第十二話 十三回目の昇降
夜の荷役場は、風が冷たかった。
昇降台は、空のまま、縦穴の縁に置かれていた。
「始める」
オルトが言って、巻き上げ装置の操作棒を握った。
「空の台で、本番と同じ回数、動かす。七回降ろして、六回、戻す。荷重の試験は、昨日、砂袋で済ませた。今夜は、動かし続けて、地上側が持つかどうかを見る」
「十三回、ですね」
「ああ」
鎖が鳴る。昇降台が、縦穴へ沈んでいく。
昇降台に吊したランプの光が、壁を照らしながら、下りていく。荷運びの印が、光の中に、一つずつ浮かんでは、闇へ消えた。
降りる。戻る。降りる。戻る。
そのたびに、オルトは、鎖と、歯車と、枠を、手で確かめた。
十三回目が終わったとき、夜は、だいぶ更けていた。
「異常、なし」
技術者が、鎖の継ぎ目を一つずつ叩いて、確かめた。
「摩耗も、ひびも、見当たらん」
オルトは、何も言わずに、巻き上げ装置の歯車を見つめていた。
しばらくして、口を開いた。
「地上側は、異常なし。鎖も、巻き上げ装置も、枠も。空の台で十三回、動かして、確かめられたのは、それだけだ」
「それだけ、というと」
ドランさんが聞いた。
「空の台で動いたからといって、本物の荷と人を載せた運転が安全だという保証には、ならん。砂袋の試験も、同じだ。本番では、揺れも、人の動きも、違う」
オルトは、縦穴の暗がりを見た。
「それに、下は、見えん。台座が空の理由も、鍵の記録のない運行の理由も、まだ分からん。今夜の試験で、解けたわけじゃない」
オルトは、俺たちを見回した。
「大丈夫、とは言わん。言えん」
「はい」
「確認できた範囲で、許可する。条件がある」
オルトは、指を立てた。
「一つ。昇降台が、少しでもおかしな音を立てたら、その場で止める。二つ。鎖の張りが一定でなくなったら、止める。三つ。下から二度引きの合図が来なかったら、次の便は降ろさない。止めたら、原因を確かめるまで、動かさない」
「はい」
「地上側の操作と、中断の判断は、俺の責任だ。下でバルトが中断を決めたら、俺は従う」
俺は、うなずいた。
胸の奥の重さは、静かだった。
十三回、昇降台が動いている間も、ずっと。
夜明けの荷役場に、本隊の十二人が集まった。
探索者のバルト、斥候の女性、盾持ちの男。技術者。荷運び組合の八人。ドランさんと俺、年配の荷運び、それに、顔なじみの荷運びが五人。
どの顔も、こわばっている。でも、目は、逃げていなかった。
「順番は、確認済みだ」
バルトが、短く言った。
「一便目、バルト、斥候、ドラン、カイ。二便目から四便目、補強材、無人。五便目、盾持ち、技術者、荷運び二人。六便目、資材、無人。七便目、残りの荷運び四人。以上」
「昇降台は、地上でオルトが操作する。鎖の合図は、二度引き。引き上げ。それ以外の勝手な合図は、使うな」
「了解」
「出発だ」
昇降台の脇で、オルトが待っていた。
「降りたら、まず扉と昇降台まわりだ。バルトの指示で動け。異常があれば、二度引き。そのときは、全員、引き上げる」
「はい」
昇降台に乗り込む。
四人と、軽い荷。灯り、荷札、棒、縄の一部。
鎖が鳴る。
地上の光が、頭の上で、遠ざかっていく。
縦穴の壁を、荷運びの印が、昇降台のランプの光に浮かびながら、ゆっくり流れていく。
数える。荷運びの癖だ。
全部で、十八。
ごとん、と台が底についた。
闇の中に、ランプの光が揺れる。
石と鉄の二枚の扉は、開いたままだった。
扉の中央の台座は、空のままだ。
「安全確認、俺の指示でやる」
バルトが、低く言った。
「斥候、扉。ドラン、鎖の根元と昇降台の取っ手。カイ、昇降台の底と周辺。見えたものを、そのまま言え」
俺は、荷運びの目で、昇降台のまわりを確かめた。
底の板。鎖の掛かり。床に残る、荷の擦れた跡。
「……おかしな所は、見つかりません。ただ、見えるのは、俺の範囲だけです」
「扉、異常なし」
斥候の女性が言った。
「鎖の根元、問題ない」
ドランさんも続ける。
「台座は」
「空のままだ」
「設備の安全の判断は、オルトと俺がする」
バルトが、俺を見た。
「カイ。お前は、荷の受け入れに備えろ」
