二日目 優しい嘘
秋の空は高く澄んでいて、通学路の銀杏が黄色く色づき始めていた。
私はいつものようにポケットの中の飴を確認する。今日はレモン味だ。
学校のチャイムが鳴る前から、もう放課後の予定が頭の中を占めていた。
授業中も、黒板の文字はほとんど頭に入ってこない。
ノートには、無意識に引いた線がいくつも走っていた。
放課後のチャイムが鳴ると同時に鞄を掴み、席を立つ。
教室を出て昇降口へ向かう。靴を履き替えて外へ出ると、秋の風が少し冷たかった。
空を見上げれば、雲ひとつない青空。
こんな日は外で遊びたい、と透なら言うだろう。
私は走り出した。
いつものように。
ポケットの中で飴の包みがかさりと鳴る。
「はぁ……っ、はぁ……」
病院の白い建物が見えてくる。
息は上がっているのに、足は止まらなかった。
エレベーターで三階へ上がり、303号室の前に立つ。
ドアは閉まっている。
中から微かに話し声が聞こえた。
看護師だろうか。
ノックしようと手を上げた、その時だった。
「……容態が急変する可能性があります。ご家族にはお伝えしましたが、身近な方にもお話ししておいた方がよいかと」
聞こえてきたのは、知らない男性の声。
医師だ。
落ち着いた声だったが、その言葉はやけに重く響いた。
「はい。わかってます」
透の返事は、いつもと変わらない。
穏やかで、静かで。
「それと、一つお願いがあるんですけど」
少し間が空く。
「今日、幼なじみがお見舞いに来ると思うんです」
透の声が少しだけ柔らかくなった気がした。
「その子には……まだ言わないでください」
心臓が大きく跳ねた。
息が止まる。
ドアノブに置いた手から、じわじわと力が抜けていく。
「僕、その子の前では元気でいたいので」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
透は知っている。
自分がどういう状態なのか。
その上で、私の前では笑っている。
ずっと。
喉の奥が熱い。
このまま病室に入ったら、きっと顔を見ただけで泣いてしまう。
私は踵を返し、その場を離れた。
気づけばトイレへ駆け込んでいた。
しばらくして、ようやく顔を上げる。
蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った。
鏡の中の目は赤い。
冷水を当てながら何度も瞬きをする。
……泣いていたら透は気づく。
あいつはそういう奴だ。
だから平気な顔をしろ。
いつも通りに。
そう、透が望んでいるように。
深く息を吸って、吐く。
ポケットの飴に触れる。
ある。
よし。
病院に着いてから病室へ入るまで、二十分もかかってしまった。
私は再び303号室の前へ戻る。
少し震える手でノックをした。
「はーい、どうぞ」
聞き慣れた声。
ドアを開けると、透はいつも通りベッドに腰掛けていた。
ただ、今日は少しだけ顔色が悪い。
それでも笑っている。
いつも通りに。
「……っ」
透の顔を見た瞬間、胸が苦しくなった。
透は私の顔を見つめ、首を傾げる。
「ん? どしたの。ぼーっとして」
パイプ椅子を指差しながら手招きをする。
その仕草も、声も、何も変わらない。
変わらないはずなのに。
「ううん……大丈夫」
透はじっとこちらを見つめる。
数秒。
そして、ふっと目を細めた。
「……目、赤くない?」
追及するわけでもなく、ただ事実を口にするような声だった。
「っ……ごめん。今日、用事があって……帰らないといけないんだ」
透の瞳が僅かに揺れた。
けれど、それも一瞬だった。
「そっか」
透は笑う。
いつもと同じように。
「でも大丈夫だよ。いつも来てもらってるし、たまには自分の時間取ってね」
その優しさが苦しかった。
私は小さく手を振る。
そして逃げるように病室を後にした。




