↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国不精で何が悪い〜米作りとか面倒なのでやめました〜 ―神様のチート、無意味でしたよ。人口比10対1の東北なのに、なぜか天下が見えてきたかも―  作者: 犬童好嬉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

190/237

第186話 戦〈三淵孫三郎軍〉03

〈三淵孫三郎軍〉


そして、河原の様子をじっと見つめていた貴丸が、不意に口を開いた。


「孫さん、そろそろだよ」


「……孫さん、か」


孫三郎は思わずそう漏らし、何か言い返そうとしたが、小さく苦笑すると「そうであるな」とだけ答えた。今はそんな呼び名を気にしている場合ではない。


すぐに近くで控えていた馬が引かれてくる。


孫三郎は軽やかに鞍へ跨ると、打ち合わせ通り、背中合わせになるよう貴丸を乗せた。そして互いの腰を太い縄でしっかりと結び、どちらかが落馬しても離れないよう固定する。


その様子を確認した泰能が、一つの大きな円錐状に丸められた和紙を貴丸へ差し出した。


「ほれ、これであろう?」


「あんがと」


受け取った貴丸は、それを手くるりと回しにやりと笑う。


その脇では三兵衛が落ち着かない様子で何度も声を掛けていた。


「貴丸様、本当にお気を付けください。敵は目の前なのですぞ」


「だいじょび、だいじょび。大丈夫だぁ〜」


貴丸は軽く手を振るだけで、まるで散歩へでも出掛けるような気楽さだった。


その様子に三兵衛はますます心配そうな顔になるが、泰能は何も言わない。


この童は、今さら止めたところで止まるような性格ではないことを、もう十分すぎるほど知っていた。


孫三郎は馬上からゆっくりと前方へ目を向ける。


川を越え、こちらへ押し寄せてくる三好軍。


無数の旗が風にはためき、林立する槍が朝日に鈍く光る。絶え間なく響く足音は川面を震わせ、兵数の重みを嫌でも感じさせた。


だからこそ、この河原を選び、この場所へ敵を誘い込んだ。


今や三好軍の先陣は竹柵の間へ押し込められ、前にも後ろにも思うように動けず混乱を広げている。


「……来たか。様子はどうだ」


孫三郎が静かに呟くと、側に控えていた武者が一歩進み出た。


「敵は間もなく予定の場所へ達します。すべて予定通りにございます」


その報告に、孫三郎は短く息を吐いた。


普通なら、敵が川を渡る最中こそ攻め時である。


渡河中の軍は隊列が乱れ、最も脆い。


誰もがそう考える。だが、貴丸だけは違った。


敵は渡り切った時こそ最も油断する。勝てる。押し切れる。そう思い込んだ瞬間、人は周囲が見えなくなる。


それを狙う。それが貴丸の策だった。


「よし、行くぞ。ついて参れ」


孫三郎は後方に控えていた騎馬武者たちを振り返る。


短く命じると馬腹を軽く蹴った。


馬は静かに駆け始め、その後を十数騎が続く。


ところが、後ろからは場違いなほど楽しそうな声が響いた。


「うわぁ! 後ろ向き、こっえー! うっひょー!」


縄で固定された貴丸が、身体を揺らしながら大はしゃぎしている。


その声を聞いた騎馬武者たちは思わず苦笑する。


「肝が据わっているのか……」「いや、あれは据わっているというより……」


誰も言葉が続かなかった。


敵の大軍を前にして、このようにはしゃげる者など見たことがない。


やがて目的の場所が近づく。


「孫さーん! そろそろ、ここで問題内臓っす!」


貴丸が背中越しに声を掛けた。


孫三郎は一瞬首を傾げたが、そのまま頷くと器用に手綱を操り、その場で馬首を返した。


馬は半円を描くように向きを変え、背中合わせだった貴丸がちょうど敵軍の正面を向く。


縄で腰を固定された貴丸は身を大きく乗り出した。


落ちる心配はない。その手には先ほど受け取った長い和紙。


円錐状に丸められたそれは、貴丸の考えた拡声器だった。


事前に説明は受けていたものの、実際に目にした武者たちは興味深そうにその様子を見つめる。


「そんなもので本当に声が届くのか……」


誰かが小さく呟いた。貴丸は和紙を口元へ当てたり離したりしながら、角度を確かめている。


孫三郎はその横顔を見て、静かに声を掛ける。


「貴、敦丸殿……ほどほどにな」


貴丸は振り向かず、にっと笑う。


「おうともよ! ちゃんと怒らせるからね!」


その言葉に周囲の兵から思わず笑いが漏れる。だが、孫三郎だけは笑わなかった。


怒らせる。口で言うほど容易いことではない。


敵将が挑発を無視し、ここから冷静に兵を立て直せば、そもそも圧倒的な兵力差があるのだ。この策は半ば失敗に終わる。


