第172話 作戦01
貴丸は腕を組み、しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「その前に、一つお願いしていいすか?」
信久が問い返す。「何でございましょうな」
「俺、この辺の地形を全然知らないんっす。だから、大まかでいいから、も一度地図書いてくんないすか?」
「地図……か」その言葉に信久と孫三郎は顔を見合わせた。
「うん。山とか川とか…豊とか。街道とか、それくらいでも十分だから」
「わかりました………? ゆ、豊とは?」信久は一瞬首を傾げたが、立ち上がると、店の者へ声を掛けた。
「紙と筆を持って参れ」
ほどなくして紙と筆、硯が運ばれてくる。信久は紙を広げると、孫三郎へ筆を差し出した。
「軍のことは孫三郎殿の方がお詳しいでしょうからな」
孫三郎は頷き、迷いなく筆を走らせ始め、紙の中央へ大きく海を描き、その南に一つの島を書き加えた。
「では、失礼する。まずは敵の動きから申そう」
筆先で島を軽く叩く。その北側へ線を引く。
「ここが阿波。細川澄元殿は阿波を本拠としておられる。そして三好之長殿もまた、阿波に兵を集めておる」
さらに島の各所へ小さく印を付ける。
「兵は一か所から出るわけではない。阿波国内の諸将が、それぞれ兵を率いて港へ集結する」
筆は阿波北岸の港へ集まるように何本もの線を引いた。そして海へ向かって幾筋もの線を伸ばす。
「集まった兵は船へ乗り込み、一斉に海を渡る。無論、兵だけではない。馬も運ぶ。兵糧も積む。槍や弓、矢束、旗指物まで船へ積み込まねばならぬ」
孫三郎はゆっくりと続ける。
「五千もの軍勢となれば、小舟では足りぬな、大小合わせて相当数の船を揃えねばならぬであろう」
信久も静かに頷いた。「それほどの船団となれば、海上でも相当目立ちますな」
孫三郎は海の上へ線を伸ばした。
「多くの船は淡路沿いを北上し、そのまま摂津へ入る」
筆先は摂津の海辺で止まる。そこへ小さく丸印を付けた。
「そして、ここで兵を揚げる。兵は上陸しただけでは戦えぬ。まず軍勢を整え、荷を降ろし、馬を陸へ上げ、遅れて到着する船も待たねばならぬ。五千もの軍勢が一度に上陸するには、広い浜と船を寄せやすい遠浅が必要となる」
孫三郎は印を指で軽く叩いた。
「ゆえに、上陸できる場所は自然と限られる。深い浜では船を寄せにくく、狭い浜では兵が渋滞する。荷も馬も降ろせぬような場所では、大軍は動けぬ。軍を預かる者なら、最も兵を揚げやすい浜を選ぶ。儂なら、この辺りを選ぶ」
誰も口を挟まない。
孫三郎はそのまま筆を動かした。上陸地点から一本の線が北東へ伸びる。
「兵を整えた後は、この道を進む」
線は摂津を抜け、やがて一本の大きな川へと至った。
孫三郎はそこで筆を止めた。「そして、この淀川へ出る」
続いて、その南側へ三本の川を書き加える。
「西より桂川、南より宇治川、東より木津川。この三つが合流して淀川となる」
信久も横から筆を取り、山崎や淀、おおよその街道、堺から京へ向かう道筋などを書き足していく。
貴丸は紙へ身を乗り出して聞く。「へぇ……この辺は深いのん?」
孫三郎が指差す。
「淀川の本流は深い。馬では渡れぬ」
「じゃ、この辺は?」
「浅瀬になっておるが、流れが速いな」
貴丸は何度も頷きながら、一つひとつ確認していく。
「ここは昔から渡しなん? この辺は中洲があるん?」
「左様だ。洪水で多少変わるが、おおむねその辺りには中洲ができるな」
質問は次々と続いた。孫三郎も信久も、その一つひとつへ丁寧に答えていく。
やがて貴丸は小さく頷いた。そう言うと、人差し指で紙の上をなぞった。
「なるほど。桂川、宇治川、木津川。この三つの川は、ここで一つになって淀川になるんだよねん?」
孫三郎が頷く。
貴丸は三川が合流する辺りを指先で軽く叩いた。
「五千人ってことは、人だけじゃないか。馬もいるし、荷物も兵糧もあるよね。そんな大軍が渡るなら、深い場所や流れの速いところは使えないか。だから、敵が狙う場所は自然と限られるん」
信久も孫三郎も黙って聞いている。
貴丸は真剣な顔で紙の上へ指を滑らせた。
「昔から渡しになっている場所か、川底が浅くて馬でも渡れる瀬。そして渡った後に軍勢を並べられる広い土地があるところ、ん」
さらに指先を止める。
「三つの川が合流する、この辺りかな」
そこは山崎へ続く街道へ最も出やすい場所だった。
「この辺なら中洲や浅瀬を利用しながら何段にも分けて渡れるし、渡った後、そのまま山崎へ進めるねん」
部屋の中が静まり返る。貴丸はゆっくりと顔を上げた。
「五千もの軍勢なら、まずここを目指すと思うよん」
そう言って、三川合流部にほど近い渡し場を指差した。
孫三郎は身を乗り出し、地図をじっと見つめる。
そして腕を組むと、何度も何度も地図と指先を見比べた。
やがて静かに頷く。その声には驚きが混じっていた。
「……確かにな。儂らも敵は山崎方面へ向かうと考えておった。だが、渡河する場所までこうして理詰めで考えたことはなかった」
孫三郎は再び地図へ目を落とす。
「五千もの軍勢となれば、確かに渡れる場所は限られる」
信久も思わず息を呑んだ。
「つまり……敵はこちらへ集まる、と」
貴丸はこくりと頷いてにこりと笑った。
「うん。全部じゃないかもしれないけど、大軍ならここが一番通りやすいはずだよん」
孫三郎は静かに目を閉じ、もう一度頷いた。
「……確かに。そこしかあるまいな」
その一言とともに、部屋にいた全員の視線が、貴丸の指し示した一点へと集まった。
ふと、孫三郎が貴丸へ視線を戻す。
「……ところで、先ほどから気になっておったのだが……なぜ貴丸殿は、語尾に『ん』を付けるのだ?」
「あー……なんとなく?」
あっけらかんと答える貴丸に、泰能と三兵衛は揃って渋い顔をした。
(また始まったか……)そんな表情である。
一方、信久はここへ来てようやく貴丸という童の人となりが少し分かってきたのか、苦笑を浮かべた。
ただ一人、孫三郎だけは理由が分からず、「そういうものなのか……?」とでも言いたげに、小さく首を傾げていた。
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本当に嬉しいです。なので、私にできることは、もう一話。。。
あぁーー、、つい貴丸の後半の会話、、
余計な末尾を書いてしまって、
かなり読みにくくなってて、、、、、
私はアホかと、、なんでそんなことをするのか、、
しかし、そんな自分が、、大好きです!!!
すいません。。




