↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/20

第十五話 帰るための道

十四話の予約投稿ミスをしてしまい、十四話は本日の7時に投稿しています。未読の方はそちらからお読みください。

「戻れ!」


バルトの声が、水の音を切り裂いた。


足が、動かなかった。


闇の奥。かすれた声。


……誰か、いるのか。


あの声を、置いていく。


でも。


「一人で、下へ行かない」


セナの声が、頭の中で、響いた。


俺は、一人じゃない。


腰の縄の先に、ドランさんがいる。前には、バルトさんと、斥候さんがいる。


一人で飛び込めば、全員を危険にさらす。


「……はい!」


声を張り上げて、体を反転させた。


水が、ふくらはぎまで来ていた。斜面の上から押し寄せてくる水が、足元をさらう。


「斥候、先頭! カイ、次! 俺が殿だ!」


「了解!」


斥候の女性が走る。


俺は、棒で、足元を突いた。


「右の岩に沿って! 左は、流れが速い!」


「分かってる!」


水の音が、背後で、大きくなる。


縄が、腰で、ぴんと張りかけた。


「引くな!」


隙間の向こうから、声がした。


ドランさんだった。


「縄は、緩める! ゆっくり戻れ! こっちで、手繰る!」


縄が、すっと、ゆるむ。


引っ張られない。


その代わり、手繰られる縄の感触が、確かに、腰を支えていた。


隙間の前に、着いた。


斥候の女性が、先に、体を入れる。


「縄、手繰ってる! 通る!」


水が、隙間の中を、勢いよく、流れ出していく。


その流れに逆らって、斥候の女性が、這い込んでいった。


次は、俺だった。


頭を低くして、肘と膝で、這った。


水が、顔に跳ねる。


石の縁が、肩を擦る。


「そのまま! 頭、下げろ!」


ドランさんの声。


縄が、一回、二回と、手繰られる。


腰を、石にぶつけないよう、ゆっくり、引き寄せてくれている。


隙間を、抜けた。


引き上げられた手が、ドランさんの手だった。


大きな、ごつごつした手。


「……戻りました」


「ああ」


ドランさんが、短く、言った。


「縄は、解くな。バルトが来るまで、そのままだ」


「はい」


最後に、バルトが、隙間から、這い出てきた。


「三人、全員、戻った」


低い声だった。


バルトは、水の中に、立ち上がった。


「全員、壁から、十歩、下がれ。補強材の様子を、見る」




下がった先で、振り返った。


壁の隙間から、水が、滝のように、流れ出している。


その勢いが、ゆっくり、弱まっていく。


「技術者」


「見る」


技術者が、補強材に、近づいた。


「……三本とも、持ってる。ただし、一本目の足元の当て木が、ほんの少し、ずれた」


「直せるか」


「水が弱まったときに、直す。強い間は、近づけん」


「時間は」


「分からん。水の勢いが、どう変わるかによる」


水が、弱まる。


隙間の水が、細くなり、ちょろちょろと、足元を流れる程度に落ちた。


斥候の女性が、耳を澄ましていた。


「……水が、弱くなってる」


「ああ」


バルトも、じっと、隙間を見つめていた。


「待て。静かに」


全員が、息を止めた。


水の音。


ごぽ。


ちょろちょろ。


……


……ぁ


かすれた声が、隙間の向こうから、届いた。


「……誰か」


胸が、ぎゅっと、締まった。


「……誰か、いる……」


声は、そこで、途切れた。


水の音が、また、ざあっと、大きくなる。


「……聞こえたな」


バルトが、低く言った。


「間違いない。人の声だ」


「水の流れが、強いときは、声が届かない」


斥候の女性が、言った。


「弱いときだけ、聞こえる」


「波が、あるのか」


「数えてみる」


斥候の女性が、水の音に、耳を向けた。


声に出さず、唇だけで、数える。


しばらくして、言った。


「強い間は、六十ほど。弱い間は、三十ほど。でも、毎回、少しずつ違う。決まった間隔じゃない。次がいつ来るかは、読めない」


「原因は」


「分からん」


技術者が、首を振った。


「奥で、水が溜まって、こぼれるのかもしれん。だが、仮説だ」


「分かった」


バルトが、短く、言った。


「再突入は、まだ、許可しない。水の波を、もう少し見る。補強材を、直す。それと、救助の準備を、整える」


誰も、反論しなかった。


胸が、苦しかった。


でも、バルトの言葉は、分かる。


無謀に飛び込めば、全員、危険だ。


俺は、目を閉じて、壁の向こうを、思い出した。


見たもの。


聞いたもの。


水は、斜面の中央を、流れていた。右の岩壁の近くは、水が少なかった。石を積んだ段は、右の岩に沿っていた。水が避けて流れていた。


声が聞こえたとき、俺たちは、斜面を下っていた。天井が、もう一段、低くなる、そのすぐ手前だった。声は、その先の、闇の中からだった。


「……バルトさん」


「何だ」


「声の場所、分かるかもしれません」


全員が、俺を見た。


「壁の向こうで、水は、斜面の中央を流れてました。右の岩沿いは、水が避けて流れてた。石を積んだ段も、右の岩沿いでした。誰かが、水を避けて待つなら、右の岩沿いのはずです」


「続けろ」


「声が聞こえたとき、俺たちは、天井が一段低くなる、手前にいました。声は、その先からでした。さっき、隙間のこちら側から聞こえた声も、右の壁際から響いたように、聞こえました。斥候さんは」


