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実りを失った稲荷姫は、呪われた村で祈りを耕す〜もふもふ眷属に見守られ、神さまは今日も泥まみれ〜  作者: 明石竜


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20/23

第二十章 最後の秋の収穫(前編)

 収穫が始まったのは、三日後の朝だった。

 夜明けとともに、稲乃は田へ出た。

 神気を手のひらに集めて、穂に触れた。実りの力が、指先から稲の中へ流れていった。穂が応えた。茎が張った。重さが増した。昨日より確かに、実っていた。

 これが、戻った力の感触だった。

 三日間、毎朝田に入って、神気を送り続けた。完全に熟れていなかった穂が、三日で収穫できるまでに育った。西の傷んだ一列は戻らなかったが、他の田は持った。

 いや、持った以上だった。

 穂の重さが、何年もの不作では考えられないほどあった。一本の茎に実った粒の数が、澪芹が記録を取り始めてから一番多いと、昨日の夕方に言っていた。

 鈴那が田を見て、言った。

「穰津彦の力が加わっている」

「そうかもしれぬ」

「百年分の、実らせたかった願いが、今年の穂に入っている。そういうことだと思う」

 稲乃はその言葉を聞いて、穂を見た。

 黄金色の穂が、朝日に光っている。穰津彦が実らせたかった田が、今年ようやく実った。百年越しに、その願いが形になった。

早苗が最初に鎌を入れた。

 乾いた音がして、黄金の穂がひと束、彼女の手の中に収まる。

「ほら、何してるの。見てるだけじゃ終わらないよ」

 その声で、村人たちも動き始めた。


 収穫の声かけは、早苗がやった。

前日の夕方に村を回って、明日の朝から刈り始める、鎌を持って田へ来い、と言った。全員が来るとは思っていなかった。しかし朝になってみると、村に残っていたほとんど全員が来ていた。

 老いた者も、体が弱っている者も、道具を持って田の縁に来ていた。

 稲乃は田の中央に立って、それを見た。

 都で見てきた神事の景色とは、何もかも違った。服は揃っていない。作法も揃っていない。鎌の持ち方も、人によって違う。しかしそれでも、全員が田を見ていた。

 夜露はもうほとんど消えていたが、朝の空気にはまだ冷たさが残っていた。山の端から日が差しはじめると、段々田の穂がいっせいに光を返す。金色だった。ほんとうに、金色と呼んでよい色だった。

 稲乃は田のふちに立ったまま、しばらく動けなかった。

 村へ来たばかりのころ、田は青かった。青く見えて、しかし力がなかった。伸びきれず、痩せて、水にも土にも疲れがにじんでいた。あのとき神気を向けても、指先に返ってきたのは、力のなさばかりだった。

 今、目の前にある穂は違った。

 完璧ではない。西の傷んだ一列は戻らなかったし、背丈の揃わぬところもある。だが、実っていた。一本一本の茎が自分の重みを抱え、頭を垂れている。風が吹くたび、さらさらと乾いた音がした。育った稲の音だった。

「姫さま、ぼんやりしてる場合じゃないも」

 豆太が畦を駆けてきて、稲乃の裾を前足で叩いた。頭の葉っぱはぴんと立ち、しっぽは忙しなく揺れている。

「今日は刈る日だも。見てるだけじゃ米にならないも」

「分かっておる」

 そう答えた声が、自分でも少し掠れている気がした。豆太はそんなことは気にせず、田の方を振り向いて大きな声を出した。

「みんな来たもー! 早くしないと姫さまがまた難しい顔になるも!」

「ならん」

 言ったところで、畦の向こうから早苗の声が飛んできた。

「なってるって。朝からずっと、神さまみたいな顔してる」

「わらわは神じゃ」

「はいはい」

 早苗は笑いもせずに言って、肩にかけていた縄を下ろした。野良着の袖をまくり、もう鎌を手にしている。後ろには村の若い者や年寄りがまばらに集まり始めていた。誰も祭の夜のように言葉は多くない。ただ、今日はみな、手に刈る道具を持っていた。

