第三話 触れてはいけない光
扉は、思っていたよりずっと大きかった。
石と鉄でできた二枚の扉が、荷車ごと通れるほどの幅で閉じている。表面には、荷物の形をした刻印が、いくつも彫ってあった。
荷運び組合の印だ。
「やっぱり、ここです。荷役用の昇降路で間違いありません」
「でも、開かない」
セナが扉を押した。
びくともしなかった。
「鍵穴は?」
「真ん中です。……ほら」
扉の中央、赤い核のすぐ下に、小さな鍵穴があった。
「普通は、組合の人が鍵を差して、中から開けるんです。外から開けられるのは、鍵を持った人だけで」
「その鍵を、あなたは?」
「持ってません。荷運びの新入りには、渡されないので」
セナは、赤い核を見た。
「それで、この核が守ってる」
「たぶん、そうです」
「鍵なしで開けようとしたら、撃つ。そういう仕掛け」
「……はい」
俺たちは、しばらく黙って扉を見ていた。
後ろへ戻る道は、あの廊下だけ。
引き返しても、行き止まりだ。
セナが、壁にもたれて脚を伸ばした。
そのとき、気づいた。
「セナさん。顔、赤いです」
「……寒いだけ」
「失礼します」
額に手を当てた。
熱い。
「熱があります」
「平気」
「平気じゃないです。あの傷が」
布の上から、脚にそっと触れた。
さっきより、熱を持っている。
「……地上で、ちゃんと診てもらわないと」
「分かってる」
「ここで待っても、良くならない」
「分かってる」
セナの声は、少しだけ尖っていた。
それから、短く息を吐いた。
「……ごめん。八つ当たり」
「いえ。当たり前です」
肩が、小さく震えていた。寒気がするのだろう。
俺は自分の上着を脱いで、セナの肩にかけた。
「……いらない」
「着ててください。俺は、動いてれば暑いので」
セナは何か言い返しかけて、やめた。
上着の端を、黙って握りしめた。
俺は水袋を差し出した。
セナは黙って受け取り、少し飲んだ。
「食べ物は、持ってますか」
「ない。あなたは」
「……少しだけ」
荷物入れの底から、固いパンの切れ端を出した。
昼に食べ残した分だ。端が欠けている。
「半分ずつ」
「あなたの分でしょ」
「半分ずつです。食べないと、倒れます」
セナは俺をじっと見て、受け取った。
固いパンをかじって、顔をしかめる。
「……石みたい」
「荷運びの昼飯なんて、こんなものです」
「パンの匂いがするんじゃなかったの」
からかわれた、と気づくのに、少しかかった。
「あれは、食べる方のパンじゃないです」
「じゃあ、何のパン」
「分かりません。でも、あっちの方が、ずっといい匂いでした」
セナは、ほんの少し笑った。
でも、すぐに笑いを消して、扉の核を見た。
「カイ」
「はい」
「やるつもり、でしょ」
「……はい」
「あの大きさの核は、さっきまでとは違う。何が入ってるか、分からない」
「分かってます。俺も、怖いです」
「怖いのに?」
「ほかに、道がないので」
セナは、パンの欠片を握りしめた。
「条件がある」
「はい」
「危なくなったら、手を離して。引っぱってでも離す」
話すたびに、声が少しずつ弱くなっている。
でも、俺を見る目だけは、さっきまでと同じだった。
「お願いします」
「それと、倒れそうになったら、倒れる前に言って」
「……倒れる前に言えたら、たぶん倒れないです」
「言いなさい」
「はい」
俺は立ち上がった。
扉の前へ行く。
赤い核は、近くで見ると、さらに大きかった。
脈打つたびに、光が壁へ広がる。
呼吸みたいに。
息を吸って、手を伸ばした。
「カイ」
後ろから、セナの声がした。
「……何ですか」
「二人で帰るんでしょ」
「はい」
指先が、光に触れた。
熱。
さっきまでとは、比べものにならない熱だった。
腕が燃えるようだ。
歯を食いしばった。
痛い。
初めて、痛いと思った。
胸の奥へ、何かが流れ込んでくる。
矢でも、刃でもない。
向きも、形も分からない。
ただ、重い。
荷運びで運んだ、どんな荷より重い。
膝が揺れた。
「カイ!」
「……だいじょ、ぶです」
「大丈夫じゃない! 離して!」
「あと、少し」
核の光が、指から腕へ、腕から胸へ吸い込まれていく。
扉の中で、何かが鳴った。
