第五章 特殊な異能『昇華』
純和風の大きな母屋の敷居を跨いだ途端、義母が悲鳴をあげた。
「きゃー、何故、無能の嫁が母屋に足を踏み入れているの!? しかも、呪われた離れで暮らしているのに、わたくし達まで呪われるじゃない!」
義母は、蒼真も離れで暮らしていることを知らないのだろうか。無能はともかく、後者の発言は蒼真に対する侮辱でもある。
そして、桜子も同様の反応を示す。
「どうして、お異母姉様が、この神聖な母屋に!? それに、蒼真様と手なんて繋いで……って、蒼真様は、出張中だったのでは? あ……」
桜子は、バツが悪そうに蒼真から目を逸らした。
「出張は、先月終わった。今は、共にあの離れで暮らしている。仲睦まじく……な」
「仲睦まじくって、お異母姉様が慕っているお相手は」
「蒼真様です!」
はっきりと言えば、蒼真が隣で微笑んだ。そして、その表情は一変、桜子を冷めた目で見据えた。
「もちろん、俺の愛する相手も柚子葉だ」
「なッ、お異母姉様の分際で、蒼真様に愛されるですって……」
ギリリと唇を噛む桜子を横目に、私は蒼真と共に義父のいる奥の部屋へと進んだ――。
頼もしい蒼真の手に繋がれているため、母屋にいても怖くない。けれど、私が見たものが妖魔の残り香と違ったら……私に昇華という異能が無かったら……今度こそ、無能として厄介者でしかない。蒼真のお荷物にしかならない。
それを口にしたら、蒼真に叱られそうではあるが、これまでいくら試しても何も起こらなかったのだ。今更、夢を見ても絶望が待っている気しかしない。
一番奥にある部屋の前に立てば、蒼真にギュッと強く手を握り直された。
「大丈夫だ。俺が付いている」
「……はい」
「全然大丈夫そうではないな」
「……はい」
緊張した面持ちで、胸に手を当てて深呼吸する。
「案ずるな」
そう言って、蒼真に耳打ちされた。
「実はな。――――だという噂だ」
「……え?」
「もしも、柚子葉に異能がなくても、これからは誰にも文句を言わせない。いや、言えんだろうな」
蒼真は、襖を横に引きながら、振り向きざまに笑顔を向けた。
「それに、柚子葉には必ず異能がある」
「蒼真様……」
感極まっていると、目の前の異様な光景に息を呑んだ。
「え……」
襖を開けた向こう側には、真っ黒い蝶の群れが飛び回っていた。
部屋の中央に敷かれた布団の上に横たわる義父の顔は、数度しか見たことが無かったけれど、以前見た時よりも随分と痩せこけ、土気色をしていた。呼吸も浅く、今にも事切れてしまいそうな印象だ。
蝶の一匹が、義父の頭の上に止まった。それは、まるで蜜を吸う様に制止している。
「柚子葉、どうだ?」
「どうだ……と、言われましても」
よくこれで平然としていられるものだ。
そして、これらの蝶の外見は、先程蒼真の持ち帰った本に載っていたものと同じ。
妖魔の残り香は、幼虫から蛹、蛹から成虫になる程、その人の精気を奪っている証なんだとか。更には、成虫になってしまったが最後、自身の生命力だけで、それを消滅させるのは困難だとも書いてあった。その後は、死しか待っていないと……。
「蒼真様。急いだほうが宜しいかと」
「うむ。やはり、そうか」
蒼真と私の後ろに、義母と桜子もやってきた。
「ちょっと蒼真。なにごとなの?」
「そうですわ。無能が、お義父様になんの用なの?」
「無能ではない。柚子葉は、誰よりも特別な異能者だ」
「は? どういうことですの?」
怪訝な顔をする義母と桜子に見せつけるように、蒼真は力強く言った。
「柚子葉、頼む」
「はい」
私は、蒼真から手を離し、部屋の中に一歩足を踏み入れた。
飛んでいる蝶を幼虫や蛹のように素手で追い払うことは不可能。どうしたものかと悩むことなく、私は祈るように手を前で組んだ。
異能の使い方は知らないはずなのに、何故だか言葉が勝手に口から出た。
