第195話 京へと
孫三郎の陣を出て暫くした――その後。
山道には、元伯の雷が絶え間なく響いていた。
「貴丸! 聞いておるのか!」
「へーい」
「何じゃ、その気のない返事は!」
元伯は貴丸を睨みつける。
「十の童が、よりにもよって戦場へ入り込み、しかも総大将の隣で握り飯を食っているとは何事じゃ!」
「えへへ……」
「笑って誤魔化すでない!」その説教は、一向に終わる気配がない。
貴丸は最初こそ神妙な顔で聞いていたものの、しばらくすると、道端の草を眺めたり、空を飛ぶ鳥を見たりと、完全に上の空になっていた。
元伯は深く息を吐き、額へ手を当てた。
「……その前に聞く。お前、この戦で一体何をやったのじゃ」
貴丸はきょとんと首を傾げる。
「なんも?」
その一言に、元伯はじろりと三兵衛を見た。
「三兵衛。申してみよ。この童は何をしでかしたのだ」
三兵衛は困ったように頭をかきながら、言いづらそうに口を開く。
「え、ええと……兵を留めるために、河原へ竹屑を撒いて足止めをしたり……夜になりますと、その……怨霊だとか、人魂だとかを見せまして、敵兵を驚かせたり……」
元伯の眉間へ深い皺が寄る。ゆっくりと貴丸を見る。
「……まさかとは思うが、貴丸。あの"閻魔大王"までやってはおらぬだろうな?」
貴丸は何食わぬ顔で頷いた。
「うん。『俺は』やってないよ」
元伯は一つ頷くと、静かな声で続けた。
「そうか。よいか、貴丸。あれだけは二度と人前でやるでない。分かっておるな」
「ほーい」
その返事を聞いた泰能が、小さく貴丸へ身を寄せた。
「……よいのか、貴丸殿。閻魔大王に扮して敵を翻弄しておったのは、紛れもなく貴丸殿であろうが」
貴丸は悪びれもせず、小声で答えた。
「俺はやってないよ。だって、あそこにいたのは『敦丸』だもん」
泰能は何とも言えない渋い顔になった。(……この童は、そこまで考えて名を使い分けておったのか……)
後々まで見据えて立ち回っていたことに気づき、泰能は小さく息を吐いた。
泰能が渋い顔をしている横で、元伯はなおもぶつぶつと説教を続けていた。
元伯はぴたりと足を止める。
「貴丸!」
「なんぞ?」
「今、わしが何と言うておったか言うてみい」
貴丸は腕を組み、真剣な顔で考え始めた。
「えぇっと……飯は、腹八分目が一番って話?」
「そんな話は一言もしておらんではないか!」
元伯の怒鳴り声が山道へ響き渡る。
忠家は思わず吹き出しそうになるのを堪え、口元を押さえた。
「では……早寝早起き?」
「違う!」
「好き嫌いは駄目?」
「違うわ!」
「おやつは一日一回?」
「誰がそんな話をしたのだ!」
元伯の額には青筋が浮かぶ。
貴丸は首を傾げた。
「じゃあ……何だっけ?」
「だから、お前が戦場へ勝手について行った話じゃ!」
「ああ、それすか」
思い出したように手を叩く貴丸だったが、その様子に元伯はがっくりと肩を落とした。
「まったく……」
その後ろでは、泰能と三兵衛が小さくなって歩いている。
「泰能殿!」
突然、元伯が振り向いた。
「は、はい!」
「おぬしがついていて、なぜこんなことになったのだ!」
「も、申し訳ござらぬ!」
「三兵衛! おぬしもじゃ!」
「ひっ! 申し開きもございません……」
二人は肩を落としながら頭を下げる。しかし、その様子を見た貴丸がぼそりと呟いた。
「二人は悪くないよ?」
「貴丸!」
「はい!」
「お前が一番悪いのだぞ!」
「にょほーい」
「だから、その返事は何なのじゃ!」
再び元伯の雷が落ちる。山道へ響く説教と、それに混じる貴丸の気の抜けた返事。
忠家はそのやり取りを眺めながら、小さく苦笑した。(これだけ怒られておるのに、少しも懲りておらんな)
それでも、戦場から無事に連れ帰ることができた。
そう思えば、この賑やかな道中も悪くはない。
もっとも――。