三好元長が感情を抑え、足軽を止め、周囲を警戒するだけで、こちらが逆に追い詰められる可能性さえあるのだ。だからこそ、この役目は誰にも任せられなかった。


相手の感情を揺さぶり、理性より先に身体を動かさせる。それが今の貴丸に課せられた役目だった。


やがて、敵陣の奥から騎馬武者たちが姿を現す。先頭には、一際立派な馬に跨る若武者。


堂々とした姿勢で隊を率い、その眼差しには強い意志が宿っているように見えた。


「あれが……三好元長か」


孫三郎は目を細める。思っていた以上に若い。


しかし、その顔つきは決して甘くない。簡単に挑発へ乗るような男にも見えなかった。


その時、貴丸が静かに和紙を口元へ当て、大きく息を吸い込む。


孫三郎は思わず目を閉じた。――始まる。


貴丸は口いっぱいに息を吸い込み、和紙の拡声器へ向かって思い切り声を張り上げた。


「おーい! ちっくままるちゃーん! うっひょー!」


貴丸の甲高い声は、和紙を丸めた拡声器によって河原中へ響き渡った。


突然の呼び掛けに三好軍の兵たちが一斉に顔を上げる。


「そんなにゆっくり歩いてたら、日が暮れちゃうよー! 阿波へ帰る道、わかるー? 帰るときは”アワアワ”しないで帰るんだよー! 阿波だけにね! うひゃひゃひゃひゃひゃ!」


思いがけない駄洒落に、孫三郎軍の兵たちから思わず笑い声が漏れた。貴丸はお構いなしに続ける。


「千熊丸、名ばかり勇み、阿波へ逃げ、泡となりては川へ流るる! うほっ!」


「千熊丸、熊より弱く、泣き出せば、母が恋しと阿波へ駆けゆく! うひょっひょ!」


敵味方を問わず、河原にはどよめきが広がった。笑いを堪えきれず肩を震わせる者までいる。


孫三郎は笑わず、じっと元長を見つめていた。


若き当主の表情はほとんど変わらない。しかし、その双眸にははっきりと怒気が宿り始めていた。兵たちが動きを止められ、自軍の前で敵が笑っている。その屈辱を飲み込もうとしているのが、遠目にも伝わってくる。


やがて孫三郎軍の兵たちが徐に円錐状の和紙を出して、声を合わせ始めた。


「ちくままるー!」「阿波へ帰れー!」「早く帰らねぇと母ちゃんが心配するぞー!」


野次が重なるたび、敵陣の空気はさらにざわついていく。孫三郎はその様子を見て、静かに確信した。


――効いてるな。


元長はまだ若い。若いからこそ、自らの前で兵が混乱し、敵に笑われるという状況に耐えられない。


次の瞬間、元長が馬腹を強く蹴った。


それを見た騎馬武者たちも一斉に馬を進める。


「孫三郎が馬首を返すと、周囲の騎馬武者もすぐに続いた。不安げな顔をする後続の騎馬隊を率いて孫三郎は言う。


「あの若殿は必ず追ってくるぞ! 退く用意をせよ!」


その言葉どおり、背後から蹄の音が一気に近付いてくる。


そこへ貴丸がまた拡声器を口へ当てた。


「わぁーっ! ちっくままるちゃんが追いかけてきたぁ! 乳首丸だー! うっひゃー!」


あまりにも遠慮のない一言に、味方の騎馬武者たちは吹き出しそうになりながら必死で堪える。敵陣からも失笑が漏れ、その笑いが元長の怒りへさらに油を注いだ。


「追え! 追うのだ! あの声を張り上げる者を捕らえよ!」


元長の怒声が響き、騎馬隊は一気に速度を上げた。


それを見た孫三郎は、あえて慌てたように馬を走らせる。しかし実際には後方の騎馬隊にも目を配り、隊形を崩さず追えば追いつけそな絶妙な距離を保ちながら、河原の奥へと敵を誘導していった。


やがて前方に、少しだけ開けた場所が見えてくる。一見すると走りやすそうな平地だった。


だが、その草むらには、すでに孫三郎軍の兵たちが身を伏せている。地面近くまで引き倒した太い竹を縄で押さえ、その縄を切る瞬間だけをじっと待っていた。


孫三郎は横目で距離を測る。


元長の馬が罠の中へ入る。続いて二騎、三騎。さらに後続も勢いよく雪崩れ込んできた。


十分に引きつけたと判断した孫三郎が、片手を大きく上げて、右手を振り下ろす。


「今だ! やれぇい!」


その合図と同時に、草むらへ潜んでいた兵たちが一斉に縄を断ち切った。


乾いた風切り音が河原へ響き渡る。


押さえ込まれていた太い竹が猛烈な勢いで跳ね上がり、巨大な鞭のように騎馬隊の脚元を薙ぎ払った。


先頭を走っていた馬が甲高い、いななきを上げる。


前脚を払われた馬は大きく体勢を崩し、騎手ごと前方へ投げ出された。突然の出来事に後続は止まれない。


勢いよく突っ込んできた二頭目が倒れた馬へ激突し、そのさらに後ろの馬も避けきれず巻き込まれる。狭い通路を進んでいた騎馬隊は次々と折り重なるように倒れ、騎手たちは宙へ放り出されて地面を転がった。


