第七話 残された手がかり
夜の治療所は、静かだった。
ランプの火が、壁に小さな影を作っている。
セナは、ベッドの上で体を起こして、天井を見ていた。
「来た」
「来ました。呼ばれたので」
「……座って」
俺は、椅子を引いた。
セナの左脚には、新しい布が巻かれている。顔色は、昨日より少しいい。
でも、膝の上で組んだ指が、白くなるほど握られていた。
「思い出したことがある」
「はい」
「崩れる直前。盾の子が、通路の向こうから、何か叫んでた」
「……」
「そのときは、石の音で、何も聞こえなかった。ずっと、思い出せなかった。今日の昼、うとうとしてたら、急に」
セナは、一度、息を整えた。
「『水の音がする』って」
「水の音」
「それだけ。あとは、聞こえてない。聞き間違いかもしれない」
「聞き間違いじゃないかもしれません」
「……なんで」
「今まで思い出せなかったくらい、必死で聞こうとしてたからです」
セナは、驚いたように俺を見た。
言ってから、自分でも、変なことを言った気がした。
でも、引っ込めなかった。
「生きてる、って意味じゃない」
「はい」
「崩れる前に叫んでただけ。そのあとのことは、分からない」
「はい」
「でも、崩れた向こうに、水の音がするくらいの場所が、あるってことにはなる」
「……はい。そうなります」
セナは、膝の上の指を、ゆっくりほどいた。
「私は、あの子たちを置いていった」
声は、小さかった。
「盾の子に、行けって言われて。先に走ったのは、私」
俺は、口を挟まなかった。
「それが正しかったのかも、今も分からない。考えるたびに、息が詰まる。でも」
セナは、顔を上げた。
「泣いてる間に、できることがあるはず。思い出せること、全部、話す。だから、聞いて」
「聞きます。最後まで」
セナは、時間をかけて、話してくれた。
崩落があった日の朝。三人で通った道。盾の子の癖。弓の子の笑い方。
途中で、何度か、言葉が止まった。
そのたびに、俺は待った。
話が終わるまでに、ランプの火が、二度、揺れた。
「……ありがとう。聞いてくれて」
「いえ」
俺は、少し考えてから、聞いた。
「ギルドの人が探すとき、見つけやすい目印って、ありますか。荷物なら、荷札をつけるので」
セナは、きょとんとして、それから、小さく笑った。
「荷札」
「はい。落とし物でも、目印があれば、拾った人が分かるので」
「……弓の子は、矢羽根の根元に、青い糸を巻いてる。自分の矢が、分かるように」
「青い糸」
炭で書きたかったけれど、今は、頭に刻んだ。
「ギルドには、俺が伝えます」
「あなたが?」
「セナさんが動けない間、俺が伝言役をします。必要なら、荷運びもします」
セナは、黙っていた。
「俺は、下の道を全部知ってるわけじゃないです。でも、セナさんと一緒に通った道や、荷物の運び方なら、説明できます」
「……」
「頼まれたからだけじゃなくて。それが、今、俺にできる一番現実的なことだと思うので」
セナは、しばらく俺を見ていた。
それから、ふっと息を吐いた。
「善意だけで言ってるのかと思った」
「善意だけだと、役に立たないので」
「そうね」
今度は、はっきり笑った。
「カイ」
「はい」
「頼む。ギルドへの伝言は、あなたに」
「はい」
「雇う話は、まだ」
「はい。分かってます」
「でも」
セナは、少し視線を落とした。
「……頼りにしてる」
「はい」
それしか、言えなかった。
でも、胸の奥の重さとは別のところが、じんわりと熱かった。
翌朝、ドランさんに頼んで、半日だけ休みをもらった。
「理由は」
「ギルドに、用があって」
「……そうか。組合には、俺から言っとく」
何も聞かない。
その背中に、小さく頭を下げた。
探索者ギルドの広間は、朝から人が多かった。
受付の列に並ぶと、前回と同じ女性が、俺に気づいて顔を上げた。
「荷運びの、カイさん」
「覚えててくれたんですか」
「記録に、名前がありますから。ミレイと申します」