 澪芹も来た。巫女装束ではなく、地味な藍の作業着だった。裾を短く結び、髪もいつもよりきつく後ろで束ねている。社に仕える巫女見習いというより、この村で田を守ってきた娘の姿だった。

「始めましょう」

 澪芹が言った。

 その一言で、村人も動いた。

 しゃり、と乾いた音がした。穂を束ね、手首を返すようにして刈り取る。次いで、その隣の男が刈る。向こうの畦でもまた音が立つ。しゃり、しゃり、と音が連なり、やがて田全体に広がっていった。

稲乃も田へ下りた。

 泥に足を取られて転びかけた日のことを、ふと体が覚えていた。しかし今はもう、田の中の歩き方を知っていた。柔らかいところと沈まないところ、足を抜くタイミング、体重のかけ方。田に立つことが、もう特別ではなくなっていた。

 鎌を持つと、隣で早苗が目を丸くした。

「神さま、自分で刈るの?」

「何を今さら驚いておる」

「いや、最初の頃は絶対こういうことしない顔してたから」

 豆太がすかさず口を挟んだ。

「最初は田にも入らないって言ってただも」

「豆太」

「ほんとのことだも」

 早苗が鼻で笑った。

「じゃあ、今日はだいぶ出世したね」

「そなたら、あとで覚えておれ」

 そう言いながらも、稲乃は腹を立てきれなかった。鎌を穂元へ入れる。手の中に、刈り取る重みが返ってくる。軽くなかった。これだけ実ったのだと、手のひらが先に理解した。

「重いのう」

 思わずこぼすと、すぐそばで年嵩の男が言った。

「重いのは、いいことです」

 その声には、長く使っていなかった言葉をようやく口にしたような響きがあった。稲乃は答えず、もう一束刈った。重かった。だが、その重さは疲れではなく、むしろ胸の奥へ落ちてくるものだった。

 稲乃の手つきはぎこちなかったが、澪芹が隣で教えながらやった。こう持って、こう引いて、根元から。

 束になった稲が、掌に来た。

 重かった。

 稲の重さを、掌で受けた。神気でではなく、ただの掌で。

 これが実りというものか、と稲乃は思った。都で豊穣の神気を送ることを実りと呼んでいたが、それとは違う重さだった。土と水と、人の手と、神気が合わさって、掌の中に来た重さだった。

「上手いですよ」

「嘘をつくな」

「本当のことです。最初より全然いい」

「最初のことを言うな」

「言いませんが、最初に比べてということです」

 稲乃は隣の澪芹を見た。澪芹は稲を刈りながら、少し笑っていた。

 はっきりした笑いではなかった。口の端が少し上がっているだけだった。しかしこの田で、澪芹がこういう顔をしているのを見たことがなかった。

「澪芹」

「はい」

「笑っておるの」

「笑っていません」

「笑っておる」

「……笑っていいですか」

「笑っていいに決まっておる」

 澪芹は前を向いて、また稲を刈った。口の端は、下がらなかった。

 子どもが二人、畦で落ち穂を拾っていた。小さな手で一本ずつ集めて、競うように数えている。若い母親がそれを叱るでもなく見ていた。叱らないのは、昔なら当たり前にあった風景が、今は当たり前でなくなっていたからだろうと、稲乃は思った。

 田のあちこちから、声がした。

「縄をもう少し寄こしてくれ」

「そっちは先に運ぶ」

「そこ、まだ刈り残しがあるぞ」

 どれも大きな声ではない。けれど黙りこくった村の声ではなかった。暮らしのための声だった。

 しばらくして、澪芹が稲乃のところへ来た。稲束を抱えて、隣にしゃがみ込む。

「この列、そろそろ終わります」

「うむ」

「……本当に、実りましたね」

 刈りかけの穂を手にしたまま、澪芹は田を見渡していた。その横顔は、穏やかすぎるほどだった。泣いていないだけで、胸の奥の方ではもう何かがほどけているのが分かる顔だった。

