第170話 突然の訪問01
信久は、先ほど仕上がった革をそっと撫でると、満足そうに頷き、改めて貴丸へ向き直った。
「貴丸殿。本日は、まことにありがとうございました。まさか、このような知恵を授けていただけるとは夢にも思っておりませなんだ」
そう言うと、深々と頭を下げる。
「教えていただいたことは、一つ残らず店へ取り入れます。必ずや武野の皮屋を、堺でも、いや、日の本でも指折りの店へ育ててみせましょう」
そして顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべた。
「このご恩には、何かお礼をさせていただきとうございます。どうか遠慮なくお申し付けくだされ」
貴丸は腕を組み、小さく唸った。少し考えてから、ぽんと手を打つ。
「うーん……。じゃあ、一つ聞いていいすか? この堺に、硝石ってあるのかな?」
「……しょうせき、にございますか?」
信久は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。しかし、しばらく考えた末、静かに首を横へ振る。
「申し訳ございませぬ。その名は聞いた覚えがございませぬな」
「そっかぁ……」貴丸は少しだけ肩を落とした。
そして、貴丸は苦笑しながら言葉を添えた。
「えぇと、薬というか……鉱物というか、石みたいなものなんだけどね」
すると、信久が何かを思い出したように顔を上げる。
「なるほど。そのような薬や鉱物の類でございましたら、薬種商ならば知っておるやもしれませぬ」
「薬種商?」
「はい。堺には薬種を専門に扱う商人がおります。明より渡ってくる薬や香料、鉱物なども商っておりますゆえ」
「へぇ」貴丸は小さく頷いた。(やっぱり薬種商か)
硝石は、この時代ではまだ貴重な品だ。少しずつでも手に入るなら集めておきたい。
貴丸は火薬には硝石と硫黄、そして炭を用いることまでは知っている。
だが、どのくらいの割合で混ぜれば最もよく燃え、どのような性質になるのかは、自分の手で何度も試して確かめるしかない。
まだ鉄砲は伝来していない時代だ。それでも、火を放つ兵器や石火矢、あるいは火攻めに応用できるものが作れるかもしれない。だからこそ、本物の硝石を少しでも手に入れて実験してみたかったのだ。
精製の仕方も知りたいし、産地による違いも確かめてみたい。
(請戸でも硝石を採れるように試してるしな)
請戸では、実右衛門たちに頼み、厠や馬屋から出る土や糞尿を「肥料作りだ」と説明して一か所へ集め、発酵させるようにしてもらっている。
表向きは肥料作りだが、本当の狙いは硝石の採取である。すぐに成果が出るとは思っていない。何年もかかるかもしれない。それでも、できることは今のうちから始めておきたかったのだ。
貴丸は信久へ向き直る。
「じゃあさ、薬種商を知ってるなら紹介してほしいす」
信久はすぐに頷いた。
「承知いたしました。懇意にしている者や伝手を当たってみましょう。見つかりましたら、すぐにご案内いたします」
「それで十分っす。よろしくおねしゃす」
貴丸は満面の笑みを浮かべた。
「お任せくだされ」信久も力強く頷き返した。
その時だった。店先から声が響いた。
「信久殿はおられるか」
落ち着いた、それでいてよく通る張りのある声だった。
信久が振り返る。暖簾の向こうに立つ男の姿を見た瞬間、その表情が驚きに変わった。
「はい、ただいま――おおっ! 貴方は、孫三郎殿ではございませぬか!」
男は穏やかに微笑んだ。年の頃は三十前後。
日に焼けた精悍な顔立ちに、旅塵を帯びた具足姿。腰には太刀と長刀を佩き、その後ろには数名の供回りの武士が控えている。
「ご無沙汰しておりましたな、信久殿」
その声には、旧友と再会したような温かさが滲んでいた。
「いやはや、お元気そうで何よりにございます!」
