は、ずっと気がかりだった。だが、迂闊に動けば、かえってお前を危険に晒しかねない。それでも、諦めきれずにいた時――」
彼は、少し離れた場所に控える、数人の平民たちに目を向けた。
「彼らが、力を貸してくれた。陰ながら、お前の無事を確かめ続けてくれていたんだ」
その言葉に、イルゼは驚いたように、その平民たちを見つめた。
「……あなたたちが」
一人が、照れくさそうに頭を掻いた。
「大したことじゃありません。テオドール様には、これまで散々世話になってきましたから。恩返しの、ほんの一部です」
側に控えていた従者らしき男が、静かに口を開いた。
「……あの時は、本当に肝が冷えました」
男は、グスタフと名乗った。
「イルゼ様が連れ去られたと知った瞬間、旦那様は自ら剣を取り、単身で追おうとなさったのです。私共が、命懸けでお止めしなければ、間違いなく無駄死にされていたでしょう」
「グスタフ……」
テオドールは、ばつが悪そうに苦笑した。
「あの時は、頭に血が上っていた。すまなかったな」
「本当に、懲りていただかないと困ります」
その掛け合いに、張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
「良いの。……良いのよ、無事だったなら」
涙ながらに繰り返すイルゼの背を、テオドールはただ優しく撫でていた。
その光景を、少し離れた場所からヴィルヘルムたちは見守っていた。
「……良かったな」
ジークハルトが、珍しく柔らかい声で呟いた。
リーゼルは、目元を拭いながら、隣のエルサに寄りかかっていた。
「……なんか、もらい泣きしちゃいます」
「まったくだ」
エルサも、いつになく穏やかな表情を浮かべていた。
落ち着きを取り戻したテオドールは、改めてヴィルヘルムの前に膝をついた。
「あなたが、イルゼを救ってくださった方ですね」
「頭を上げてください。俺は、大したことは」
「いいえ」
テオドールは、まっすぐにヴィルヘルムを見据えた。
「貴族の理不尽に晒され、行き場を失っていた彼女を、あなたは見捨てなかった。それがどれほどのことか、私には分かります」
その言葉には、商人として、そして貴族社会の理不尽さを誰よりも見てきた者としての、重い実感があった。
「私は、商いを通じて、多くの人と繋がりがあります。この国の裏の事情にも、多少は通じている」
「テオドール殿」
「もし、あなたが目指す道に、私の力が必要なら……いくらでも、お使いください」
その申し出に、ヴィルヘルムは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
損得だけではない、人と人との繋がりが、また一つ形になった瞬間だった。
その平穏も、長くは続かなかった。
数日後、バルドゥインの陣から、新たな出陣命令が下った。
「次は、本格的な戦になる」
使者から伝えられた言葉に、ジークハルトの表情が険しくなった。
「相手は?」
「……とある小国を実効支配している、"化け物"だそうだ」
その言葉に、陣中がざわついた。
「奪ったものを吸収し、戦うたびに際限なく肥え太っていく、そんな噂の男らしい」
ヴィルヘルムの背筋に、これまでとは違う種類の緊張が走った。
(それは……ただの人間、なのか)
静かな予感が、胸の奥に影を落としていた。
(第十三話へ続く)




