第8話 四十一日
目が覚めたら、午後二時だった。
枕元のスマホを取って、通知の数字を見て、見なかったことにした。
三桁の後ろに、まだ数字がある。
知らない番号の着信が、四十件。
留守番電話に切り替わる前に切れているのが半分、何かを早口で吹き込んであるのが半分。
再生は、しなかった。
スマホは、電源を切った。
カーテンの外で世界がどれだけ騒がしくても、それは俺の知らない話だ。
昨日のぶんの疲れが、まだ体の底に沈んでいた。
もう一度、眠った。
体は正直で、腹だけが、時間どおりに減った。
◇
――匿名掲示板『第七ダンジョン崩落事故・検証スレ part3』より
201:名無しの探索者
前スレ埋まるの速すぎ。誰か時系列まとめて
203:名無しの探索者
まとめな
・「画面端のおじさん」が朝晩、第三柱に張り付いてたのは配信の映像で確認できる。確認できる最古は崩落3日前の夕方
・本人の発言は「四日前に初めて気づいた。そのときはもう半音下がってた」
・つまり「4日前」は今のところ本人証言のみ。映像とは一日ずれる。混ぜるなよ
206:名無しの探索者
ルカちゃんの生配信、アーカイブ全部残ってるからな。発言も映り込みも、一言一句そのまま記録されてる
209:名無しの探索者
切り抜きじゃなくて一次ソースなのが強い
212:名無しの探索者
>>203
映像で確認できる範囲と証言をちゃんと分けて書くの、検証班の鑑
起こされた発言は、三つだった。
四日前に気づいたとき、唸りはすでに半音低かったこと。
前の夜から、うねりが混ざったこと。
うねりが止まった瞬間から、崩落までは数秒だったこと。
215:名無しの探索者
ところでお前ら、公社の点検・補修記録って情報公開ページで全部見られるの知ってた?
218:名無しの探索者
まじ?
220:名無しの探索者
落としてきた。市内3ダンジョン、過去10年分。点検日・補修日・故障と事故の記録、全部ある
224:名無しの探索者
>>220
神。表計算に食わせた
226:名無しの探索者
先に言っとくと「警報鳴ってないから安全」ってのは無意味だぞ。警報の閾値って最終段階用だから
228:名無しの探索者
でも生ログには振動値の微小なズレが全部残ってる。並べ直すと、ズレが始まった日——ドリフトの始点が拾える
229:名無しの探索者
補足な。公開ページに出るのは、年度で締めた過去の分まで。第三柱まわりの直近のログと点検記録は、崩落を受けて公社が調査団向けに臨時公開した分だ。生きてる柱のいまのログは出てない。そこも混ぜるなよ
集計は、その日の夜のうちに終わっていた。
匿名の誰かの夜が、いくつも溶けた集計だった。
市内の他の二つのダンジョンでは、ドリフトの始点から実際の故障や破損までが、短いもので三十日、長いもので五十日余り。
平均すると、四十一日。
警報が鳴るのは、いつも、最後の数日だけだった。
230:名無しの探索者
で、ここからが本題な
232:名無しの探索者
第七だけ、設備が原因の事故が10年間ゼロなんだよ
235:名無しの探索者
補修記録を突き合わせた。他の2つは「生ログにドリフトが出る→数十日後に補修か故障」の順。第七だけ、この順番が成立してない。ドリフトが出る前に、補修が済んでる
238:名無しの探索者
>>235
どういうこと?
241:名無しの探索者
生ログにすら何も出てないうちに、直し終わってるってこと。10年分、全部
244:名無しの探索者
は?
246:名無しの探索者
計器より先に気づく人間が、10年間、あそこにいたってことだよ
249:名無しの探索者
……画面端のおじさんじゃん
252:名無しの探索者
泣いてる
255:名無しの探索者
10年間、誰にも数えられてなかったのか
257:名無しの探索者
事故が起きてたら数えられてた。起きなかったから、誰も数えなかった
しばらく、スレの流れが止まった。
260:名無しの探索者
人数の話もしとくか。本人が無線で「入場386、正午までの退場251、中は135」って即答してる
263:名無しの探索者
入場端末は崩落で死んでた。あの人の手元の数取器が、唯一の入場記録
265:名無しの探索者
386−251=135。救助数、135。全員生還
267:名無しの探索者
「正午までの」って自分で区切ってるのが怖い。崩落後に避難で出た分を混ぜてない
269:名無しの探索者
数字が全部合ってる
271:名無しの探索者
怖いくらい合ってるんだよ、この人の数字は
274:名無しの探索者
ところで俺は今日から、健康診断の結果をちゃんと読むことにした
276:名無しの探索者
>>274
生ログも10年ずっとそこにあったのに、読んだやつが今日までゼロだったからな
280:名無しの探索者
ただ、一個だけ分からんことがある
282:名無しの探索者
平均41日って自分らで出しただろ。第三柱もログでドリフトの始点を特定できた。崩落の8日前だ
283:名無しの探索者
>>282
細かいけど、始点は8日前の午後な。公開されてる点検記録だと、本人の最終巡回は同日の朝で、異常の記載はなし。巡回のあとに始まってるから、入れ違い。矛盾はしてない
284:名無しの探索者
>>283
巡回とログの時刻まで突き合わせてるのか。検証班こわい
285:名無しの探索者
>>282
8日? 平均の5倍速ってこと? なんで?
288:名無しの探索者
老朽化にしては速すぎる。何かおかしい
291:名無しの探索者
わからん
294:名無しの探索者
誰か柱の専門家いないのか
297:名無しの探索者
その専門家が画面端のおじさんなんだよなあ
298:名無しの探索者
本人、たぶん今ごろ普通に飯食ってるぞ
299:名無しの探索者
>>298
それはそう
300:名無しの探索者
本人に聞くしかないだろ、これ
◇
夜にもう一度起きて、台所で冷や飯を食った。
食いながら考えていたのは、掲示板の連中と同じことだった。
もちろん俺は、スレのことなんて知らない。
ただ、茶碗を持ったまま、同じ場所で行き止まっていた。
四日で半音の理由が、分からない。
十年の経験の、どこを探しても、あの速さの前例がない。
水は、消した。
工事も、消した。
魔素圧の急変なら、九本全部が一緒に下がるはずで、崩落の四日前の夜の時点では、残りの八本はいつもの音だった。
外の理由を全部消して、残った答えが「分からない」だ。
それが、気持ち悪い。
分からない、を放っておけない性分は、履歴書には書けないが、消しようもない。
理由が分からないまま誰も死ななかったのは、ただの結果だ。
次も同じ幸運がある保証は、どこにもない。
そして、柱は九本あった。
折れたのは、一本。
「……残りの八本は、今、どんな音で鳴ってるんだろうな」
茶碗を置いて、時計を見た。
夜十時。
街の音が、静かになり始める時間だ。
耳のための時間割は、十年で体に染みついている。
第七は封鎖された。
八百円で入れる場所は、当分、どこにもない。
でも、外から聴ける場所なら、三つ知っている。
俺は、上着を取った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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