「右下だ」


斥候の女性が、うなずいた。


「声が届いた向きは、右下。カイの話と、合う」


「つまり」


「右の岩沿い、天井が低くなる先の、岩陰。そこに、いる可能性が、高いです」


バルトは、しばらく、黙っていた。


「根拠は、見たことと、聞いたことだけだな」


「はい」


「分かった」


バルトは、うなずいた。


「それなら、動ける」


「カイ。もし、見つけたとして、運べるか」


「見つけたら、状態を見て、決めます。でも、準備だけは、先にしておきたいです」


「何が要る」


「厚い布を、二枚。縄。余った当て木を、一枚。それと、頭を守る、畳んだ布」


「何に使う」


「怪我をしている人が、いるかもしれないので。荷物を、狭い通路に通すときの、やり方を応用します。角を、ぶつけないように包んで、固定して、少しずつ、送ります」


「荷運びの知恵か」


技術者が、言った。


「はい」


「……分かった。ドラン」


「準備する」


ドランさんが、荷運び班に、声をかけた。


「布、縄、当て木。急げ」


技術者は、補強材に、近づいた。


水が、弱まっている。


「今だ。一本目を、直す」


盾持ちの男が、すぐ傍に立って、頭上を見張る。


技術者は、水の中に膝をついて、当て木を、押し直した。


こん、こん、こん。


「……いい。今は、持つ」


息を吐いて、立ち上がった。


「水が、また強まる前に、再突入を」


バルトが、言った。


「先行組は、前と同じ。バルト、斥候、カイ。それに、荷運びから一人。年配の荷運びだ。布と縄を、持て」


「分かった」


年配の荷運びが、布と縄を、背負った。


「ドランは、手前の荷運び班の指揮。技術者は、補強材と隙間の監視。盾は、壁の前の警戒」


「了解」


「水が強まったら、すぐ戻る。斥候、見ていろ」


「了解」


「出るぞ」




腰に、縄を結ぶ。


輪の結びだ。


ドランさんが、結び目を確かめる。


「行ってこい」


「はい」


隙間を抜けた。


水は、膝の下まで。


斥候の女性が、先頭。


右の岩に沿って、斜面を下る。


「ここ、滑ります」


「了解」


天井が、一段、低くなった。


ランプの光が、岩の壁を照らす。


その先。


右の岩壁に、窪みがあった。


大きな岩が、屋根のように、せり出している。


その下だけ、水が、避けて流れている。


「……見ろ」


バルトが、ランプを、向けた。


窪みの奥。


岩陰に、二つの影が、あった。


一人は、壁にもたれて、座っていた。


もう一人は、その隣で、横になっていた。


「……誰」


かすれた声が、返った。


座っていた影が、顔を上げた。


若い女性だった。


髪は、乱れて、頬は、こけている。


目だけが、大きく、ランプの光を、まっすぐ、受け止めていた。


「……人、だ」


その声は、あの声だった。


「誰か、いるのか」と呼んだ声。


「救助隊です」


俺は、駆け寄った。


「ギルドと、荷運び組合の、救助隊です。助けに来ました」


「……ほんとう?」


「本当です」


女性の目から、涙が、一筋、こぼれた。


「……よかった」


声が、震えていた。


「……ロイ」


隣の影に、声をかけた。


「ロイ、起きて。人が、来た」


横になっていた影が、ゆっくり、体を起こそうとした。


若い男だった。


顔色が、悪い。


右の脚に、布が巻かれている。その脚が、不自然な角度で、投げ出されていた。