「はい」
軽い荷を降ろして、鎖を、二度、引いた。
遠くで、巻き上げ装置が、唸った。
昇降台が、空で、戻っていく。
二便目は、補強材の束だった。
人の乗っていない昇降台が、荷を縄で固定したまま、ゆっくり降りてくる。
ドランさんと俺は、昇降台の縁に張りついて、荷を受け取った。
「一番の札」
「壁用、二本」
「受けた」
札の番号順に、通路の脇へ並べていく。
荷降ろしが終わると、鎖を、二度、引いた。
昇降台が、空で、戻っていく。
三便目、四便目も、同じだった。
荷が降りる。札の順に並べる。鎖を二度引く。昇降台が戻る。
順調だった。
順調すぎて、怖いくらいに。
「五便目」
バルトが、縦穴を見上げた。
昇降台が、地上から降りてくる。
乗っているのは、盾持ちの男、技術者、荷運び二人。それに、軽い資材。
一便目から数えて、九回目の運転だ。
昇降台のランプが、壁の印を、一つずつ、照らしながら降りてくる。
斥候の女性が、小声で数えていた。
「一つ。二つ。三つ」
見上げる俺たちの視界を、昇降台の灯りが、ゆっくり下りてくる。
「六つ。七つ。八つ」
俺も、頭の中で、数えていた。
九つ目の印が、光の中に浮かんだ。
そのとき。
かん、と、鎖が、不自然に鳴った。
「……今の」
斥候の女性が、眉を寄せた。
昇降台の灯りが、ぐらり、と大きく揺れた。
鎖が、かん、かん、と鳴る。
灯りが、止まった。
縦穴の、ちょうど、半ばで。
胸の奥の重さが、ぐっと、傾いた。
これまでとは、違う。
縦穴の方へ。まっすぐ。強く。
息が、詰まった。
「止まった……?」
ドランさんが、かすれた声で言った。
「全員、縦穴の真下から離れろ!」
バルトの声が、響いた。
「落ちてくるものがあるかもしれん。扉の下まで下がれ!」
走った。
扉のアーチの下まで。
振り向くと、縦穴の途中に、小さな灯りが、一つだけ、揺れていた。
昇降台だ。
動かない。
「バルトさん」
「分かってる。状況を整理する」
バルトは、ランプを高く掲げて、縦穴を見上げた。
「斥候。昇降台の位置と、まわりを確認しろ。縦穴には、身を乗り出すな」
「了解」
斥候の女性が、アーチの縁から、慎重に、首だけ出す。
「ドラン。縄と、工具の準備」
「分かった」
「カイ。お前は、荷運びの目で、見えるものを、全部言え」
「はい」
俺は、縦穴の壁を、見上げた。
昇降台のランプの光が、壁の印を、二つ、ぼんやり照らしている。
印は、等間隔に、並んでいる。全部で、十八。
下は、俺たちのランプの光が、四つ目あたりまで、浮かび上がらせていた。その上は、暗い。
でも、間隔は、同じだ。暗い所の長さを、印の間隔で割れば、数えられる。
「降りてくるとき、九つ目の印を照らした直後に、揺れました。今、昇降台の灯りが照らしてるのは、九つ目と、その上の八つ目です。印は全部で十八。ちょうど、半分のところで、止まってます」
「私の数でも、九つだ」
斥候の女性が、縦穴を見上げたまま、言った。
「降りてくる間、数えてた。九つ目で、止まった。間違いない」
「昇降台は」
「傾いていません。水平のまま、ぶら下がってます。鎖も、切れていません。灯りが、真上に、まっすぐ伸びてます」
斥候の女性が、続けた。
「台の上に、人影が見える。四人。動いてる」
「動いてる……」
よかった。
少なくとも、全員、落ちてない。
「声は」
「聞こえない。遠すぎる」
「荷役場の合図を、灯りで送ります」
俺は、言った。
「『聞こえるか』。短く二つ、長く一つ。ランプを、振ります」
「やれ」
ランプを、縦穴の真上へ向けて、振った。
短く、二つ。
長く、一つ。
縦穴の途中の灯りが、ふっと、揺れた。
短く、二つ。
長く、一つ。
同じ拍で、返ってきた。
「……応えた」
「全員、生きてる」
バルトが、低く言った。
「乗員は、無事だ」
膝が、一瞬、ゆるんだ。
でも、すぐに、力を入れ直した。
まだ、終わっていない。
「バルトさん。地上の、オルトさんに伝えたいです」
「伝える?」
「昇降台は、水平のまま、半分のところで止まってます。乗員は、無事。鎖は、切れてない。それと、下は、全員、無事」