信久は思わず店先まで駆け寄る。二人は固く手を取り合った。
「まさか、この堺でお目に掛かれるとは思ってもおりませなんだ」
「近くまで来たものだからな。せっかくゆえ、顔を見ておこうと思った」
孫三郎はそう言って微笑んだ。だが、その笑みの奥には隠し切れない疲労の色があった。
長年商人として人と接してきた信久は、そのわずかな変化を見逃さなかった。
「……何か、ございましたかな」静かに尋ねる。
孫三郎は一瞬だけ口を閉ざし、小さく息を吐いた。
「少々、相談したいことがある」
その一言だけで十分だった。信久の表情が引き締まる。
世間話をしに来た顔ではない。武士がこの姿で訪ねて来る以上、穏やかな話であるはずがなかった。
「承知いたしました。どうぞこちらへ。奥でゆっくりお話を伺いましょう」
孫三郎は静かに頷いた。
信久は振り返り、貴丸たちへ声を掛ける。
「貴丸殿、皆様もどうぞ。隠し立てするような話ではございませぬ」
「いいの?」
信久は頷きながら、胸の内で素早く考えていた。武士が改まって相談に訪ねて来た以上、穏やかな話であるはずがない。
一人で話を聞けば、返事も判断も自分一人で背負うことになる。
ならば最初から皆にも同席してもらった方がよい。知恵を借りられるかもしれないし、話の内容によっては、その場で結論を急がずに済む。
それに――。(貴丸殿なら、何か知恵を授けてくださるやもしれぬ。)
そんな商人としての打算と、一抹の期待。その両方が、信久に皆を奥へ招き入れさせていた。
信久は静かに孫三郎へ視線を向けた。
「よろしいですかな、孫三郎殿」
信久が静かに問いかける。
孫三郎は一瞬だけ考え、貴丸たちへ視線を向けた。まず目に入ったのは泰能だった。
姿勢に隙がなく、腰の据わり方も堂に入っている。(あの者は一角の武人と見えるな)
続いて三兵衛へ目を移す。主従として一歩引いた位置に立ちながらも、周囲への気配りを怠らない。
最後に貴丸を見る。小柄でふくふくとした童が、きょろきょろと周囲を見回している。
(……あの童は、よう分からぬな)
年相応の無邪気な童にも見える。だが、不思議と場を恐れる様子がない。
(まあ、隠し立てするような話でもないか)
そう判断すると、小さく頷いた。
「うむ。皆の考えも聞ければありがたい」
そう言うと振り返り、供の武士たちへ声を掛ける。
「しばらくここで待っておれ」
供の者たちは一斉に頭を下げ、その場に控えた。
それを見た信久が、すぐに口を開く。
「それでは、お供の皆様にはお茶をお持ちいたします。どうぞこちらでごゆるりとお待ちくだされ」
「新五郎、お茶を頼む」
新五郎が一礼すると、手際よく茶の支度をするため奥へと向かっていった。
貴丸は泰能、三兵衛と顔を見合わせる。
三人は無言で頷き合うと、信久の案内に従って店の奥へと歩き出した。やがて奥座敷へ通される。
障子が静かに閉じられると、表通りの賑わいは遠ざかり、部屋の中はしんと静まり返った。
張り詰めた空気の中、孫三郎がゆっくりと口を開く。
「実は、これより戦へ赴くこととなったのだ」
その一言が、この場に集った者たちを、やがて戦へと巻き込んでいく始まりとなることを、この時はまだ誰も知らなかった。
時間経過ですが、第1話からここまで、七カ月くらいしか経ってないんですよね。。
春から、漸く初冬に近づいてます。自分でも驚きなのですが。。
だから戦いが少ないと言われましても。。
逆に十歳の貴丸君が、この七カ月の間に何度も戦いに巻き込まれるのもなぁ。。
ということで、、続きをお楽しみください。。
でも、完結まで書くつもりなのですが、、何百話になるんだろうか。。
千は超えそうだな。。鬱。。なかなか話が進まない。。
まぁ、全て自分のせいなのですがね。。
飽きられるんだろうな。。というか、もう飽きられたかなぁ。。




