第176話 そして戦場へ02
そして、その微妙な空気を全く気にせず、貴丸は居並ぶ武将たちをゆっくりと見回して語り出す。
「一つ聞いてもいいすか。この中で、千人以上の兵を率いたことがある人、います?」
陣幕の中が静まり返る。武将たちは互いに顔を見合わせたが、やがて数人が静かに手を挙げた。
「ありあとやんす」
貴丸は素直に頭を下げると、そのまま皆の顔を見渡した。
「じゃあ質問っすね。千人の兵を一日、腹いっぱい食べさせるには、米は何石いります?」
再び沈黙が落ちた。答えようとして口を開きかける者はいても、誰一人として即答できない。
貴丸は人差し指を一本立てた。
「じゃあ、今から俺が言うから、誰か頭の中で一緒に勘定してみてくださいね。まず一番大事なのは水。人は飯がなくても何日かは生きられるけど、水がなければすぐ動けなくなる。だから最初に考えるべきなのは水なんだよね。一人が一日に飲んだり飯を炊いたりする水は、おおよそ二升。千人なら二千升。つまり二十石になる」
そう言うと、二本目の指を立てる。
「次は米。一人が一日に五合食べるとして、千人なら五千合。つまり五十石」
何人かの武将が慌てて指を折り始めた。しかし貴丸はそれを待たずに話を続ける。
「味噌汁を付けるなら味噌は十五貫から二十貫ほどは要る。汁に使う水も二、三石。梅干しや漬物も要るし、塩も三、四貫は欲しい。飯を炊く薪は荷車三、四台分。大釜は十ほど必要で、飯櫃や桶、柄杓も足りなきゃ配れない」
貴丸はさらに指を折っていく。
「それを運ぶ荷駄も必要。兵糧だけなら駄馬は十五頭から二十頭。でも味噌や塩、鍋や薪まで積むなら、それじゃ足りない。二十頭以上は欲しいかな。で、その馬は一日に草を二十斤くらい食べて、水を二、三斗飲む。二十頭いれば草は四百斤、水は四石から六石になる。もちろん荷駄を引く人もいるし、飯を炊く人も、水を汲む人も、怪我人を運ぶ人もいる。だから兵千人を動かすっていうのは、ただその千人だけを動かす話じゃないんだよね」
武将たちは、もはや計算することすら諦め始めていた。
貴丸は、そこで一度言葉を切った。
武将たちは、ようやく終わったかと思い、小さく息をつく。だが、貴丸はにこりと笑った。
「……じゃ、まだ話は続くよ。あ、続きますよ」
その一言に、武将たちの表情が固まる。
「次はみなさんに聞くね。今、この辺りの米一石、いくらぐらいすか?」
貴丸は居並ぶ武将たちを見回した。今度は銭の話だった。武将たちは互いに顔を見合わせる。やがて、兵糧を預かる奉行格の武将が一歩進み出て答えた。
「近頃は少々値が上がっておりますゆえ……一石、およそ一貫三百七十五文ほどにござる」
「ありあとおさる(ござる)」
貴丸は素直に頷いた。
「じゃあ、一日五十石だから……」
そこで一瞬だけ宙へ視線を向ける。指を折ることも、筆を走らせることもない。
「一石一貫三百七十五文だから……五十石で六十八貫七百五十文」
その場が静まり返った。貴丸は構わず続ける。
「十日なら六百八十七貫五百文」「一月で三十日なら二千六十二貫五百文、三か月で六千百八十七貫五百文」
淡々と数字だけを並べていく。誰も口を挟まない。奉行格の武将が思わず目を丸くした。
「……そ、その通りにございます」
別の侍大将も思わず隣を見た。小声のざわめきが座敷に広がる。だが、貴丸本人はそんな空気など気にも留めていなかった。
「つまりね。まだ戦もしてないのに、千人の軍勢でも一か月いるだけで、米代だけで二千貫文以上なくなるんだよ」
そこで貴丸は指を一本立てた。
「味噌や塩、薪、馬草、人足の賃、それに矢や槍の補充、怪我人の薬代まで掛かる。だから本当に掛かるお金は、この何倍にもなるんだ」
座敷は再び静まり返った。武将たちは、もはや十歳の童を見ている気がしなかった。
その小さな口から語られるのは、戦の勝敗ではなく、軍勢を支える金と兵糧の話。
誰もが、知らず知らずのうちに貴丸の言葉へ引き込まれていた。
武将たちは再び黙り込んだ。それを気にすることなく貴丸は続ける。
「戦ってね、一番減るのは兵だけじゃない。兵糧も銭も、毎日どんどん減っていくんだよ」
その言葉に、年長の武将が思わず口を挟んだ。
「それは……誰しも分かっておることではないか」
貴丸は首を横に振る。
「ううん。当然じゃないよ。兵の数は誰でも数える。でも、一人の兵を今日一日生かすのに、何がどれだけ要るかまで最初に勘定する人は案外少ないんだ。でしょ?」
誰も返事ができない。貴丸は静かに目の前の地図に目を落とした。
「戦ってさ、槍や刀で始まるものじゃないよね。まず飲むこと。次に食べること。そして、それを運ぶこと。そこまで考えて、ようやく戦になるんだ」
そう言って顔を上げ、武将たち一人ひとりを見渡した。
「ここまで、俺と同じ速さで頭の中で勘定できた人、いる?」
誰も答えなかった。陣幕には重苦しい静寂だけが流れる。歴戦の武将たちが考えていたのは、兵の数、槍の数、敵味方の布陣だった。
しかし目の前の童は違う。
水、兵糧、燃料、炊事道具、荷駄、駄馬、さらにはその馬が食む草や飲む水に至るまで、一切よどむことなく暗算で数え上げてみせたのである。