「精気を奪う残り香よ、天に昇れ。昇華」
そう唱えると、蝶の群れは一斉に黒い霧と化した――――。
暫しの静寂が流れ、桜子が口を開いた。
「なにも起こらないじゃない」
私以外には、今の光景が見えていないようだ。しかし、その直後、二年半寝たきりだったはずの義父が起き上がった。
「これは……どういうことだ?」
不思議そうに自身の体を確認する義父。そして、義母も目を丸くしながら義父の元へと駆け寄った。
「あなた!? あなた、起きられるの? 起きあがって平気なの!?」
義父は、立ち上がってその場で足踏みする。
「少々動かしにくいが、問題ない。若子が熱心にリハビリをしてくれいたおかげだな。褒美をやろう」
「まぁ! 若子が喜びますわね。蒼真様」
微笑みかければ、蒼真もまた微笑みかけてくれた。
「だな」
「蒼真、一体これはどういうことだ。説明しなさい」
「これは、柚子葉の異能に御座います。数百年に一度しか現れぬ、稀少な異能『昇華』」
蒼真は、懐から本を取り出し、義父に手渡した。しおりが挟まれたページを広げれば、義母もその隣から覗き、桜子も後ろの隙間から覗き込んだ。
三人が読み終わるまで、私は蒼真と目を合わせては照れたように逸らし、また目を合わす。を繰り返した。
そして、やっと読み終わった義父が私の前で膝を付いて座った。
「柚子葉。感謝する。無能だと蔑んでしまったこと、謝罪する」
「え、あ、えっと……」
「ほら、お前も」
戸惑う私の前で義父に促さた義母は、そっぽを向いた。
「こんなの信用できません。わたくしは、先程見ていましたけど、何も起こっていませんでした」
「母上。それは、昇華の異能を持った柚子葉にしか見えないからです」
「そう言って、わたくし達を騙しているのかもしれないわ」
「騙すって……」
蒼真は途方に暮れたように頭を掻いた。
私以外の人には見えていないものを証明しろというのは、難しいものがある。これ以上、蒼真に迷惑はかけられない。「もう良い」と声をかけようとしたところで、恭介が現れた。
「なにかあったの?」
蒼真よりも柔らかい印象を与える恭介は、優しい笑みを浮かべているところしか見たことがない。と言っても、婚儀の時に会って以来だ。無能の私には、いっそ興味がなかったのだろう。蔵にいる私の元まで出向くことなど一度たりとて無かった。それなのに、蒼真は私と恭介の仲を嫉妬するなんて……嬉しくて、つい顔の筋肉が緩みそうだ。
それはさて置き、土下座している義父を見た恭介は、驚きの声をあげる。
「え、父上!? どうして!?」
「柚子葉に救ってもらった」
義父は立ち上がり、恭介にも先程の本を読むよう促した。
「わたくしは、認めておりませんけどね」
突っぱねる義母の隣で、桜子も深く首を縦に振る。
蒼真は、それを見て眉間に皺を寄せた。
「柚子葉のことを信じて頂かなくても結構ですが、恭介兄さんの子、あの子に異能がないのはご存知ですか?」
「え……? まさか……」
義母は唖然とし、桜子は焦ったように前に出た。
「ちょ、なにを根拠に。まだ、正孝は二歳半ですわよ。異能がないだなんて失礼なこと言わないで頂けます?」
「先日、母屋の裏手に妖魔が出現し、正孝が居合わせた。だから、聞いてみた。怖かったかと」
「まさか……」
「そう、彼は何もいなかったと応えた」
「そんなはず……」
「まぁ、信じられずとも、いずれ分かることだ。あの子が、恭介兄さんとの間に出来た子でないことも」
その言葉に、そこにいた全員が桜子を見た。桜子は、目を泳がせた。
「は、え、そんなでたらめ、誰が」
「桜子、どういうことか説明してもらっても?」
恭介の顔から笑顔が消えた。
「桜子」
「そ、そんなの蒼真様の勘違いです。証拠が、証拠がありますの!? ありませんわよね!?」
「証拠ならここに」