「鎖を、二度引くか」
「だめです」
俺は、即座に、言った。
「二度引きは、『引き上げてくれ』の合図です。今、巻き上げ装置を動かされたら、止まった原因が分からないまま、鎖に、荷重がかかります」
「……そうだ」
バルトが、うなずいた。
「二度引きは、使うな」
「縦穴の壁を、叩きます。荷役場の合図で。『待て』。短く、三つ。縦穴の壁は、地上まで、一つながりの石です。届くかは、分かりません」
「やってみろ」
縦穴の壁に、木槌を当てた。
こん、こん、こん。
水の音しかしない。
待つ。
もう一度。
こん、こん、こん。
何も、返らない。
「……届いてない、かもしれません」
「決めつけるな」
バルトが言った。
「届いたかどうかは、分からん。届いた、と決めて動くな。届かなかった、と決めて、備えろ」
その言葉が、胸に落ちた。
もう一度、叩く。
こん、こん、こん。
……
……こん、こん、こん。
上から。
かすかに。遠くから。
返ってきた。
「聞こえた」
斥候の女性が、言った。
「上からだ。同じ拍」
「届いた……!」
バルトは、うなずいた。
「待て、か。オルトは、動かさずに、確認に入る。俺たちも、待つ」
巻き上げ装置の唸りは、聞こえない。
オルトが、止めたままにしてくれている。それだけで、少し、息ができた。
どれくらい、待っただろう。
縦穴の途中の灯りが、動いた。
上へ。
ごくゆっくり。一つ分にも満たない幅で。
止まる。
また、少し。
「……上げてる」
ドランさんが、つぶやいた。
「下へ降ろしてるんじゃない。上へ戻してる」
「そうか」
バルトが、うなずいた。
「止まった原因が分からん以上、一番確かな方向は、さっきまで通ってきた、上だ」
目盛りを見ながら。荷重が、一度でも跳ねたら、止めるつもりで。
オルトなら、そうする。
胸の奥の重さは、縦穴の方へ傾いたまま、動かなかった。
これは、昇降台が止まったことと、関係があるのか。
分からない。
分からないことで、誰かを動かすことは、できない。
根拠が、ない。
昇降台の灯りは、壁の印を、一つ、また一つ、照らしながら上っていった。
やがて、見えなくなった。
「乗員は、地上へ戻った、と見ていいな」
バルトが言った。
「確認は、できん。だが、上は、オルトがいる」
「はい」
しばらくして。
縦穴の上から、縄が、するすると降りてきた。
先に、荷札が一枚、結んである。
ドランさんが、縄を受け止めた。
「荷札、だな」
「俺が読みます」
荷札には、炭の、太い字で書いてあった。
乗員四名、無事。地上へ戻した。
地上側、異常なし。
原因、不明。
昇降台は、点検中。動かさない。
そちらは、待機せよ。
オルトの字だった。
「……上へは、動いた。下へは、まだ試してない。原因は、不明か」
バルトが、短く言った。
「正直な報告だ」
「はい」
「昇降台が戻るまで、下は、俺たちの四人だけだ」
バルトは、アーチの下の、補強材の山を見た。
「補強材は、三便分ある。だが、構造の判断ができる技術者は、上にいる。石をどける人手も、足りない」
「……」
「四人で、壁へ行く案は、却下だ」
「はい」
俺は、答えた。
分かっている。
分かっているのに、胸が、苦しかった。
壁の向こうの人。
弱く、返してくれた人。
水は、待ってくれない。
そのとき。
通路の奥から、水の音が、聞こえた。
「……?」
さっきまでの、ちょろちょろじゃない。
低くて、太い、ざあ、という音。
「……聞こえるか」
バルトが、低く言った。
「はい」
「前に聞いたときより、大きい」
斥候の女性が、耳を澄ました。
「増えてるのか、別の流れが入ったのか……分からない」
「確かめに行く気は、ない」
バルトが、言い切った。
「今は、行かせん」
「……はい」
分かっている。
全員で帰れなければ、誰も、助けられない。
でも。
昇降台を直す時間。
壁の向こうの人の時間。
どっちを待たせても、誰かが、危ない。
両方を助けるために、何を、先にやるのか。
胸の奥の重さは、縦穴の方を向いたまま、動かなかった。
水の音は、少しずつ、大きくなっていた。




