第196話 入京
淀川を遡り、山崎を抜けた一行が京の町へ近づく頃には、ようやく元伯の怒りも少しずつ収まっていた。
それでも貴丸は三兵衛の背に揺られながら、何度も身を乗り出しては前方を見つめている。
「もうすぐ京なんだよねぇ…どすえ?」
何度目になるか分からない問いに、忠家は苦笑した。
「貴丸殿、そう何度も聞かずとも、もう見えておりますぞ」
街道の先には、多くの人々が行き交っていた。
商人の荷車が軋む音を立て、薪を背負う者が足早に歩き、寺へ向かう僧が静かにすれ違う。武家を乗せた籠もゆっくりと町へ向かっていた。
確かに人は多い。だが、その光景を目にした貴丸は、思わず首を傾げた。
(あれ……?)
天下の都と聞けば、どこまでも立派な屋敷が建ち並び、色鮮やかな衣をまとった人々が往来し、町中が華やかさと活気に満ちあふれている――そんな姿を想像していた。
しかし、目の前に広がる京は、その想像とは少し違っていた。
道端には崩れかけた土塀が残り、屋根の傷んだ家も少なくない。広い空き地には雑草が伸び、かつて屋敷が建っていたのだろうと思わせる場所も目につく。
人は多く、商人たちの威勢のよい声も聞こえる。だが、そのすぐ脇には、ぼろ布をまとって座り込む者の姿もあった。
貴丸は思わず口を開く。
「……これが京なのどすえ?」
その言葉に、元伯は静かに町並みを見渡した。
「そうじゃ」
「もっとすごいところだと思ってたどすえ」
忠家は小さく笑いながら答えた。
「貴丸殿。京という場所は、ただ華やかなだけの町ではござらん。ここは帝がおわす都であり、公家や寺社、武家が集う場所。しかし同時に、長き戦乱によって幾度となく傷ついてきた町でもありまする」
その言葉を引き継ぐように、元伯がゆっくりと口を開いた。
「応仁の乱じゃ」
その声には、いつものような厳しさではなく、遠い昔を思い返すような重みがあった。貴丸は黙って耳を傾ける。
「応仁の乱によって、京は一度ほとんど焼け野原となった。それから四十年余り。長い年月が経ったと言うべきか……それとも、まだ四十年しか経っておらぬと言うべきか」
元伯は崩れた塀の向こうへ目を向けた。
「こうして焼け跡の名残を見ると、今なおあの乱の傷が町に残っておるようにも思える」
貴丸は改めて周囲を見渡した。
京は決して死んだ町ではない。人が行き交い、商いがあり、寺には鐘の音が響く。それでも、この町には新しく造られた町にはない重みがあった。
失われたもの。守り続けられてきたもの。そして、それでもなお人々が暮らし続けてきた積み重ね。
それらすべてが、この都には溶け込んでいるように感じられた。
元伯は穏やかな口調で続ける。
「それでも、これでも昔よりはずっと良くなっておる。細川高国殿が京を押さえ、先頃までは大内義興殿も上洛しておった。幕府の働きも戻り、治安も以前よりは落ち着いた。寺社も商いも、少しずつ力を取り戻しておるのじゃ」
「じゃあ、今見えてるのは……」
「復興の途中ということじゃ。都というものは、一度壊れればすぐ元には戻らぬ。人が戻り、商いが戻り、暮らしが戻る。その積み重ねに何十年もの歳月を要して、ようやく都は再び息を吹き返すのじゃ」
貴丸は静かに京の町を眺めた。
堺には、商人たちが未来を切り開こうとする勢いがあった。新しいものを求め、金が動き、人も動く。前へ前へと進もうとする熱気が町全体を包んでいた。
だが京は違う。古きものを受け継ぎ、失われたものを抱え、それでもなお守るべきものを守り続けてきた町だった。
その重みこそが、この都の本当の姿なのかもしれない。
「……なんか、不思議な町だねぇ」
しみじみと呟く貴丸に、元伯は怪訝そうな顔をした。