「……来たのか」


「はい」


「……ミナ、お前が、呼んだのか」


「うん。……声が、出た」


「そうか」


男は、小さく、息を吐いた。


「……よく、やった」


「あなたたちは」


バルトが、静かに、聞いた。


「探索者パーティの、方ですね」


「はい。……弓使いの、ミナ。こっちは、盾持ちの、ロイ」


「セナの、仲間か」


「……セナ?」


ミナさんの目が、大きく、見開かれた。


「セナを、知ってるの? 生きてるの?」


「生きてます」


俺は、言った。


「治療所で、待ってます。脚を、怪我してますが、命に別状は、ありません」


「……そう」


ミナさんは、顔を覆った。


肩が、震えた。


ロイさんも、目を閉じて、唇を噛んだ。


「……よかった」


小さな声だった。


「あの人が、助かって……」


「あの、叩く音は」


俺は、聞いた。


「壁を叩いていたのは、お二人ですか」


「……最初は、ロイが」


ミナさんが、ロイさんを見た。


「盾の縁で、壁を、叩いてた。眠らないように。ここにいる、って、誰かに、聞こえるように」


「一定の間隔で、叩いてた。体力が、なくなるまで」


ロイさんが、かすれた声で言った。


「そのうち、向こうから、叩く音が、聞こえた。短く、二つ。長く、一つ」


「意味は、分からなかった」


ミナさんが続けた。


「でも、向こうが、叩いてきた。人だ、って、思った。だから、聞こえたとおりに、返した。……私が、石で」


「何度も返した。でも、だんだん、手が、動かなくなって」


「最後の、一つ」


「……聞こえてたんですか」


「聞こえた。あれは、私」


ミナさんが、小さく、笑った。


「あなたたちだったのね。……ありがとう」


胸が、熱くなった。


「石が、ごりごり鳴る音は」


「あれは、知らない」


ロイさんが、言った。


「崩れたあと、何度か、鳴った。水が、増えるときに。……怖かった」


「その話は、あとだ」


バルトが、低く、言った。


「立てるか。歩けるか」


「私は、歩けます。……少しなら」


ミナさんが、壁に手をついて、立ち上がろうとした。


でも、膝が、がくりと、折れた。


斥候の女性が、すぐに、支えた。


「無理しないで。ゆっくり」


「ロイは」


「脚が、折れてる」


ミナさんが、小さく、言った。


「崩れたとき、ロイが、私を庇って。盾で、石を、受けて……」


「ミナ。余計なことを、言うな」


「でも」


「いい」


二人の声は、それ以上、続かなかった。


そのとき。


足元の水が、ぐっと、引いた。


次の瞬間。


ごう、と、斜面の奥から、水が、押し寄せてきた。


「水が来る!」


斥候の女性が叫んだ。


「波だ! 強い方だ!」


水が、ふくらはぎから、膝まで、一気に上がった。


窪みの中は、まだ、少し高い。でも、水は、じわじわ、這い上がってくる。


隙間の向こうから、声が、届いた。


「補強材が鳴ってる! 一本目の足元が、またずれた!」


技術者の声だった。


「急げ! 今は持ってるが、次の水の波まで耐えられるか分からん!」


いつまで持つのか、誰にも、分からない。


胸の奥の重さが、ぐっと、傾いた。


斜面の奥へ。水の来る方へ。


一度だけ、強く。


でも、それは、今、考える暇じゃない。


重さは、すぐに、静まった。


「バルトさん」


「判断は、俺がする。……だが、運び方は、お前に任せる」


