閉ざされた記録庫
記録庫は、水路管理局の本庁舎の裏にあった。
港町の役所よりも古い、灰色の石造りの建物だ。窓は細く、壁面にはかつて水位を測った目盛りが刻まれている。入口の前には王都の役人が二人立ち、扉には白い封印布が斜めに張られていた。
「王都水路管理局の命令により、本日より閉鎖します」
門番の男が、リエラの差し出した閲覧許可証を見もせずに言った。
「閉鎖は正午のはずです。まだ鐘は鳴っていません」
「封鎖準備も命令のうちです」
隣でカイが、白い布の端を見た。布には銀の水滴章が三つ並んでいる。昨夜、グレゴールが持ってきた命令書の封蝋と同じ印だった。
「記録庫の鍵を見せろ」
「特配官に閲覧権限はありません」
「俺にはない。だが、ここに届く書類を運ぶ権限はある。閉鎖命令が本当に今朝作られたものなら、配達記録を確認させてもらう」
門番が答えに詰まった。リエラは建物の扉へ手を伸ばしかけ、思いとどまる。物に残る願いを聞く力は、証拠として扱われない。それでも、触れれば何かが分かるかもしれない。
迷っていると、裏手から小さな影が走ってきた。
「その人たちを通して」
灰色の髪を三つ編みにした老女が、重そうな鍵束を抱えていた。水路管理局の記録整理係、エダ・ローム。昨夜の公開記録を一番前で聞いていた人だ。
「エダさん、あなたは部外者を入れるなと命じられています」
「私は部外者ではありません。四十七年、この記録庫の埃を吸ってきたのよ。命令書を見せなさい」
門番が躊躇した隙に、エダはリエラの手首をつかんだ。
「急いで。棚が動かされる前に」
古い扉が開く。湿った紙と鉄の匂いが鼻を刺した。
記録庫の中は、細い通路を挟んで高い棚が並んでいた。水路の名前、橋の番号、通行税、補修費。王国中の水の記憶が、何十万枚もの紙になって眠っている。
しかし、正面の棚だけが不自然に空いていた。
「旧南環水路の記録です」
エダが声を落とした。
「昨夜、私が退勤したときにはあった。今朝来たら、棚の番号ごと抜かれていたの」
リエラは棚の縁に触れた。冷たい木から、ひとつの声が鳴る。
『ここから先は、記録ではなく罪になる』
短い残響は消えた。
「何か聞こえたのか」
カイがすぐに尋ねた。責める声ではなかった。リエラはうなずく。
「誰かが、ここから先を隠したかったみたいです」
「隠した場所を探そう」
カイは棚の背板を調べた。リエラも反対側の壁に目を走らせる。すると、床に細い銀糸が落ちているのが見えた。第六話で見つけた地図の糸と同じ、月明かりのような色だった。
糸は空の棚から伸び、奥の作業机の下へ続いている。
机を動かすと、床板に小さな鉄輪が埋め込まれていた。カイが引く。床板の一枚が持ち上がり、そこから薄い帳簿が現れた。
表紙には題名がない。背にだけ、橋の番号を示す赤い線が引かれている。
「それは私も知らない帳簿です」
エダが息をのんだ。
中には、廃止された水路の記録があった。だが、通常の台帳とは違い、使用料や補修費ではなく、落とし物の番号が書き込まれている。
青い糸のついた鍵。三つ目の橋で拾った手紙。王家の印が押された指輪。リエラが返納局で触れてきた品々の番号が、古い日付とともに並んでいた。
その横には、すべて同じ言葉が記されている。
『水路が戻る場所へ届けること』
「落とし物を、記録庫が追っていた?」
リエラの指が震えた。
「違う。記録庫の誰かが、落とし物を使って水路の行き先を隠したんだ」
カイは帳簿の最後の頁をめくった。そこには、六年前の日付と橋守セヴェルの署名があった。
『水路を消す者は、流れだけでなく、届けられた願いも消す。返納局に残る番号をすべて照合せよ。北の分岐に、まだ鍵がある』
カイの顔から血の気が引いた。
「父さんは、ここまで来ていた」
その瞬間、外で金属の音が響いた。扉の鍵を回す音だ。
「封鎖が始まったわ!」
エダが叫ぶ。カイは帳簿を懐へ入れようとしたが、リエラが首を振った。
「持ち出したら、彼らに盗難だと言われます」
「なら、どうする」
リエラは帳簿を開いたまま、机の上へ戻した。そして、返納局から持ってきた指輪の袋を取り出す。指輪は沈黙していた。けれど、帳簿の頁に近づけた途端、かすかな水音を立てた。
紙の上の番号が、淡い青い光を帯びる。
「記録庫を閉じるなら、閉じた人たちにも読める形にします」
リエラは銀糸を指でたどり、帳簿の余白に同じ線を写し取った。空の棚、隠し床、北の分岐。線は一つの場所へ集まり、見覚えのある港町の印で止まった。
外から封印の呪文が唱えられる。白い光が扉の隙間をふさいだ。
カイがリエラの手を取った。
「閉じ込められたな」
「はい。でも、もう隠されたままではありません」
帳簿の最後の頁で、父の署名が青く光っている。
記録庫は閉ざされた。けれど、閉ざされた場所には、外からは見えないものが残る。二人はその夜、すべての忘れ物の番号を照合するため、暗い棚の間で肩を寄せ合った。
返すべき場所を示す線は、ひとつではなかった。
返納局に眠る、まだ誰にも届いていない品々すべてから、同じ北の分岐へ向かっていた。