「うわぁっ!」「止まれ!」「避けろ!」


怒号が飛び交う。しかし、勢いに乗った馬は急には止まれない。倒れた馬が道を塞ぎ、その上へ次の馬が突っ込み、さらに後続も次々と押し寄せる。


ほんの数瞬前まで整然としていた騎馬隊は、一瞬にして隊列を失った。


孫三郎は馬を止めることなく振り返る。その光景を一目見ただけで十分だった。


「……決まったな」


静かなその一言には、長年戦場を渡り歩いてきた武将の確信が滲んでいた。


その直後、敵陣から鋭い叫び声が響く。


「罠だ! 引け! 引くのだ!」


寒川左馬允だった。ようやく罠に気付いたのである。


しかし、すでに遅い。


元長の騎馬隊は深く誘い込まれ、退こうにも倒れた馬と人が道を塞いでいる。後ろからは状況を知らぬ騎馬がなおも押し寄せ、隊列は完全に詰まってしまった。


「放てぇっ!」


左右に潜んでいた弓隊が一斉に弦を鳴らす。幾十、幾百もの矢が弧を描き、身動きを失った騎馬隊へ降り注いだ。


馬上で体勢を立て直そうとしていた武者が胸を射抜かれ、そのまま馬から転げ落ちる。別の馬は首筋へ矢を受け、甲高いいななきを上げて暴れ出した。


さらに竹柵の陰から印地隊が一斉に石を放つ。


唸りを上げた石は兜や肩、腕へ容赦なく叩きつけられた。


「ぐあっ!」


顔面へ石を受けた武者が手綱を放し、馬上から転げ落ちる。驚いた馬は暴れながら周囲へ体当たりし、ただでさえ乱れた隊列をさらに崩していく。


前は倒馬が塞ぎ、左右からは矢と石が降り注ぎ、後ろからは味方の騎馬が押し寄せる。


「隊を立て直せ!」「右へ寄れ!」「駄目だ! 道がないぞ!」


将たちの怒号も、もはや誰にも届かない。


馬はいななき、人は叫び、矢が唸り、石が飛ぶ。戦場は完全に制御を失っていた。


その光景を見つめながら、貴丸は静かに敵陣を見据える。


狙っていたのは武者一人ひとりではない。騎馬隊という集団、その流れそのものだった。


一度隊列が途切れ、統制を失った騎馬隊は、もはや精強な軍勢ではない。


狭い通路を塞ぎ、自ら味方の進退を妨げる巨大な障害と化していた。


孫三郎は敵との距離を保ちながら静かに馬を返す。


その背中で貴丸は満足そうに笑い、もう一度だけ和紙を口へ当てた。


「ちくままるちゃーん! オラ、大和田敦丸なー! シクヨロー! また遊ぼうねー! じゃあねー、ばっはは〜い!」


そう言って大きく手を振る姿は、まるで近所の子どもと遊び終えた後の別れの挨拶のようだった。


孫三郎は呆れたように苦笑する。


「……本当に、この童は戦場まで遊び場にしてしまうようだな」


もっとも、その表情はすぐに引き締まった。


敵の騎馬隊は大きく崩れた。しかし、三好軍にはなお五千近い兵が目の前にいる。こちらは千。たった一度の策で勝敗が決まる相手ではない。


それでも、この一撃は確実に敵の心へ傷を残した。


圧倒的な兵力を誇りながら、罠に翻弄され、敵の童に笑われ、怒りに任せて追撃した結果、自ら騎馬隊を崩した。その事実は、元長自身の胸にも、三好軍全体にも重くのしかかるはずだった。


孫三郎は混乱する敵陣を見据えながら、静かに手綱を握り直す。


その背中で貴丸が楽しそうに呟いた。


「次は、夜だねぇ」


孫三郎は小さく頷いた。


「ああ。ここからが本当の勝負だな」


二人を乗せた馬は、そのまま味方の陣へ向かって静かに駆けていった。背後ではなお、倒れた騎馬を助け起こぶ声と怒号が河原に響き続け、三好軍の混乱は容易に収まる気配を見せなかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ギャグは昭和www
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。