第171話 突然の訪問02
奥座敷へ通されると、信久は自ら茶を運ばせ、孫三郎と向かい合って腰を下ろした。
「さて……」
信久が静かに口を開く。
「先ほどお顔を拝見した時から気になっておりました。何やら、ただ事ではございませぬな」
孫三郎は湯呑へ手を添えたまま、小さく息を吐いた。
先ほどまでの穏やかな笑みは消え、その表情には一人の武将としての厳しさが戻っている。
「実は……これより戦へ赴く」
その一言で、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
「戦……」信久が思わず呟く。
孫三郎は懐から、丁寧に折り畳まれた一通の文を取り出した。
「その前に、一つ頼みがあって参った。もし私に万一のことがあれば、この文を弟の晴員へ届けてほしい。今は和泉国和泉郡の松崎城あたりにいるであろう」
そう言って文を差し出した孫三郎は、ふと貴丸へ目を向けた。
「……そういえば、晴員のせがれの万吉も、今が一番可愛い盛りであろうな」
万吉の姿を思い浮かべるように目を細め、小さく笑う。
「あれも貴丸殿と同じくらいの年頃か。戦ばかりで、もう長らく顔を見ておらぬわ」
そう言うと、孫三郎はどこか寂しげに微笑んだ。
孫三郎は幼い頃に三淵晴恒の養子となり、三淵家を継いだ。気に掛けている晴員は、養子に出た後も実家に残った実の弟である。
実父は和泉国松崎を本拠とする細川和泉上守護家の一族であった。
以来、細川京兆家に仕え、数え切れぬ戦場を駆け抜けてきた。
澄元との争いでは幾度も槍を交え、将軍義稙の復帰や大内義興との入京にも従軍し、池田氏や芥川氏との戦にも身を投じてきた。気が付けば、その人生のほとんどを戦場で過ごしていた。
信久は両手で文を受け取り、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました。責任をもってお届けいたします」
孫三郎は安堵したように頷く。
「戦とは申せ、命あってこそのもの。しかし今回は、どうにも胸騒ぎがしてな」
苦笑しながら続けた。
「この堺まで戦火が及ぶことはあるまい。だが、しばらくは世情も騒がしくなろう。どうか用心されよ」
「お気遣い、痛み入ります」
信久は文を大切そうに懐へ収めた。
「ところで、今はどちらへお仕えなのでございますか」
「細川高国様の陣に属している。今回、その先手を預かることになった」
その言葉に、泰能たちもわずかに表情を引き締めた。
一軍を預かる。それは決して軽い役目ではない。
「実は、出陣前の支度のため堺へ立ち寄ったのだ」
孫三郎は話を続ける。
「先遣の兵はすでに摂津へ進ませ、陣を置く場所もおおよそ定めてある。本隊は副将へ任せ、私は供だけを連れて戻ってきた」
「そのためでございましたか」信久は納得したように頷く。
孫三郎は静かに視線を上げた。
「もちろん、晴員へ文を託すためでもある。しかし、それだけではない。堺ほど情報の集まる町はない。商人たちの耳は、どの物見よりも早いからな」
信久は思わず笑みを浮かべた。
「それは商人として、ありがたいお言葉にございます」
孫三郎も小さく笑う。
「阿波からいつ船が出たか。どの水軍が動いているか。何艘の船が集まりつつあるか。そうした話は、武士より先に商人の間へ流れる。それで、この半日、港や馴染みの商人を回って話を聞いておった」
信久が身を乗り出した。
「何か分かりましたか」
孫三郎の表情が再び引き締まる。
「敵は動く。細川澄元殿と三好之長殿が軍勢を率い、阿波より摂津へ渡る。すでに船の手配も進められているそうだ」
「では……」
「あと五日もすれば摂津へ上陸し、そのまま淀川沿いに京都を目指して進軍してくるだろう」
そう言って、机の上へ指を置き、川筋をなぞるように動かした。
「そのため、高国様は都を守るべく、淀川筋へ兵を集めてられようとしておる」
「援軍も参るのでございますか」
孫三郎は頷く。
「高国様は各地へ急使を走らせておられる。あと十日ほど耐えれば、六角、朝倉、土岐らの援軍を合わせた本隊が到着する見込みなのだ」
部屋に重い沈黙が落ちる。やがて孫三郎は、自嘲気味に笑った。
「私が今預かる兵は、およそ千。対する敵は、集めた情報では五千ほどになるようだ」
「五千……」
泰能が思わず低く呟いた。
孫三郎は隠すことなく頷く。
「正面からぶつかれば、勝ち目は薄い。だが、ここで退けば京都への道が開く」
その声は静かだった。誰も言葉を返せなかった。
退くことも許されず、勝算も乏しい戦。その狭間で、孫三郎は戦おうとしている。
やがて信久が静かに問い掛けた。
「それでも、お向かいになるのでございますな」
孫三郎は迷うことなく頷いた。
「それが武士の務めだからな。高国様には御恩もある」
その一言には、すでに死を覚悟した者だけが持つ、揺るぎない決意が宿っていた。
重苦しい空気が部屋を包んでいた。
