第169話 皮屋の改革
今日は元伯と忠家が、一足先に京の都、万里小路秀房へ挨拶へ向かうこととなった。先触れは武野家の者に頼んである。
その間、泰能と三兵衛は貴丸の見守り役だ。
もっとも、出掛ける前の元伯は、何度も何度も何度も貴丸へ念を押していた。
「貴丸。くれぐれも大人しくしておるのだぞ」
「はいはい。おっけーおっけー! べリィマッチョ・アオキ!」
返事だけは実に素直だった。……返事だけは。
元伯と忠家の姿が見えなくなると、それを待っていたかのように武野信久が紙と筆を抱えて貴丸の前へやって来た。
その後ろには、新五郎も期待に胸を膨らませた様子で立っている。
親子そろって目を輝かせていた。
「貴丸殿! もし他にも何か知恵がおありでしたら、ぜひお教えくだされ!」
新五郎もこくこくと何度も頷く。
貴丸は思わず苦笑した。
「そんな大したことじゃないけど……思いつくままなら少しだけね」
そう答えたものの、すぐには口を開かなかった。
昨日も工房を見て、おおよその仕事の流れは分かっていた。しかし、念のため、改めて職人たちの手元へ目を向ける。
革を裁ち、縫い、道具を持ち替えながら黙々と作業を続ける姿を、しばらく静かに眺める。
それから信久たちへ向き直り、ゆっくりと話し始めた。
「まずさ、毎回革へ寸法を書いて切るんじゃなくて、木で型を作ったら?」
「型……でございますか?」
「うん。革袋でも小物入れでも手袋でも、よく作る物はだいたい形が決まってるでしょ。同じ物を何度も作るなら、型を当てるだけですぐ切れるよ」
「なるほど……今まで小さい型はいくつかありましたが、大きい型はありませんでしたな…」
信久は感心したように呟き、慌てて筆を走らせる。
貴丸はさらに続けた。
「あと、革って高いんだよね?」
「左様にございます。一枚たりとも無駄にはできませぬ」
「だったら、切る前に全部の型を革の上へ並べて、一番無駄が出ない置き方を考えてから切った方がいいよ」
「おお……!」
信久の目が大きく見開かれる。
「革袋なんかも、一番注文の多い大、中、小くらいの大きさに決めちゃえばいいと思う」
「大きさを決める……」
「そうするとね、紐の長さも金具の数も決まるし、作る人も迷わなくて済むでしょ」
「確かに、その通りにございます……」
「それに、店先に見本を並べて、『こちらなら早くお作りできて、その分少しお安くできます』って言えば、たいていのお客さんはそっちを選ぶと思うよ。特別な大きさが欲しい人だけ、今までみたいに注文を受ければいいんだから」
筆は止まることなく走り続けた。貴丸は工房の中を指差しながら話を続けた。
「作業台も高さがみんな違うよね。揃えた方が疲れにくいと思うよ」
「道具も、さっき探してる人がいたし、置き場所を決めた方が探す時間が減るかな」
「途中で失敗した革も捨てないで別の箱へ入れておけば、小物くらいなら作れるし」
「革紐も一本ずつ切るんじゃなくて、長い革から同じ幅でまとめて切った方が後で早いよ」
「それから、袋の裏へ小さく『武』って印を入れたら? 武野の品だって分かるしね」
「革が何枚、糸が何巻、金具が何個あるかも帳面へ書いておけば、足りなくなる前に分かるでしょ」
「注文も一冊にまとめた方がいいね。誰が何を頼んで、いつ渡すのか書いておけば忘れないし」
「油引きは毎回やった方がいいよ。多分長持ちするからね」
思いつくまま話していた貴丸は、最後に肩をすくめた。
「まぁ……思いつくのは、それくらいかなぁ」
すると、それまで夢中で筆を走らせていた信久の手が、不意に止まった。
「……あれ?」貴丸が不思議そうに信久の方を向いた。
信久は俯いたまま肩を震わせている。
そして、ぽたり、と一粒の涙が手元の紙へ落ちた。
「えっ!? ど、どうしたの!?」
貴丸が慌てて声を掛けると、信久は目元を拭いながら照れくさそうに笑った。
「……申し訳ございませぬ。あまりにも嬉しゅうございまして」
そう言うと、書き留めた紙へ静かに目を落とす。
「私は何年も皮屋を営んで参りました。革のことなら誰にも負けぬつもりでおりました」
一度言葉を切り、震える声で続けた。
「ですが……まだ、このように工夫できることが山ほど残っていたとは……!」
感極まったように拳を握る。
「どれも決して難しいことではございませぬ。しかし、どれ一つとして思いつきませなんだ。それが、貴丸殿は工房を一巡りしただけで、次から次へと思い付いてしまわれる」
信久は感嘆とも畏敬ともつかぬ眼差しを貴丸へ向けた。
「貴丸殿は……住吉明神からの楠珺社のお使いではございませぬか」
貴丸は思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。