「そなたが諦めなかったからじゃ」

 稲乃は言いかけて、少しだけ言葉を止めた。しかしもう遅かった。澪芹がこちらを見た。

「稲乃さまもです」

「わらわは神じゃからな。諦めぬのは当然じゃ」

「そういうところ、今さらです」

 澪芹は控えめにそう言って、また穂へ目を戻した。それから、ふと眉を寄せる。

「手、見せてください」

「なぜじゃ」

「いいから」

 澪芹にそう言われると、なぜか逆らいにくい。稲乃は鎌を持っていない方の手を差し出した。澪芹がその手首を取る。細い指先が皮膚に触れて、そこで止まった。

「冷たいです」

「朝じゃからな」

「そういう冷たさじゃありません」

「平気じゃ」

 答えたが、澪芹は手を離さなかった。田の真ん中で、周囲には村人がいる。なのに澪芹は、その場で稲乃の手首を包んだまま、低い声で言った。

「無理をしているなら、あとで休んでください」

「収穫の日に休めるか」

「だから困るんです」

 叱るような、泣きそうなような声だった。稲乃は少しだけ視線を逸らした。

 昨夜から、体の奥に妙な空洞があった。力は戻った。田へ実りを送ることもできた。だがそのぶん、何かを削り取られた感覚も残っている。立っていられないほどではない。けれど、前とは違う身体になったことだけは、はっきり分かっていた。

「……後で座る」

「本当ですか」

「本当じゃ」

 ようやく澪芹が手を離した。その指先の温度だけが、しばらく手首に残った。


 最初の緊張がほどけたのは、陽が少し高くなってからだった。

 刈り始めた頃は、誰もが黙っていた。鎌の音と、足もとの草を踏む音と、束ねた藁の擦れる音だけが、秋の田に低く重なっていた。けれど、刈り取った稲束が少しずつ増えていくにつれて、固く閉じていたものが、村人たちの中で少しずつゆるみ始めた。

「……重いな」

 誰かが、ひとりごとのように言った。

 それが合図のようだった。

「去年は、こんな重さじゃなかった」

「持ったときの感じが違う」

「穂先の詰まりも、だいぶいい」

 小さな声が、あちこちで交わされる。

 大声ではなかった。喜びを言い切ってしまうのが、まだ怖いような、そんな声だった。それでも、朝にはなかった声だった。

 年嵩の女が、刈り取った一束を両手で持ち上げた。日に焼けた指が、穂のふくらみを確かめるようにそっと撫でる。

「こんな粒、久しぶりだねえ」

 誰にともなく言ったその声に、近くにいた男が、うなずくでもなく、ただもう一度、手の中の稲束を見た。

 子どものひとりが、運びかけた束に顔を寄せて、くんと鼻を鳴らした。

「においがちがう」

「何の匂い?」

 背負っていた籠を下ろしながら女が聞くと、子どもは少し考えてから言った。

「青くない。あまい」

 その言い方が妙にまっすぐで、近くにいた何人かが小さく笑った。

「ほら、しゃべってないで手を動かしな」

 早苗がそう言って、隣の男の肩を軽く小突いた。

「日が暮れる前に終わらせるよ」

 口調はいつも通りぶっきらぼうだったが、その目じりは朝よりわずかにやわらいでいた。

 豆太が稲束のあいだをちょろちょろと走り回り、足に藁を引っかけて転がった。

「わっ、まめのおうちみたいだも!」

「踏まれるよ、豆太」

 澪芹がそう言うと、豆太はあわてて束の影から顔だけ出した。

「だっていいにおいするんだも。田のにおいと、秋のにおいが一緒になってるも」

「おまえは本当に落ち着きがないのう」

 稲乃が言うと、

「おいなさまだって、さっきから何回も見てるだも」

 と豆太はしっぽを振った。

 稲乃は言い返さなかった。

 見ていた。

 何度も、見ていた。

 刈られていく穂を。縁に積まれていく束を。最初は固かった村人たちの顔が、少しずつほどけていくのを。

 自分が実らせたのだ、と言えば、それは間違いではないのかもしれない。けれど今、田に満ちているものは、それだけではなかった。刈る手も、運ぶ肩も、束を受け取る腕も、みなこの秋に触れている。実りは稲の中だけでなく、人の動きの中にも戻ってきていた。

