第十一話 狼の間合い
ヴィルヘルムとジークハルトが、バルドゥインの天幕へ向かう道すがら、周囲の兵たちの視線が痛いほど突き刺さった。
誰もが、これから何が起こるかを察しているようだった。
天幕の前に立つと、ジークハルトが低く囁いた。
「……本当に、一人で行くつもりか」
「いえ」
ヴィルヘルムは、震えそうになる声を抑えて答えた。
「一人では、行きません」
その言葉に、ジークハルトは僅かに口の端を上げると、共に天幕へと足を踏み入れた。
中では、バルドゥインが静かに酒杯を傾けていた。
「……来たか」
その声には、これまでの値踏みするような響きとは違う、明確な圧があった。
「詫びに参ったか、それとも命乞いか」
「どちらでもありません」
ヴィルヘルムは、震える足を叱咤しながら、まっすぐにバルドゥインを見据えた。
「イルゼ殿を渡すことは、できません」
天幕の中の空気が、凍りついた。
「……ほう」
バルドゥインの目に、剣呑な光が宿る。
「私に、逆らうということか」
「逆らうつもりはありません。ですが」
ヴィルヘルムは、拳を握りしめた。
「あの方は、もう俺たちの部隊の一員です。理由もなく差し出せというなら、それは……道理に反する」
「道理、か」
バルドゥインは、酒杯を弄びながら、低く笑った。
「面白い。道理を語るか、この私に」
その笑みの奥に潜む狼性が、一瞬だけ滲んだ気がした。
息が詰まる。
それでも、ヴィルヘルムは目を逸らさなかった。
「それに」
「まだ、何かあるのか」
「これ以上、味方を殺し合わせても、あなたに得はありません。俺たちの部隊は、この戦線で結果を出し続けている。……それを失うことこそ、損なはずです」
沈黙が、天幕を支配した。
バルドゥインは、しばらくヴィルヘルムを睨めつけるように見つめていたが、やがて、酒杯を置いた。
「……道理は、通っている」
その一言に、ヴィルヘルムは詰めていた息を、僅かに緩めた。
「今日のところは、それで良しとしよう。イルゼの件は、私の勘違いだったということにする」
「……感謝します」
「礼はいらん」
バルドゥインは、興味を失ったように視線を逸らした。
「下がれ。次の戦の支度がある」
それだけ告げられ、ヴィルヘルムとジークハルトは天幕を辞した。
外に出ると、ヴィルヘルムは大きく息を吐いた。
「……終わった、んですかね」
「一時はな」
ジークハルトの声は、どこか硬かった。
「だが、忘れるな。あの男は、簡単に矛を収めるような性根じゃない」
その言葉に、ヴィルヘルムは頷くしかなかった。
一方、天幕の中に残ったバルドゥインは、一人、酒杯の中身を見つめていた。
(道理、か)
口の端に、酷薄な笑みが浮かぶ。
(今すぐ潰すのは、惜しい)
あの部隊は、まだ使える。
戦力としても、駒としても。
(だが……いずれ、目障りになる時が来る)
その時が来れば、迷わず切り捨てる。
それも、この戦の混乱に紛れさせれば、誰にも気づかれずに済むだろう。
(戦場とは、都合の良いものだ)
誰に殺されようと、誰が死のうと、戦死の一言で片付けられる。
バルドゥインは、静かに酒杯を呷った。
その目に宿る光は、狼のそれと、何ら変わりなかった。
(第十二話へ続く)




