王都から来た取り立て人
返納祭の翌朝、広場の灯り籠はまだいくつか残っていた。
夜露に濡れた紙の花が、石畳の上で頭を垂れている。リエラは開局前の机を拭きながら、昨夜の黒い外套を思い出していた。王都水路管理局の紋章。封蝋のついた回収命令。あれは、祭りの片づけを待つほど悠長な人たちではない。
「来るわね」
マルタが窓の外を見た。
港へ続く大通りに、灰色の馬車が三台並んでいた。先頭の男が降りる。細身で、雨よけの帽子にも外套の留め具にも、王都の銀の水滴章がついていた。
「王都水路管理局、臨時徴収監のグレゴール・ハインです」
男は名乗ると、挨拶の代わりに書状を差し出した。
「昨夜、貴局が不許可の水路に関する記録を公開したことを確認しました。該当水路は廃止済みです。にもかかわらず、周辺住民が無断で水を使用していた。六年分の使用料と、危険水路を放置したことによる保全費を徴収します」
後ろにいた役人が、羊皮紙の束を机へ置いた。金額の欄には、港町の小さな家なら何軒も手放さなくてはならない数字が並んでいる。
「水が流れていることを、昨日みんなが見ました」
リエラが言うと、グレゴールは薄く笑った。
「流れているからといって、使ってよいとは限りません。規則をご存じないようですね、忘れ物係さん」
「規則なら知っています。返納局は、拾った品を持ち主へ返す場所です」
「それなら話は早い。昨夜公開した資料を、王都へ返してください。水路管理局が保管します」
カイがリエラの前に立った。濡れた石のように無表情だが、声は低く、はっきりしていた。
「その命令書に、記録の所有者は誰と書かれている」
グレゴールの眉がわずかに動いた。
「王国の公文書です」
「なら、返す相手ではなく、保管場所の指定だな」
「特配官が口を挟むことではありません。あなたには別の召喚状もあります」
役人の一人が封書を取り出した。カイの父、橋守セヴェルの名前が見えた。
「行方不明者の遺族に関する照会を、あなたは六年前から不当に継続している。王都へ戻り、取り調べを受けてもらいます」
リエラの胸の奥が冷えた。グレゴールは記録だけでなく、カイの過去まで取り立てに来たのだ。返せなかったものを借金のように数え、払えない人間から順に黙らせる。
マルタは机の端を軽く叩いた。
「町の人たちに請求する前に、計算の根拠を見せなさい。廃止した水路なら、なぜ六年分の使用量が算出できるの?」
グレゴールは答えなかった。代わりに、背後の役人へ顎を引く。役人は返納局の棚を見回し、青い糸のついた品物へ手を伸ばした。
「触らないでください」
リエラの声が、思ったより大きく響いた。
「それらは持ち主を探している途中です。命令書に書かれていない品を持ち出す権限はありません」
「水路に関係する可能性があります」
「可能性で、忘れ物を奪うのですか」
役人の手が止まった。
そのとき、机の上の回収命令書が風もないのにめくれた。封蝋の裏側に、欠けた羽根の印が押されている。昨夜見た記録の頁と同じ印だった。
リエラは無意識に紙へ指を触れた。
冷たい残響が、指先から耳へ流れ込む。
『先に記録庫を閉じろ。あの子が見つける前に』
一度きりの声は、すぐに消えた。
誰の声かは分からない。けれど、命令書が作られたとき、誰かが恐れていたことだけは伝わった。
「リエラ?」
カイの呼びかけに、彼女は顔を上げた。
「この命令書は、昨日の前から準備されていました。回収が目的なら、祭りが終わるまで待つ必要はない。グレゴールさんたちは、記録庫を閉じるために来たんです」
「推測で王都の役人を疑うのか」
「推測ではありません」
カイが書状の封蝋を見た。
「この印、王都水路管理官イヴァン・グレイの執務印だ。グレゴール、お前の命令は徴収監の独断ではないな」
初めて、男の笑みが消えた。
「グレイ管理官は、秩序を守るために必要な判断をされたのです」
「秩序を守るなら、町の証言を聞いてからにしろ」
カイはリエラの隣へ戻り、召喚状を受け取らずに押し返した。
「俺は王都へ行かない。ここで届けるべきものを届ける」
グレゴールはしばらく二人を見ていたが、やがて書類を巻き取った。
「本日正午までに資料を引き渡さなければ、返納局を公文書隠匿の疑いで封鎖します。町の人々への徴収も、その後に始める」
馬車の車輪が、濡れた通りで嫌な音を立てた。
姿が見えなくなると、マルタが扉を閉める。
「半日しかないわね」
「記録庫へ行きます」
リエラは指輪の袋を胸元で押さえた。指輪は鳴らなかった。けれど、沈黙の奥に、昨夜の水音が続いている。
「王都へ返さないで、という願いを守るには、王都の記録を見なければならない」
カイがうなずく。
「閉じられる前に、開ける」
二人は、まだ青い糸の残る返納局を出た。背後でマルタが鍵を回す音がした。それは店を閉める音ではなく、守るべき場所を確かめる音だった。
正午まで、あと三時間。
王都から来た取り立て人が奪おうとしているのは、紙だけではない。誰が水を使い、誰が橋を守り、誰がその事実を消したのかを、なかったことにするための時間だった。