 それが、稲乃には思っていたよりずっと重かった。


 昼近くになる頃には、刈り取った束が畦にたくさん積まれていた。運べる者がそれを背に載せ、干し場へ運ぶ。早苗が先に立って場所を決め、年寄りが縄の結び方を直し、子どもたちは邪魔をしながらも落ち穂を拾い続ける。

 運ばれていく稲束は、どれも重たそうだった。ほんとうに重かった。抱え上げるたび、腕に食い込む。それでも誰も嫌な顔をしない。重いということが、今年ばかりは悪い意味ではなかったからだ。

「これだけあれば、冬を越せるかもしれないねえ」

 誰かがぽつりと言った。

 その声に、返事はなかった。だが否定もなかった。この村では長く、先の季節を口にすることがぜいたくに近かった。冬を越す、来年まで持つ、そういう言葉はいつも言い切れず、喉の奥で折られてきたのだろう。

 今、その言葉が田の上に出た。

 稲乃は干し場へ運ばれていく稲束を見ながら、最初の頃の村を思い出していた。干からびかけた柿二つしか供えられなかった社。礼だけが残り、中身が尽きかけていた村。あの村に今、これだけの束が積み上がっていく。

 その反転の中心に、自分がいることが、まだ不思議だった。


 昼になって、

「いったん上がるよ。腹に入れないと手元が狂う」

早苗がそう言って、休憩に入った。

 村人たちが田の縁に腰を下ろした。誰かが笑い声を立てた。誰かが隣の者と話していた。畦の上や、少し乾いたところに筵が敷かれた。握り飯と、漬物と、湯冷まし。普段と変わらぬ質素な昼餉だった。けれど今日ばかりは、並べられたものが妙にあたたかく見えた。

 そういう景色を、何年も見ていなかった、と早苗が言った。

「こんなに声が出る収穫は、子どもの頃以来だ」

「大丈夫か、早苗」

「大丈夫じゃないかもしれないけど、大丈夫なんだよな、これが」

 意味がよく分からなかったが、早苗の顔を見れば意味は分かった。目が赤かった。泣いていなかったが、泣いていた。

 豆太が早苗の足元に来て、前脚で早苗の草鞋を踏んだ。

「さなえ、泣いていいだも」

「泣いてないし」

「泣いていいだもって言ってるだも」

「うるさい」

 早苗は豆太の頭をわしゃわしゃとなでた。豆太がくるりと回った。


 澪芹が、村人たちに順に椀を配っていく。

「水、足りますか」

「こっちにも」

「はい」

 声はいつも通り穏やかだったが、足取りには忙しなさよりも確かさがあった。足りないものを見つけては補い、誰かが持ち上げそこねた籠を自然に支え、子どもには先に握り飯を渡す。そういう動きが、当たり前のように場に馴染んでいた。