歯車。鎖。重たい金属が、ゆっくり動く音。
鍵穴の周りに、赤い線が走る。
その線が、すっと消えた。
光が、消えた。
膝から、力が抜けた。
床へ倒れる前に、襟を強くつかまれた。
「つかまえた」
セナだった。
壁を支えにして、腕一本で、俺の服を握っていた。
その手は、震えていた。それでも、離さなかった。
「……すみません」
「謝らないで。息をして」
息を吸った。
胸の奥が、重い。
何が入ったのか、まだ分からない。
扉のかんぬきが、外れる音がした。
二枚の扉が、ゆっくりと内側へ開き始める。
隙間から、冷たい風が吹いてきた。
「……鍵と、番人を兼ねてたのね」
セナが、荒い息のまま言った。
「だから、核を取ったら開いた」
「はい。……たぶん」
「たぶんは、あとでいい」
俺たちは、顔を見合わせて、少しだけ笑った。
扉の向こうは、四角い大きな縦穴だった。
見上げても、天井が見えない。
穴の底には、木と鉄でできた荷台が止まっている。四隅から太い鎖が伸びて、上の闇へ消えていた。
荷役用の昇降台だ。
「……これで、上がるの?」
「たぶんです。荷物を載せて、上へ送る台です」
壁に、大きな取っ手があった。
「あれを引くと、台が上がります。ドランさんが話してくれたのと、同じです」
「動く?」
「動くと思います。動かなかったら、そのときです」
セナを台へ乗せた。
乗るとき、セナは歯を食いしばった。左脚は、まだ体重を支えられない。
肩を貸すつもりだったのに、俺の足もふらついていて、二人で壁に手をついた。
「頼りない」
「すみません」
「でも、ここまで連れてきたのは、あなた」
「いえ。セナさんが、何度も止めてくれたので」
「……お互い様、にしておく」
俺は取っ手を引いた。
重かった。でも、荷車を引くよりは軽い。
鎖が鳴る。
荷台が、ゆっくり浮いた。
昇降台は、静かに上がっていった。
壁には、荷運びの印が等間隔に彫ってある。通るたびに、その下で小さな赤い灯りがともった。
足元の闇が、少しずつ遠ざかる。
セナは、壁にもたれて目を閉じていた。
俺の上着の下で、肩がまだ小さく震えている。熱と、疲れのせいだろう。呼吸が浅い。
「寝てください。着いたら起こします」
「寝ない」
「寝てください」
「……起こして、ね」
言葉の最後は、ほとんど息だった。
「はい」
返事を聞くと、セナはすぐに寝息を立てた。
張りつめていたものが、切れたらしい。ここまで、痛みをこらえて、ずっと動き続けていたのだ。
俺は、荷台の隅に座った。
寝息が止まっていないか、何度も確かめた。
胸に手を当てる。
重い。
矢も刃も、触れたときには使い方が分かった。
なのに、今度は何も分からない。
ただ、重さだけが残っている。
さっき入ったものは、まだ動かない。
何も起きない。
でも、確かに、そこにある。
あの光は、結局なんだったんだろう。
そのとき、セナが小さく呟いた。
「……ごめん」
寝言だった。
「みんな……ごめん」
それ以上は、聞こえなかった。
俺は、聞こえなかったことにした。
彼女の指が、剣の柄を握ったままだったから。
どれくらい上がっただろう。
台の揺れが、ゆるやかになった。
見上げると、縦穴の先が、薄く橙色に光っていた。
地上の光だ。
土と、雨の匂いが濃くなる。
そして、上から声が聞こえた。
「――イ!」
人の声。
「カイ! いるのか!」
俺は顔を上げた。
聞き覚えのある、野太い声。
「……ドランさん?」
セナが、目を開けた。
「……着いた?」
かすれた声だった。
「もうすぐです。上に、人が」
「人」
セナの目が、一瞬で鋭くなった。
「カイ」
「はい」
「さっきの約束」
「覚えてます。力のことは、話しません」
「……お願い」
セナは、俺の袖をつかんだ。指先が、冷たい。
台が止まる。
縦穴の出口から、ランプの光が差し込んだ。
太い腕が、こちらへ伸びてくる。
「カイ! 生きてたか!」
ドランさんの顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
俺は、笑おうとした。
でも、その前に。
胸の奥の重さが、ほんの少しだけ、動いた気がした。