ミレイさんは、小さく頭を下げた。
「セナさんの件ですね」
「はい。追加で、お伝えしたいことがあって」
俺は、昨夜聞いたことを、順番に話した。
崩れる直前、盾役の仲間が叫んでいたこと。その言葉の一部が、「水の音がする」だったこと。
聞き間違いかもしれない、とセナが言っていたことも、正直に付け加えた。
ミレイさんは、書き留める手を、一度も止めなかった。
「ありがとうございます。貴重な情報です」
「弓の仲間は、矢羽根の根元に、青い糸を巻いているそうです。自分の矢の目印に」
「青い糸……」
ミレイさんは、その部分に、二重の線を引いた。
「それも、記録します」
「ギルドは、あの二人を……」
聞きかけて、言葉を飲み込んだ。
ミレイさんは、俺の顔を見て、静かに言った。
「見捨ててはいません」
「……」
「昨日、調査班を二名、下層へ出しました。まだ戻っていません」
「そう、なんですか」
「ただ、正直に申し上げます。崩落のあった下層の通路は、危険が大きい。救助隊を送るには、崩れた石をどける人手と、支える柱や縄の装備、それに、現場の正確な位置が必要です」
「位置が、分かってないんですか」
「大まかな想定は、あります。でも、確定していません。セナさんは動けず、あなたも下層の地理は、ご存じない」
「……はい」
「焦らせるつもりは、ないんです。ですが、準備なしに隊を送れば、助けに行った者まで、帰れなくなる」
その言葉は、すとんと胸に落ちた。
荷運びも、同じだ。
準備のない荷は、崩れる。
「見ていただきたいものがあります」
ミレイさんは、俺を奥の小部屋へ案内した。
机の上に、一枚の紙が広げてあった。
簡単な線で描かれた、経路図だった。
縦に伸びる太い線が、本線の昇降路。そこから横に枝分かれする通路が、何本か。
その一つに、赤い印がついている。
「ここが、ギルドが想定している崩落の位置です。セナさんが発見された罠の通路は、このあたり。荷役用の昇降路は、こちら」
指が、紙の上を動いた。
罠の通路から、荷役用の昇降路まで。
線は、ほとんど、まっすぐに引かれている。
俺は、図を見つめた。
違和感があった。
何かが、足りない。
「どうしましたか」
「いえ。その……」
セナを支えて歩いたときのことを、思い返した。
足元を確かめながら、一歩ずつ。
荷運びは、道の形を体で覚える。荷車を押すときも、荷を担ぐときも、坂と曲がり角は、重さの変わり目になるからだ。
「この図だと、罠の通路から荷役用の扉まで、ほとんどまっすぐですよね」
「はい。そう描いてあります」
「俺たちは、途中で三回、曲がりました」
ミレイさんが、顔を上げた。
「三回」
「はい。曲がるたびに、セナさんの脚をかばう側が変わったので、覚えてます」
「ほかに、気づいたことは」
「道は、ずっとゆるく下ってました。最初は気づかないくらいの坂で、曲がるたびに、少しずつ強くなって」
「曲がるたびに、傾きが……」
「荷車を押すなら、最後の方は、押すより支える側に回る坂でした」
ミレイさんは、図の端に、小さく何かを書き込んだ。
「それと、歩いた距離も、図から受ける印象より、長かった気がします。ただ、セナさんの脚に合わせて、ゆっくり歩いていたので、そこは当てになりません」
「分かりました」
「俺は、正確な地図を描けるわけじゃないです。思い出しただけで、間違ってるところも、あるかもしれません」
「それで、構いません。実際に歩いた方の証言として、参考にします」
ミレイさんは、書き込んだ紙を、静かに見つめた。
「この区画は、昔の調査で、簡単に描いたものです。罠の通路から先は、きちんとした測量をしていません。調査班が戻ったら、想定位置も含めて、見直します」
「お願いします」
「ご協力に、感謝します」
ミレイさんは、小さく頭を下げた。
部屋を出る前に、俺は聞いた。
「ミレイさん。捜索隊を出すとき、荷運びとして、参加できませんか」
ミレイさんは、すぐには答えなかった。