 稲乃にも握り飯が差し出された。

 一瞬だけ、受け取る手が遅れた。

 この村に来た頃の自分なら、出されて当然の顔で待っていたかもしれぬと思ったからだ。

「……もらう」

 そう言って受け取ると、握り飯を渡した女は、少し目を丸くしてから、やわらかくうなずいた。

「どうぞ、稲乃さま」

 その声には、かつてのような形ばかりの硬さがなかった。

 稲乃は握り飯を見下ろした。

 大きくもなく、整いすぎてもいない。少しだけ塩が強い。だが、手の中にある温かさが、ひどく鮮やかだった。

「今日は飯がうまいねえ」

 年嵩の女が、ぽつりと言った。

「同じ握り飯でも、こうも違うのかね」

「働いたからだろ」

 男がぶっきらぼうに返したが、その顔にはうっすらと笑みがあった。

「新米で炊けるのは、もう少し先かねえ」

「干して、脱穀して、まだ先だよ」

「分かってるよ。分かってるけど、言ってみただけさ」

 来年、ではない。

 まだその前の、今年の米の話だった。

 それでもその会話に、稲乃は胸のどこかを小さく打たれる思いがした。去年までのこの村では、こんなふうに次の手順を口にすることさえ、ためらいがあったのではないかと思えたからだ。

 若い男のひとりが、膝を立てたまま言った。

「……秋で下りるつもりだったんだけどな」

 その一言で、場が少し静かになった。

 誰も責めなかった。否定もしなかった。

 ただ、皆がその続きを待った。

「去年の冬には、そう決めてた。もうここじゃ無理だって」

 男は視線を田に向けたまま続けた。

「でも、こういうの見ると……」

「まだ今日一日終わってない」

 早苗が遮った。

 厳しい声だったが、切り捨てる響きではなかった。

「終わってから考えな。半端な気持ちで言うと、あとで自分が困る」

 男は苦く笑って、

「分かってる」

 と言った。


 澪芹が、空になった椀をまとめながら、そのやりとりを聞いていた。表情は変わらなかったが、指先だけが一度、わずかに止まった。

 豆太が稲乃の膝の近くまで寄ってきて、小声で言った。

「みんな、ちょっと先のこと話してるも」

「そうじゃな」

「前は、今日のことしか話さなかったも」

 稲乃は答えず、湯冷ましをひと口飲んだ。

 冷たい水が喉を通ったのに、胸のあたりだけ妙に熱かった。


 鈴那が稲乃の隣に来た。

「よかったわね」

「ああ」

「あなたがここへ来る前は、こういう景色はなかった」

「わらわが来たからではなく、みんなが田を守ったからじゃ」

「両方よ。あなたが来なければ、穰津彦のことは分からなかった。田に入らなければ、土の状態は変わらなかった。あなたが変えたものがある」

「澪芹が」

「澪芹も。あなたも。どちらも、ということよ」

 稲乃は田を見た。

 半分ほど刈られた田が、日差しに光っていた。刈られたあとの株が、等間隔に並んでいる。刈り取られた稲束が、田の縁に積み上がっている。

 この重さが、この村の今年の秋だった。

 

 葛葉が稲乃の後ろから来た。

「稲乃さま」

「なんじゃ」

「都から文が来ていました」

 稲乃は葛葉を見た。

「いつ」

「今朝。私が受け取っておきました」

「何が書かれておった」

「稲乃さまを、都へお戻しになりたいと」

 田の音が、遠くなった気がした。

 水の音も、笑い声も、豆太の声も。

 葛葉が文を差し出した。稲乃は受け取って、読んだ。短い文だった。この地の任を終えたなら、速やかに都へ戻るように、と書かれていた。

「収穫が終わり次第、ということじゃな」

「そう読めます」

 稲乃は文を畳んで、袖の内へしまった。

 少し離れたところで、澪芹が村の老いた女と話していた。こちらは見ていない。けれど、もし今、目が合えば、何かを悟られる気がした。

 葛葉が低い声で言った。

「稲乃さまが選ぶことを、私は止めません」

「選ぶとは、何を」

「都へ戻るか、ここに残るか」

「残ることを選んでよいのか。都からの文に逆らうことになる」

「都がどう言おうと、稲乃さまには選ぶ権利があると、わたくしは思っています」

「葛葉にしては、随分と」

「わたくしも長くいすぎたのかもしれません、この村に」

 葛葉はほんの少しだけ笑った。

「ここの田の匂いが、気に入ってしまいました」

 稲乃は葛葉を見た。

「……ありがとうの、葛葉」

「お礼はいりません。見届けますと言ったので」


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