バルトの目が、俺を、まっすぐ見た。


「全員、カイの指示で動け」


信じてくれた。


全員が、俺を見た。


怖かった。


でも。


やるしかなかった。


急ぐ。


でも、急ぎすぎたら、ロイさんが、傷つく。


確認は、省かない。


「ロイさんから、運びます」


「俺は、後でいい」


ロイさんが、言った。


「ミナを、先に」


「だめです」


俺は、即座に、言った。


「遅い荷から、先に出します。荷運びの決まりです。」


ロイさんが、ふっと、苦笑した。


「……荷、か」


「すみません。荷運びの決まりの言い方です」


俺は、頭を下げた。


「人を荷物扱いしてるわけじゃないです。通す順番の話です。痛みは、ちゃんと、聞きます」


「……分かった。頼む」


「後ろが、速ければ、追いつけます。遅い人を後に回すと、最後に、詰まります。ミナさんは、その次です。必ず、通します」


「……うん」


ミナさんが、うなずいた。


「年配の荷運びさん。布を」


「ああ」


厚い布を、床に広げる。


「ロイさん。体を、布に乗せます。その前に、確認させてください」


「ああ」


「名前を、教えてください」


「……ロイ」


「ありがとうございます。意識は、はっきりしてますね。息は、苦しくないですか。深く、吸えますか」


ロイさんが、ゆっくり、息を吸って、吐いた。


「……大丈夫。吸える」


「痛いのは、右脚だけですか」


「ああ。右の脚。膝の下」


「他に、痛む所や、しびれる所は」


「ない」


「脚は、動かさなくていいです。足の指だけ、動かせますか」


「……動く」


「ありがとうございます。脚は、まっすぐにしません。今の角度のまま、動かないように、支えます」


「痛くなったら、すぐ、言ってください。言ってくれたら、すぐ止めます。我慢は、しないでください」


「……分かった」


「三人で、体を持ち上げて、布の上へ移します。俺が頭、年配の荷運びさんが胴、バルトさんが右脚です。脚は、動かさずに、そのまま、持ち上げます。せーので、いきます」


「分かった」


「せーの」


三人で、同時に、持ち上げた。


ロイさんの体が、布の上へ、静かに、収まった。


右脚の両側に、丸めた布を、詰める。


その外側に、当て木。


当て木が、直接、脚に当たらないように、間に、布をもう一枚、挟む。


縄は、当て木の外側から。ゆるく回して、脚が動かない程度に。締めすぎない。


「きつくないですか」


「……少し、ここが」


「ゆるめます」


縄を、一巻き、戻した。


「どうですか」


「……楽に、なった」


「ありがとうございます。そこが、ちょうどいいです」


体は、布で、ゆるく包む。


頭の下には、畳んだ布を、重ねる。首の脇にも、挟む。


結び目は、体の外側。引いても、締まらない結び。


「……これで、体が、ずれません」


「頭が、守られてる」


バルトが、低く、言った。


「荷の運び方を、人に当てはめるのか」


「はい。荷は、角をぶつけないように、包みます。人も、それは、同じです。でも、人は、痛いと、言えます。だから、聞きながら、進めます」


「……分かった。次は」


「隙間を、通します。頭から、通します」


俺は、隙間の方へ、向いた。


「布を引っ張って、床を滑らせることは、しません。向こうと手前の両側から、布の端を持って、体を床から少し浮かせたまま、一歩分ずつ、送ります。頭、胴、脚の順です。向こう側の方が、受け取ります」