しかし信久の興奮は収まらない。
「職人たちは今より働きやすくなりましょう。革の無駄も減り、品も増える。仕事は早くなり、店の評判も上がるはずです」
そして、大きく息を吸い込む。
「これは、大きな利を生みますぞ!」
信久は興奮した面持ちのまま顔を上げたが、不意に視線を部屋の隅へ向けた。
そこでは、いつの間にか話を聞きに来ていた妻の満が、静かにこちらを見つめている。
信久は、はっとしたように目を見開いた。
「……満そなたの実家は竹屋であったな」
呼びかけられた満は、小さく頷く。
「ならば、今、貴丸殿がお話しくださった工夫は、革だけの話ではあるまい。竹細工にも、そのまま通ずるものがいくつもあるはずだ」
満も何度か頷いた。
「私もそう思いました。型を作ることも、道具の置き場所を決めることも、材料を無駄なく使うことも……竹を扱う仕事でも役に立つと思います」
「そうであろう。早速、実家へ知らせよう。この知恵を伝えれば、きっとあちらも助かる」
信久は嬉しそうに笑う。
そのやり取りを聞いていた貴丸が、興味深そうに顔を上げた。
「え? 満さんの実家も何かやってるん?」
満は貴丸へ向き直り、穏やかに微笑んだ。
「はい。実家は代々、竹を扱っております。籠や笊をはじめ、暮らしに使う竹細工を作っておりますので、先ほど貴丸殿がお話しくださったことは、うちの家業にもきっと役立つと思うのです」
「あー、いいねぇ。みんなが儲かるのは、いいことだよ」
貴丸は嬉しそうに笑って頷く。その何気ない一言に、信久と満は思わず顔を見合わせ、小さく笑みを交わした。
その言葉には、自分だけが富めばよいという考えは微塵もなく、周囲まで豊かになってほしいという貴丸の思いが、そのまま表れているように感じられたのだ。
しかし、貴丸本人はそこまで深く考えてはいなかった。
前世の職場や現場では、みんなが動きやすくすることや、全体を良くすることなど当たり前の話だった。5Sや改善活動でよく言われていたことを、ふと思い出しただけである。
(まぁ、どうでもいいんじゃね?)
貴丸にとっては、それ以上でもそれ以下でもない。当たり前に聞いていたことを言っただけだった。
信久は改めて貴丸を見つめ、静かに頷く。
「……不思議なお方でございますな」
小さく呟いた。
「商いとは、ただ己が利を得るためだけのものではない。周りの者を豊かにし、次の何かへ繋げていくものなのだと……改めて気付かされました」
そして、ふと遠い昔を思い出すように目を細める。
「私は若き頃、何回か珠光様の茶会へ招かれ、そのお茶に心を奪われました――」
懐かしむように目を細める。
「ですが、珠光様がお亡くなりになって十余年。茶の湯は次第に勢いを失い、志ある者も少なくなって参りました」
信久は静かに拳を握った。
「本当は私も、茶の湯のために力を尽くしたかったのでございます。しかし、店を守り、職人を養い、家族を食べさせねばならず、商いに追われる毎日でございました」
やがて、その表情へ再び笑みが戻る。
「ですが、店がさらに栄え、大きな利を得られるようになれば話は別です」
隣に立つ新五郎の肩へ、そっと手を置いた。
「私も茶の湯へ力を注ぐことができます。そして、この子にも、生活のために夢を諦めさせることなく、思う存分茶の湯を学ばせてやることができます!」
信久の目には再び涙が浮かんでいた。
「貴丸殿のおかげで、ようやく夢へ手が届くかもしれませぬ……」
そう言って深々と頭を下げる。
「この知恵、必ず武野家で生かさせていただきます!」
その瞳は、希望に満ちて輝いていた。
その隣では新五郎も、尊敬の眼差しで貴丸を見つめている。
「貴ちゃん……すごいよ。それに、父上と一緒に茶の湯ができるようになるかもしれないなんて、俺も嬉しい!」
一方、その様子を少し離れた場所から眺めていた三兵衛は、小さく息を吐いた。
(また口だけで、とんでもないことを言い始めたか……)
最初はそう思った。だが、その考えはすぐに揺らぐ。
(いや……違う)工房を一巡りしただけで、これほど役立つ工夫が次から次へと出てくるものだろうか。
一つや二つなら偶然とも言える。しかし貴丸の口からは、まるで尽きることなく知恵が溢れ続けていた。
三兵衛は、夢中で信久たちへ話すその小さな背中を、しばらく黙って見つめていた。
十にも満たぬ童とは思えぬその姿に、驚きと、そして畏れにも似た感情を覚えるのだった。
珠光:村田珠光。奈良生まれの茶人。足利義政にも仕え、侘び茶の祖として茶道の礎を築いた。
楠珺社:商売発達・家内安全の神様として親しまれる神社。招福猫が有名。
で、次回からは急展開。あっ、言っちゃった。
乞うご期待です!!!!