元伯の説教は、京へ着くまで終わりそうになかった。
そして、話は、忠家・元伯一行が京へ到着した時まで遡る。
京へ入った岐秀元伯は、まず旧知を頼って妙心寺へ身を寄せた。
妙心寺は禅宗の大寺であり、諸国から僧や武士、公家までもが出入りする寺である。元伯は悟渓宗頓の法嗣・大宗玄弘に師事して印可を受けており、上洛の折には法縁のある妙心寺へ身を寄せるのが常であった。
一行は旅装を解くと、その日のうちに万里小路家へ使者を送り、陸奥の相馬家・大和田家が挨拶に伺いたい旨を取り次いでもらった。
翌日、指定された刻限に合わせ、一行は万里小路家を訪れる。
忠家は礼を尽くして挨拶を述べ、元伯とともに陸奥から上洛した次第を丁重に説明した。
今回の上洛は、相馬家と大和田家の名代として帝へ献上品を奉るためであり、その御取次を願うことが目的である。
話が一段落したところで、忠家は供の者へ静かに目配せをした。
供を務めていたのは、元伯が身を寄せる妙心寺から世話役として付けられた寺童である。童は心得たように一礼すると、ほどなくして美しく包まれた進物を静かに運び込んだ。
「道中より持参いたしました陸奥の品にございます。些少ではございますが、お納めいただければ幸いに存じます」
中には干鮭や昆布、毛皮など、北国ならではの珍しい産物が納められていた。
さらに忠家は懐から小さな包みを取り出し、両手で差し出す。
「加えて、寺社への御寄進など、お役立ていただけましたらと存じます。銭十貫文、ご笑納くださいませ」
万里小路秀房は一度、静かに首を振った。
「いや、このようなお心遣いには及びませぬ」
しかし忠家がなお頭を下げると、「そこまで仰せくださるのであれば、有り難くお預かりいたしましょう」と、ようやく受け取った。
それでも秀房の表情には、どこか晴れぬものが残っていた。
しばし考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「帝への御献上とは、まことに結構なお志にございます。されど……禁裏への御献上となりますれば、何分にも諸々の御用向きがございましてな。取次一つを取りましても、何かと物入りにございます。私も力添えはいたしますが……少々、お時間を頂くやもしれませぬ」
言葉はそこで途切れる。
忠家は意味を測りかね、わずかに首を傾げた。だが、その隣で元伯は静かに目を伏せ、小さく頷く。
――足りぬ、ということか。
京では、人が一人動けば銭が動く。取次を願う公家だけではない。
禁裏へ出入りする役人、儀式を司る者、書類を整える者、さまざまな人々へ礼を尽くして初めて物事は滞りなく進む。
陸奥では献上品さえ立派であれば足りる。
だが、京の作法はそれだけでは済まない。とはいえ、秀房は決して「もっと銭を」とは口にしない。
あくまで遠回しに、その事情を伝えているのである。
元伯はその含みを理解していたが、ここで無理を押してもかえって心証を損ねるだけだと判断した。
忠家もまた元伯の様子から何かを察し、それ以上は言葉を重ねなかった。
万里小路秀房は最後に穏やかな笑みを浮かべ、「追ってご連絡いたしましょう」とだけ告げた。
忠家と元伯は深く一礼すると、静かに万里小路家の屋敷を後にした。
万里小路家へ挨拶に赴いてから数日後――。
元伯と忠家のもとへ、堺の海老根屋に逗留していた八田屋の番頭・治兵衛が、血相を変えて駆け込んできた。
「元伯様! ようやくお会いできました!」
息を切らす治兵衛に、元伯は目を丸くする。
「どうしたのだ、治兵衛殿」
「貴丸殿が……皮屋で知り合った三淵孫三郎様という御仁に見込まれ、管領・細川高国様のお味方として戦場へ向かわれました!」
「……何と?」元伯の表情が一変した。
治兵衛は、三兵衛から聞いた話を一気にまくしたてる。貴丸が皮屋で三淵孫三郎と知り合ったこと。