「壁の向こうと手前で、合図を、そろえます。縄で。一度、軽く引くのが、『進め』。二度、小さく引くのが、『止め』。三度は、危険。声も、必ず、一緒に出してください」


「了解」


隙間の向こうから、ドランさんの声が、返った。


「手前、分かった! 縄、持ってる! 手も、出して待つ!」


「技術者さん。隙間の縁、擦れる所に、布を当ててもらえますか」


「今、当てる。頭上と、肩の高さだ」


技術者の声が、続いた。


「一本目の足元、また、直した! 今は、持ってる! ただし、次の波は、分からん!」


「ありがとうございます!」


水は、膝まで来ていた。


窪みの中も、足首が、ひたひたと、濡れていた。


「……斥候さん。水の波を、見ていてください。強い方に入ったら、教えてください」


「今は、強い方だ。いつ弱まるかは、分からん。変わったら、すぐ言う」


「弱まるのを、待たずに、運べるところまで、運びます」


「二人で、持て」


バルトが、年配の荷運びに、言った。


「カイ、先頭。足場を」


「はい」


ロイさんを包んだ布の、両側に、縄を通す。


年配の荷運びと、バルトが、片側ずつ、持つ。


俺は、先頭で、棒を使って、足元を確かめた。


「ここ、右。滑ります。左の石の上を」


「了解」


一歩ずつ。


水が、膝の下で、冷たく、流れている。


窪みから、斜面を上って、隙間の入り口へ。


「ロイさん。痛みは」


「大丈夫。進んでくれ」


「止まるときは、声をかけます」


隙間の手前に、着いた。


水が、隙間から、勢いよく、流れ出している。


隙間の縁に、技術者が当ててくれた布が、見えた。


「入り口です。頭から、通します」


縄の一端を、隙間の向こうへ、通す。


向こうから、ドランさんの手が、縄をつかんだ。


「受け取った!」


「ロイさんの頭の側を、まず出します。手前の方、頭を、手で守ってください。縄は、軽く、一度で、進めます」


「分かった!」


縄を、一度、軽く引く。


「進め」


年配の荷運びと、バルトが、布の端を持って、ロイさんの体を、床から少し浮かせた。


布が、隙間へ、静かに、送り込まれる。


向こう側から、手が伸びてきて、頭と肩を、受け止めた。


ロイさんの頭が、隙間に入る。


肩が、石の縁に、布越しに、そっと、触れる。


「止め!」


縄を、二度。


「止まった!」


ドランさんの声。


「ロイさん、痛みは」


「……ない。大丈夫」


「進め」


縄を、一度。


布が、また、少し、送られる。


肩が、抜ける。


胸。


「止め」


縄を、二度。


「ロイさん、ここで、もう一度、確認します。痛みは。しびれは」


「……右の脚が、少し、疼く。でも、さっきと同じだ」


「息は」


「できる」


「ありがとうございます。脚を、通します。一番、狭い所です」


ぎし、と、隙間の向こうから、音が響いた。


「補強材の足元の当て木が、少しずつ、押し出されてる! 持ってはいる! だが、油断するな!」


技術者の声だった。


焦るな。


焦ったら、ロイさんの脚が、石に当たる。


「手前の方。膝の下と、足首を、両手で受けてください。こちらでは、バルトさんが、膝のあたりを、支えます。角度は、変えないで」


「分かった!」


「バルトさん」


「ああ。ここで、支える」


バルトが、折れた脚の、膝のあたりに、両手を添えた。


「進め」


一度。


布が、ゆっくり、送られる。


隙間の向こうで、荷運びたちの手が、脚を受け取っていく。


「……脚が、半分、出た!」


「そのまま、止め!」


二度。


「止まった!」


「最後です。進め」


一度。


「……通った!」


ドランさんの声が、向こうから、響いた。


「ロイ、こっち側に、出た! 無事だ!」


息が、止まっていたことに、気づいた。


「ロイさん、痛みは」


向こう側から、小さな声が、返った。


「……大丈夫だ。ありがとう」


肩の力が、ほんの少し、抜けた。


「次は、ミナさんです」


そのとき。


ぎし、ぎし、と、補強材の音が、さらに大きくなった。