それは戦場で槍を振るう知恵ではなかった。
軍を動かし、兵を養い、戦そのものを成立させるための「兵糧・水・馬草の算段」を、この童は誰よりも深く理解しているという証だった。
武将たちは初めて気付き始める。
目の前にいるのは、ただ口の達者な童ではない。自分たちとはまるで違う視点から戦を見ている、得体の知れない存在なのだと。
貴丸の話が終わると、一人の武将が腕を組み、どこか見下したような口調で口を開いた。
「そのようなもの、前もって算術をして覚えておけば済む話ではないか」
「うん。それも正しいよ。でもね、それだけじゃ足りない。戦ってる最中は、覚えてきたことだけじゃ間に合わないから。まぁ、それはみんなも知ってる通りだね。目の前を見て、その場で考えなきゃいけない。例えば――今しゃべった人、足軽大将でしょ?」
そう言うと、貴丸はその武将を指さした。武将の眉がぴくりと動く。
「……何だと?」
「違うのかな?」
「……いや、その通りだ」思わぬ答えに、周囲の武将たちもざわりとする。
貴丸は悪びれる様子もなく説明を始めた。
「草鞋の底がひどく擦り減ってる。でも馬鐙で擦れた跡は少ない。だから普段から自分の足で歩くことが多い人。それに鎧の裾には泥が跳ねてる。郎党と一緒に歩いて兵を動かしてる証左だよ。腰には采配を差してるし、喉もちょっと枯れてる。毎日、大声で兵を動かしてるんでしょ?」
武将は思わず喉へ手を当て、小さく息を呑んだ。
「……その通りだ」
貴丸は頷くと、今度は別の武将へ視線を向けた。
「その人、今日は川の様子を見に行ったでしょ」
名指しされた武将が目を見開く。
「なっ……どうして分かるのだ!」
「草鞋に川砂が付いてるし、裾だけ少し濡れてる。でも槍は乾いたまま。戦ったんじゃなくて、水際まで歩いて様子を見たんだよね。それに袖へ葦の綿毛が付いてる。だから川を探ってたのかな?」
武将は慌てて袖を見ると、本当に白い綿毛が付いていた。陣幕の中にどよめきが走る。貴丸は構わず次の武将へ顔を向けた。
「あと、この人は馬廻り」
武将は苦笑しながら頷いた。
「それも当たりだ。どうして分かった?」
「足袋の内側だけ泥が付いてる。鐙へ足を掛ける人だから。それに刀の柄がすごく擦れてる。馬の上でもすぐ抜けるよう、いつも握ってるでしょ」
武将は無言で刀の柄へ目を落とした。貴丸の視線はさらに動く。
「その人は伝令」
若い武士が驚いたように身を乗り出した。
「鎧が軽い。槍も持っていない。走る邪魔になるからね。草鞋も新しい。毎日走る人は履き潰すのが早いからね。それに首だけ日焼けしてる。兜じゃなく笠を被って走ることが多いんでしょ」
若武者は苦笑しながら肩をすくめた。
「参った」
貴丸はさらに武将たちを見回す。
「あの人は弓が得意。親指の皮が厚いから」
「その人は左利き。刀の下緒の擦れ方が逆」
「そっちの人は怪我したばかり。右足を少しかばって立ってる」
一人、また一人と見抜かれるたび、陣幕の中は次第に静まり返っていく。
顔も名も知らぬ相手を、ほんの数瞬眺めただけで役目や癖、さらには先ほどまで何をしていたかまで言い当てる。
もはや偶然ではなかった。しかし、その静寂を破るように、一人の年配の武将が低い声で口を開いた。
「……それでもだ。こんな童に命を預けられるものか」
皆の視線がその武将へ集まる。その言葉に、何人もの武将が黙って頷いた。それは誰もが抱いていた率直な思いだった。
貴丸は怒るでもなく、言い返すでもなく、大きく頷いた。
「うん。それ、普通だと思うっすよ」
予想外の返事に、武将たちは思わず顔を見合わせる。
貴丸は照れくさそうに笑いながら肩をすくめた。
「だってさ、俺だって知らないおじさんに『命を預けろ』って言われたら嫌だもん」
一瞬の静寂のあと、陣幕のあちこちから小さな笑いが漏れた。張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。
貴丸はその空気を確かめるように一呼吸置くと、静かに地図へ手を置いた。
「だから、命は預けなくていいよ。使ってほしいのは、俺の考えだけ。その策だけ使ってくれたら、それで十分だからね」
その言葉に、陣幕は再び静まり返る。貴丸は一人ひとりの武将の顔をゆっくり見渡した。
「そうすれば、この戦、勝つとは言わない。でも――」
小さな体から発せられた声は不思議なほどよく通り、陣幕の隅々まで届いた。
「みんなが俺の策どおりに動いてくれるなら、これだけは約束できる。絶対に負けない。俺は勝つためだけに、みんなを死なせるような戦はしない。みんなで生きて帰るための策なら、全部俺が考えるからね」
誰一人、すぐには言葉を返せなかった。
つい先ほどまで「ただの童」としか見ていなかった周囲の武将たちは、その小さな背中に、年齢とは到底釣り合わない落ち着きと揺るぎない自信を、いつしか感じ始めていた。
貴丸君、、そんなに計算するような発言やめて!!
検算・検証大変ぽよ。。
特に、貫とか文とか何よ? よくわかりません。。
当時の人は米を食うなぁ。。
「お米が主食さん」ですな。そういうレビュアーとか、YouTuberで、いそうだな。。