蒼真は、ポケットから一通の手紙を取り出した。
「あ、それは」
「蒼真。それは?」
「桜子が愛人に向けて出した手紙です。月一でやり取りしているようで……見て下さい。ここに『正次。あなたの子の写真と今月分のお金。入れておきます』と、書かれています。これが、何よりの証拠です。恭介兄さん」
「ふぅん。そっか……」
恭介からは感情が読み取れなかったが、桜子が言い逃れ出来ないことだけは確かだ。
――それから、桜子は恭介や義両親に問い詰められ、白状した。
桜子の苦し紛れの言い訳はこうだ。
女学校時代の頃、世間を知らない学生は皆、教師に恋焦がれるのだとか。それがどんな見てくれでも。故に、教師と恋仲になれば、周りから一目置かれた存在となり、学園内では勝ち組となる。
教師である正次を手玉に取り、恋仲になった桜子は有頂天になっていた。しかし、ちょうどその頃、私に蒼真から婚約話がきた。桜子は、蒼真と正次を天秤にかけた。
勿論、容姿や器量だけでなく、金銭的にも家柄的にも、全てにおいて蒼真の方が上だった。私に負けたくなかった桜子は、それよりも上を目指す為、恭介に縁談話を持ち掛けるよう父にお願いし、結婚までこぎつけた。
しかし、桜子の腹には、既に正次の子がいた。桜子は、恭介の子として産み育てた。
それをバラされたくなかったら……と、正次に脅され、桜子は定期的にお金を渡していたのだとか。ついでに、体の関係も求められ、拒めなかったのだと桜子は証言する。
本当のところは分からないが、何にせよ、恭介を欺き、恩田家の金をくすねていたのだ。情状酌量の余地はない。桜子は恩田家を追い出される運びとなった——。
◇◇◇◇
「お前が気に病むことはない」
離れの縁側で、蒼真が私の肩をそっと抱いた。
月夜を眺めながら、私は不安気に呟く。
「ですが、子に罪はないのです。正孝とお腹の子は、大丈夫でしょうか……」
「子は、案外強く生きるものだ」
「だと、良いんですけど……」
「さ、今日は冷える。部屋に戻ろう」
「はい」
蒼真と部屋に戻ろうと後ろを振り返るや否や、若子の慌てた声が聞こえてきた。
「ちょ、桜子様が、なんのご用ですか!? ご実家に、帰られたはずですよね!?」
「桜子……?」
不安気に蒼真を見上げれば、桜子の狂ったような高笑いが聞こえてきた。
「ハハハハハ、お異母姉様の分際で、あたしより幸せになろうったって、ただじゃおかないんだから! 恩田家なんて、妖魔に襲われて潰れれば良いのよ! ハハハハハ」
「まさか…………柚子葉、ここで待っていろ」
「蒼真様!?」
蒼真は、私を置いて急いで中に入って行った。
待てと言われたので、ついていく訳にもいかず、私は縁側で一人待機した。すると、蒼真ではなく、血相を変えた若子が出てきた。
「柚子葉様! 逃げましょう!」
「え、若子!?」
「妖魔です! 妖魔が、あの部屋から!」
それだけ聞いた私は、桜子が何をしにきたのか分かった。桜子は、呪われた部屋の封印を解いたようだ。恩田家を混乱に導き、私を排除する為に。
「逆恨みにもほどがあるわ……」
「柚子葉様! 蒼真様が食い止めて下さるそうで、急いで外へと、とにかく、離れろと」
私に異能があることは発覚したが、それでも私に妖魔は見えない。足手纏いになるわけにはいかない。
「分かったわ。では、恭介様らにも協力を仰ぎましょう」
「そうですね。柚子葉様、行きましょう!」
私は、若子と走った。
離れの中が青い炎で燃え盛っているのを背後に、かつて住んでいた蔵の前を通り、母屋へと続く道を走る。そこで、急に若子が転んだ。
「キャッ」
「若子!?」
それは、まるで後ろから突き飛ばされたように見えた。が、そこには誰もいない。
「まさか……妖魔? 若子、立てる!?」
若子に駆け寄れば、転んだだけのはずなのに、顔面真っ青になっていた。