「補強材が!」


「技術者!」


「一本目の足元が、もう、ずれ始めてる! 急げ! ただし、焦って壁に当たるな!」


水が、ふくらはぎまで、上がってきた。


「ミナさん!」


「はい!」


ミナさんが、斥候の女性に支えられて、隙間の前まで来ていた。


腰に、縄を結んだ。


輪の結びで。


「この縄は、引いても、締まりません。ほどけません」


「……うん」


「ゆっくりで、いいです。頭を、低く。石に、触れないように」


「分かった」


「進め」


縄を、一度。


ミナさんの体が、隙間へ、入った。


小さな体が、水と一緒に、石の間を、這っていく。


「止め」


二度。


「大丈夫! 続けて!」


声が、隙間の向こうから、聞こえた。


ミナさん自身の、声だった。


「進め」


一度。


「進め」


一度。


縄が、手繰られていく。


ミナさんの足が、隙間の向こうへ、消えた。


「ミナ、出た! 無事だ!」


ドランさんの声。


肩の力が、抜けた。


「次は、年配の荷運びさん。それから、斥候さん」


「分かった」


「バルトさんは、最後に」


「ああ」


年配の荷運びが、隙間へ、体を入れた。


次に、斥候の女性。


水が、膝まで来ていた。


補強材の音が、ぎし、ぎし、と、続く。


「バルトさん」


「行け、カイ」


バルトが、俺の肩を、叩いた。


「お前も、行け。俺が、最後だ」


「でも」


「命令だ」


バルトの目は、真剣だった。


「行け」


俺は、うなずいた。


隙間へ、体を入れた。


水が、顔に跳ねる。


石が、肩を、擦る。


肘と膝で、這う。


背中に、水の音。


「カイ! 来い!」


ドランさんの声。


最後の一歩。


手が、引き上げられた。


「……来た」


「ああ」


ドランさんの手が、俺の腕を、握り締めた。


「バルトは」


「今、来ます!」


隙間の向こうで、ランプの光が、動いた。


バルトの手が、隙間から、伸びてきた。


ドランさんが、その手を、つかんだ。


引き出す。


バルトの体が、水と一緒に、隙間から、滑り出てきた。


「……全員、戻った」


バルトが、言った。


その瞬間。


ごり、と、壁の奥で、大きな音がした。


壁の上の方から、石が一つ、ずるりと、落ちた。


水の中に、どぼん、と、沈む。


でも、補強材は、持っていた。


壁は、崩れなかった。


「全員、壁から離れろ!」


バルトが、叫んだ。




「担げ!」


ドランさんの指示で、荷運びたちが、ロイさんを包んだ布を、持ち上げた。


四人がかり。


ミナさんは、斥候の女性と、年配の荷運びに、両側から支えられた。


「ゆっくり。足元、注意」


「はい」


壁から、十歩。二十歩。


水の音が、少しずつ、遠ざかる。


通路の少し高くなった所で、バルトが、足を止めた。


「ここで、いい」


水は、足首にも、届かなかった。


比較的、安全な場所だった。


「下ろせ」


ロイさんが、そっと、床に下ろされた。


ミナさんが、その隣に、座った。


二人は、手を握り合っていた。


誰も、何も言わなかった。


技術者が、壁の方を、振り返って、小さく言った。


「補強材は、まだ、持ってる。だが、次の波まで、持つかは、分からん」


「十分だ」


バルトが、短く、言った。


「全員、生きてる」


十二人。


それに、二人。


十四人、全員。


胸が、いっぱいになった。


ミナさんが、俺の方を見た。


「……あの」


「はい」


「ありがとう」


「いえ」


「セナ、に」


声が、震えた。


「会いたい」


「会えます」


俺は、言った。


「そのために、全員で、帰りましょう」


「カイ」


ドランさんが、隣に来た。


大きな手が、俺の背中を、どんと、叩いた。


「まだ、終わりじゃねえぞ」


「はい」


俺は、答えた。


「全員で、帰ります」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。