敵は五千。味方は千。しかも援軍が到着するまで、およそ十日。誰が聞いても厳しい戦である。しばらく沈黙が続いた。
その静けさを破ったのは、貴丸だった。
「でもさ……勝たなくちゃいけないの?」
幼い声に、一同の視線が集まる。貴丸は首を傾げ、不思議そうに続けた。
「高国さんの援軍は、そのうち来るんでしょ? だったら、それまで敵を止めればいいだけじゃない?」
部屋が静まり返る。孫三郎は思わず貴丸を見つめた。
「……何だと?」
貴丸は当たり前のことを話すように言った。
「だからさ、勝つ必要なんてないじゃん。負けなきゃいいだけなんだから」
その一言が、孫三郎の胸へ深く突き刺さる。
(負けなければいい……)今まで考えていたのは、少数の人数でどう敵を打ち破るか。どう勝利するか。
しかし、この童は最初から違う場所を見ていた。
目的は敵軍を滅ぼすことではない。援軍が到着するまで、敵を進ませないこと。
それだけなのだ。
「……確かに。勝つ必要は……ないか」孫三郎は小さく呟いた。
その言葉を口にした瞬間、頭の中で絡まっていた糸がほどけていくような感覚を覚えた。
「敵を足止めし、その間に高国様の本隊が到着すればよいのか……」
「そうそう」貴丸はにこりと笑った。
「それなら話はまるで違ってくるな……」
孫三郎は腕を組み、深く考え込む。そして、ゆっくりと信久へ視線を向けた。
「信久殿。この童は……何者なのだ?」
信久は思わず苦笑した。
「私も最初は驚きました。皮屋では次から次へと知恵を授けてくださり、私など舌を巻くばかり。まるで泉のように知恵が湧いてくる御方にございます」
そう言って貴丸を見る。孫三郎も改めてその小さな姿へ目を向けた。
まだ童。それなのに、見かけによらず、一見、間が抜けた顔だが、その瞳には年齢に似合わぬ静けさと落ち着きが宿っている。
とても子供とは思えなかった。
信久は姿勢を正し、貴丸へ頭を下げる。
「貴丸殿。もしよろしければ、そのお知恵をお貸しいただけませぬか。敵を足止めする策がおありでしたら、ぜひお聞かせ願いたい」
貴丸は腕を組み、天井を見上げた。しばらく考えてから、小さく笑う。
「うーん……まぁ、なくはないかな」
その一言で、孫三郎の目が鋭く光る。
「本当か!」
貴丸は人差し指を一本立てた。
「でも知恵はタダじゃないよ」
その場にいた全員が、一瞬きょとんとした。しかし次の瞬間、信久が吹き出すように笑った。
「なるほど、なるほど。対価なくして商いは成り立ちませぬな」
さすがは商人である。貴丸も満足そうに頷いた。
「そゆこと1そゆこと」
信久は少し考えると、真っ直ぐ貴丸を見据えた。
「では、お約束いたしましょう。もし、そのお知恵によって孫三郎殿が敵を食い止められましたなら――」
一拍置き、力強く続ける。
「先ほどお探しになっていた硝石というもの。私が何としてでも探し出し、貴丸殿へお渡しいたします」
その瞬間だった。貴丸の目がぱっと輝く。「ほんと!?」
「商人に二言はございませぬ」
「よし。じゃあ考えまーす」貴丸は嬉しそうに頷いた。
そう言うと、今度は真剣な表情になり、孫三郎へ問い掛ける。
「一つ聞いていいすか? 敵は、どこを通って京都へ入るつもりなの?」
孫三郎は少し考えた。
「まだ断言はできぬが、軍議では山崎が最も危ういと見ておる」
「山崎?」
孫三郎は頷く。
「天王山と淀川に挟まれた狭隘の地だ。京都へ入るには避けて通れぬ要衝でもある。儂が敵でも、まずあそこを押さえにかかる」
貴丸は静かに頷いた。その間に孫三郎が山崎の地形の説明をしていく。
それを聞いて貴丸の頭の中では、地形がゆっくりと組み上がっていく。山。川。狭い街道。その先に広がる平地。そして、五千の敵兵。
やがて貴丸の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
「……山崎か」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
そして顔を上げると、何でもないことのように言った。
「だったら……何とかなりそうだね」
その一言に、部屋の空気が止まった。
千で五千を食い止める。
それを平然と言ってのけたのは、まだ十歳の童だった。
三渕晴員:孫三郎の弟。晴員は後の幕臣(申次衆)。細川幽斎の父。
細川高国:(現在は)幕府の管領を務め、京の政を実質的に握る大権力者。
孫三郎の正体が明かされました!!
戦国時代物の「孫三郎」と言ったら、織田信光さんが一般的ですかね。。
鈴木重朝さんも、朝倉景健さん、赤尾清綱さんも孫三郎ですかね。
で、ここで、貴丸君、どういうわけか高国vs澄元の戦に参戦です?!
なんで?
まぁ、実際はそんなことあり得ないのでしょうが創作物語なのでね。。
ご容赦ください!
あー、、気づけば堺・京都編、、
数十話、、、、では終わらないか。。あとこの地に数ヶ月滞在するから、、
百話は、、、、いきたくないなぁ。。まだ、話が詰まってるのに。。