そのまま細川高国軍へ同行したこと。そして今、淀川周辺で三好勢と対陣しているらしいこと。
話を聞き終えた元伯は、深いため息をついた。
「あの童は……何を考えておるのじゃ」
堺に来て、この京では絶対に「余計なことはするな」と言い聞かせてきた。
それが目を離した途端、今度は戦場である。
「忠家殿、参るぞ」
「心得た」
二人は妙心寺を飛び出した。山崎まで来ると、街道には戦の噂が溢れていた。
「淀川で戦が始まったらしい」
「細川高国軍と阿波勢が睨み合っておる」
「この陣を率いておるのは三淵というお方だそうだ」
「三好の軍勢が押し寄せてきたというぞ」
道行く者へ次々と尋ねながら、一行はようやく細川高国軍の陣へたどり着く。
門番の兵へ事情を話すと、最初は怪訝そうな顔をされた。
「戦場へ童を迎えに来た……?」
誰も信じようとはしない。
しかし、「孫は三淵孫三郎殿の軍におると聞きました」
その一言で、兵は侍大将へ取り次いだ。
やがて現れた侍大将へ、元伯は深々と頭を下げる。
「私の孫が、三淵孫三郎殿のお世話になっております」
すると侍大将は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと表情を明るくした。
「まさか……大和田敦丸殿の祖父君にございますか!」
「……はい?」元伯は思わず目を瞬かせた。
敦丸も元伯の孫ではある。だが、その敦丸は今も陸奥にいるはずで、京へ来ているはずがない。
(……何を申しておるのじゃ?)
一瞬首を傾げたものの、「大和田」と口にした以上、相手が貴丸のことを指しているのだろうと察する。
(また、あの童が何か企んだのじゃな)
元伯は半ば呆れながら、小さく頷いた。
「ええ。その大和田の童で間違いござらん」
「これは失礼いたしました! どうぞこちらへ!」
侍大将の態度は一変し、丁重に二人を本陣へ案内した。
幕をくぐった元伯と忠家は、思わずその場で足を止める。
総大将と思しき武将のすぐ隣。
殺気だった軍議の席であるはずの上座近くに、場違いな小さな童がちょこんと座っていた。
しかもその童は、周囲の緊張などどこ吹く風とばかりに、大きな握り飯を頬張っていたのである。
「…………」
「…………」
元伯も忠家も、一瞬言葉を失う。
やがて貴丸が二人の姿に気付く。
「あ、ぼう! おびじざまど、ばばびえばん!」
そう声を漏らすと、握り飯を口いっぱいに詰め込んだまま、空いた手をぶんぶんと振った。
何を言っているのかほとんど分からない。
その後ろでは、泰能と三兵衛が気まずそうに肩をすぼめ、小さく頭を下げていた。
その様子を見た孫三郎が、苦笑を浮かべながら元伯たちへ目を向ける。
「其方らが、敦丸殿のご祖父にございますかな」
その声で我に返った元伯は、忠家と目を合わせる。
一瞬だけ視線を交わす。この戦がどこまで広がる争いなのか、誰と誰がどのような思惑で刃を交えているのか、元伯と忠家にはまだ分かっていない。
そのような場で軽々しく相馬や大和田の家名を名乗るのは得策ではない――そう判断した二人は、無言のまま頷き合うと、元伯は一人の僧として、忠家は一介の武士として名乗ることに決めた。
「陸奥の僧、元伯にございます。こちらは友人の桑折忠家。このたびは我が孫が多大なるご迷惑をお掛けいたしました。本来、このような戦場にいるべき者ではございませぬ。すぐに連れ帰りますゆえ、どうかご容赦くだされ」
そう言って頭を下げたあと、元伯はゆっくりと貴丸を睨みつける。
その視線に気付いた貴丸は、ちょうど握り飯を飲み込むと、悪びれた様子もなく「てへっ」と舌を出した。
孫三郎はそのやり取りを見て、どこか安心したように貴丸へ問い掛ける。
「敦丸殿。本当に、この御方がご祖父にございますかな」
貴丸は満面の笑みで頷いた。
「そうだよ! 俺のじいさん!」