「それよりも、さっきから申しておる、その『どすえ』とは何じゃ?」
元伯だけではない。忠家も泰能も、三兵衛まで揃って首を傾げている。
貴丸はきょとんとした顔で皆を見回し、少し考えてから答えた。
「え? 京の人って、みんなそういう話し方をするんじゃないの? 舞妓さんが『どすえ』って言ってるでしょ?」
一瞬の静寂。やがて元伯は深いため息をつき、呆れ顔で言った。
「……なんじゃ、その『まいこ』とは。まったく、懲りておらんな……」
貴丸はしばらく京の町並みを興味深そうに眺めていたが、不意に顔をぱっと輝かせた。
「あっ、京を見て回りたい!」
突然の一言に、元伯は怪訝そうに眉をひそめる。
「……何じゃ、それは」
「あっ、えっと、京の見物! 清水寺に、金のお寺と仁和寺! あと枯山水も見たいし、知恩院…えぇと、龍安寺にも行ってみたい!」
元伯は聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「……かれさんすい、とな?」
「あっ、えっと……石や白砂だけで景色を表した庭!」
「ほう、そのような庭があるのか」
元伯は感心したように頷く。
貴丸は勢いのまま指折り数え始めた。
「それから八橋も食べたいし、京都タワーも見たい!」
元伯は眉間に皺を寄せた。
「その『やつはし』と『京都たわー』とは、一体何じゃ。相変わらず、おぬしの申すことは訳が分からぬ」
貴丸は一瞬だけ表情を固まらせる。
「あー……いや、その……そんなものがあるかなぁって思っただけ!」
苦しい言い訳だったが、元伯はしばらく貴丸の顔を見つめたあと、小さく肩をすくめた。
「まあよい」
それ以上は追及せず話を流すと、その様子を見ていた忠家が穏やかに微笑んだ。
「実は、私も京へ参るのは初めてにございます。このように都をゆっくり見て回る機会など、一生に一度あるかどうか分かりませぬ。献上が無事に済みましたら、ぜひ私もご一緒させていただきたいものですな」
「本当!? じゃあ約束だね!」貴丸は満面の笑みを浮かべる。
その様子に元伯は苦笑しながら首を振った。
「まずは帝への献上が先じゃ。浮かれるのは、それを無事に済ませてからにせい」
そう言って一度言葉を切ると、少しだけ表情を和らげた。
「……もっとも、献上が首尾よく叶うようなら、その折に都を見て回るのも悪くはあるまい」
「ほんと!? やったー!」
貴丸は思わず両手を挙げて喜んだ。
元伯はまた小さくため息をついたが、その顔には先ほどまでの厳しさはなく、孫のようにはしゃぐ貴丸の姿をどこか微笑ましく眺めていた。
やがて一行は京の町を西へ進み、妙心寺へ続く道へと入っていく。
寺町へ近づくにつれ、人々の喧騒は少しずつ遠ざかり、代わって静けさが辺りを包み始めた。
広々とした境内に、威厳ある堂宇が整然と立ち並ぶ。その落ち着いた佇まいは、先ほどまで歩いていた町の賑わいとはまるで別世界だった。
妙心寺の山門が見えてくると、元伯はようやく安堵したように息を吐いた。
「ここで、しばらく世話になる」
貴丸は大きな門を見上げながら尋ねる。
「ここが、じいさんと縁のあるお寺なんだね」
元伯は静かに頷いた。
「そうじゃ」
その横顔には、京へ入った時とは違う、この寺で過ごした日々を思い出すような、懐かしさと安堵が静かに浮かんでいた。
こうして一行は、戦乱の傷跡をなお残しながらも、人々が力強く暮らし続ける都・京で、ひとまず身を落ち着ける場所へと辿り着いたのであった。
で、京都編、はじまりどすえ。かんにんえ。
みなさんも、このような小説読んでくれておおきに。
では、おきばりやす。へへっ。。