「柚子葉様……」
「若子、しっかり!」
声をかけつつ、若子の身の回りを観察すれば、妖魔の残り香が若子の着物に付いていた。私は、すぐさまそれに手をかざす。
「精気を奪う残り香よ、天に昇れ。昇華」
残り香は黒い霧と化し、若子の顔色が戻った。
「あれ、私……」
「若子、急ぐわよ! 残り香は倒せても、私、妖魔は倒せないから!」
「はい!」
目には見えない妖魔から逃げつつ、私たちは母屋を目指した――――。
それから、恭介と義父に説明すれば、すぐに出てきてくれた。
義母はといえば、可愛がっていた孫と血の繋がりがないことを知ってから、元気を無くしているよう。部屋から出て来なかった。
「お義母様をお一人にして、大丈夫でしょうか……。もしも、母屋にまで妖魔が来たら……」
不安げに母屋を振り返れば、義父は平然と応えた。
「あいつは、問題ない。私より強い」
「そ、そうなのですね」
「それより、よく、この妖魔から逃げて来られたな。怖かっただろう」
相当いるのだろう。先程から、恭介の異能『黄雷』が次々に繰り出されている。
「見えないのが、功を奏したかもしれません」
「なるほど。それは、あるかもしれないな」
見えていたら、恐怖で立ち上がることも出来ないかもしれない。今、私はただ暗い敷地内を小走りに移動しているだけだ。
「柚子葉様。こちらに、沙耶さんと知世さんが倒れていらっしゃいます!」
草むらの方から若子が叫んだ。それと同時に、沙耶と知世の真上に恭介の黄雷が放たれた。
「妖魔にやられたみたいだね。柚子葉ちゃん。残り香、見える?」
「あ、は、はい。少々お待ちを」
沙耶と知世の周りを観察すれば、残り香は七匹ほどいた。かなりの妖魔にやられた模様。
「すぐに、倒しますね」
手をかざそうとすれば、恭介が間の抜けた声で言った。
「けど、彼女らはさ、良いんじゃない? 放っておいて」
「え……?」
「だって、蒼真から聞いたよ。桜子の言いなりになって、柚子葉ちゃんを虐めてたんでしょ? まだ若いし、自力で回復するでしょ」
「で、ですが……」
「これでも、僕は桜子の元夫で、この家の当主だ。そんなことにも見抜けなかったこと、謝罪するよ」
恭介に頭を下げられた。
「え、あ、い、良いんです。恭介様は、被害者ですし……」
「面目ない」
今日は、何度も頭を下げられる日だ。
しかし、下げられ慣れていない私は、どうして良いか分からず、手をあげた。
「えっと、私、やはり、この二人を助けようと思います。使用人は、主人には逆らえませんから……」
「柚子葉ちゃんは、優しいね。蒼真の嫁にしておくのが勿体ないよ」
「そ、そんなことは……私なんかに、蒼真様が勿体ないだけで」
「じゃあ、僕のところに来る?」
「え!?」
「冗談だよ。そんなに嫌そうな顔しなくて良いのに」
茶化したように笑う恭介に、蒼真が私を近付かせたくない理由が分かった気がした。物静かで口下手、誤解を生みやすい蒼真とは正反対で、人柄の良さと親しみやすさを備えている恭介に、うっかり流されてしまいそうだ。
とはいえ、私は既に蒼真に惚れている。そんな心配は無用だ。
昇華で沙耶と知世を救った私は、改めて気を引き締める。
「急ぎましょう。あら、お義父様は?」
振り返った時、先ほどまでいた義父の姿が無かった。その問いには、若子が応えた。
「皆で離れに行く必要はないと、大旦那様は敷地内の妖魔を倒しに行かれました。敷地外に妖魔が逃げても厄介ですし」
「そう……」
義父の考えは尤もだ。しかし、妖魔の根源とも言えるあの離れで、蒼真と恭介二人で大丈夫だろうかと不安になる。かなりの数の妖魔が外に出たということは、若子の時のように、すぐには封印が出来なかったということ。今もそれが出来ているとも限らない。
不安を胸に、私は蒼真の元へと急いだ——。