「……理由を、伺っても」
「荷物の運び方も、足場の見方も、人を支えて歩くことも、できます。それに、セナさんの代わりに、通った道を説明できます」
「お気持ちは、分かります。ですが」
ミレイさんは、指を折りながら、静かに言った。
「あなたは、正式な探索者ではありません。下層は、探索者でも、命を落とす場所です。つい先日、そこから帰還されたばかりでもあります」
「……はい」
「それと、荷運び組合の方が、昇降路の件で、あなたから話を聞きたがっていると伺っています」
喉が、ひくりと動いた。
「ギルドと荷運び組合は、別の組織です。あなたをギルドの隊に加えるには、ギルドが組合へ正式に協力を依頼して、組合が人を選んで派遣する形になります」
「正式な、依頼」
「はい。それに、ギルド側の安全審査も必要です」
頭ごなしの否定じゃなかった。
道筋を、教えてくれている。
「今、この場では、お答えできません。保留、とさせてください」
「分かりました」
俺は、うなずいた。
「組合には、俺から話します」
「正式な依頼は、ギルドが出します。あなたが先に動く必要は、ありません」
「それでも、話しておきます。断られても、理由が分かれば、次の準備ができるので」
ミレイさんは、少し目を見開いて、それから、ほんの少し笑った。
「……そうですか」
「はい」
待っているだけじゃ、誰も助けられない。
セナの言葉じゃない。
俺が、そう思った。
そのときだった。
広間のほうが、急に騒がしくなった。
「調査班が戻ったぞ!」
「道を開けろ!」
ミレイさんが、顔色を変えて、扉へ向かった。
俺も、後を追った。
広間の入り口に、土まみれの男が立っていた。
鎧は傷だらけで、肩で息をしている。後ろに、もう一人。二人とも、自分の足で立っていた。
ミレイさんが、駆け寄った。
「報告を」
「崩落跡は、見つけた」
男は、水を一杯、一気にあおった。
「ただ、ギルドの想定位置の辺りには、崩れた跡がなかった」
「なかった?」
「ああ。通路を奥まで進んで、やっと見つけた。奥へ進むほど、道は下ってた」
ミレイさんの視線が、ほんの一瞬、俺の方へ動いた。
「……カイさん」
小声だった。
「先ほどの証言を、思い出しました。図よりも曲がり角が多く、道が下っていた、と」
「はい。でも、俺は……」
「調査班は、あなたの話を聞く前に、出発しています。独立した発見です」
ミレイさんは、男の方へ向き直った。
「だからこそ、二つが合っているなら、意味があります。想定位置より奥に、実際の現場があった可能性が高い。ただし、経路の詳細は、まだ確認できていません。今後の調査が必要です」
「……はい」
俺は、それ以上、何も言わなかった。
手柄じゃない。
でも、見たものを話したことは、無駄じゃなかったかもしれない。
「続けてください」
「崩れた壁の向こうから、水の流れる音がしてた」
広間が、しんとなった。
「石の隙間に、これが落ちてた」
男は、腰の袋から、細い物を取り出した。
矢だった。
古いのか新しいのかも、分からない。
矢羽根の根元に、細い糸が巻いてある。
色は、青。
息が、止まった。
「……青い糸」
声が、勝手に出た。
ミレイさんが、ゆっくり、俺を見た。
「セナさんが、言ってました。弓の仲間は、矢に、青い糸を巻いてるって」
誰も、何も言わなかった。
「崩れる前に、落としたものかもしれん」
男が、慎重に言った。
「いつからそこにあったのか、俺には分からん。生きてる証拠だ、なんて、言えねえ」
「……はい」
「だが」
男は、矢を握りしめた。
「水の音がする壁の前に、青い糸の矢が落ちてた。それだけは、確かだ」
ミレイさんが、背筋を伸ばした。
「記録を。それから、上の者を呼んでください。——カイさん」
「はい」
「セナさんに、この矢を確認していただきたいんです。治療所へ、同行させてください」
「案内します」
青い糸は、ほどけかけていた。
それでも、確かに、そこに巻かれていた。