そして、不思議そうに首を傾げる。
「じいさん、ここに何しに来たん?」
元伯のこめかみがぴくりと震えた。
次の瞬間――。
「お前がまた訳の分からぬことをしでかしたからじゃっ!!」
陣幕いっぱいに怒声が響き渡る。
「十にも満たぬ童が、なぜ戦場などにおるのじゃ! しかも何じゃ、その席は! 総大将殿のお隣ではないか! なぜお前が、そこでのんびり握り飯など食ろうておる! わしがどれほど肝を潰したと思うておるのじゃ!」
貴丸は肩をすくめながら苦笑した。
「えへへ……」
「笑って誤魔化すでない!」
元伯は再び深々と頭を下げる。
「皆様、誠に申し訳ござらん! この孫は今すぐ連れて帰りますゆえ、どうかご容赦くだされ!」
そう言うや否や、元伯はずかずかと貴丸のもとへ歩み寄る。
「じいさん?」
貴丸が身構える間もなく――。
がしっ。元伯の手が容赦なく貴丸の首根っこを掴んだ。
「うわっ!」
そのまま猫の子のように、ひょいと宙へ持ち上げられた。
「じ、じいさん! 下ろしてよ! ちゃんと自分で歩けるんだから!」
手足をばたつかせて抗議する貴丸だったが、元伯は眉一つ動かさない。
「黙れ! お前を歩かせると、また何をしでかすか分からん! これでちょうど良いのだ!」
「ひどいジャマイカ!」
元伯はぶら下がる貴丸など意にも介さず、そのまま陣幕の出口へ向かってずんずん歩き出した。
忠家はその後ろを歩きながら、思わず苦笑を漏らす。
「このような騒ぎとなり、誠に失礼いたした」
孫三郎たちへ軽く頭を下げると、そのまま元伯の後を追う。
その後ろでは、泰能と三兵衛も慌てて頭を下げた。
「し、失礼!」「お世話になりました!」
二人も小走りで後を追い掛ける。
その時だった。
ぶらんぶらんと揺られながら運ばれていた貴丸が、ふと孫三郎たちの方を振り返った。
「あっ、そうだ」
まるで近所へ遊びに来て帰る子供のような気軽さで、ぶら下がったまま片手をぶんぶん振る。
「じゃあねー! みんな、がんばってねー! ご飯、野外なのに美味しかったでござるー!」
あまりにも気の抜けた声が陣幕いっぱいに響く。
そう言って手を振った貴丸は、ふと後ろを歩く三兵衛へ顔を向けた。
「あっ、三ちゃん。今回はあんがとね。三ちゃんがいなかったら、こんなにうまくはいかなかったよ」
三兵衛は一瞬目を丸くしたが、やがて照れくさそうに笑って、小さく頷いた。
「……もったいないお言葉にございます」
それだけ答えると、再び元伯の後をついていく。
元伯は歩みを止めることなく、一喝した。
「無駄口を叩いておるでない! 誰のせいで来たと思っておるのじゃ!」
「いたっ!」
ついでに忠家に軽く頭を小突かれた貴丸は、首をすくめて口をつぐむ。
そのまま五人は、まさに嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
あとに残された孫三郎や侍大将たちは、しばらく幕の入口を見つめたまま動くことができなかった。
静まり返った陣幕の中で、やがて一人の侍大将がぽつりと呟く。
「……敦丸殿ほどのお方でも、ご祖父には敵わぬのですな」
その一言に、皆の緊張が一気にほどけた。
「はははははっ!」
陣幕の中はどっと笑いに包まれる。
孫三郎も思わず吹き出し、肩を震わせながら苦笑した。
「まこと……敵わぬものがおられたか」
先ほどまで戦の軍議が行われていた陣幕には、久方ぶりに穏やかな笑い声が響き渡る。
戦雲漂う最前線とは思えぬ、そのひとときだけは、誰もが張り詰めていた心を忘れ、思わず笑みを浮かべていた。
で、貴丸くん、京に向かって歩いてますが、
次回からいよいよ京です。。
長かったぁ。。。
300話までには請戸に戻りたいっす。。
と、なると、、、
大好きでよく読んでいる『戦国時代に宇宙要塞で〜』の
話数を超えるんだろうか。。




