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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第6話 図面は頭の中

詰所の外壁の格納箱は、十年前と同じ番号で開いた。


受話器を耳に当てる。


握った手のひらが、汗で滑った。


非常用無線は、怒鳴り声で飽和していた。


『——応答しろ、B班! 現在位置!』


『通路が、通路が塞がって——』


『誰か東の状況を——』


俺は送信ボタンを押した。


名乗っている暇はない。


「東側の避難通路は使えません。第三柱が倒れたのは東です。全員、排水路側へ。北三番隔壁を手動で開けてください。開け方を言います」


無線が、一瞬だけ静かになった。


『……誰だ!?』


「盤の裏に赤いハンドルがあります。安全ピンを抜いて、左に十八回転。重いですが、回ります。先に言っておきますが、十回転目で一度固くなります。壊れたんじゃないので、そのまま回してください」


『……あんた、誰なんだ』


「元第七点検員の、灰田です」


無線の向こうで、息を呑む音がした。


保全課の主任の声だった。


『灰田さん……あんた、なんで』


「あとで全部話します。今は、聞いてもらえますか」


三秒の沈黙。


たぶん主任は、この三秒で全部呑み込んだ。


先月引き継いだばかりの現場で、頼れる図面が一枚も信用できなくなった男の、三秒だった。


内部の図面を頭に入れている人間が、先月から、この公社に一人もいないことを。


『——各班、聞け! 以後、この声の指示を最優先!』



「主任、先に人数です。中に何人いるか、分かりますか」


『入場端末が死んでる! 第三柱の系統から給電してたから、記録ごと——』


そうだろうと思った。


だから朝から、数えていた。


「入場は、三百八十六です」


『は?』


「開場から崩落まで、ゲートの外で数えていました。数取器で。退場側の端末は別系統なので、生きているはずです。正午までの退場数を読み上げてください。それより後の記録は、避難で出た人なので混ぜないでください」


数秒あって、主任の声が返ってきた。


『……正午まで、退場、二百五十一!』


三百八十六、引く、二百五十一。


「中にいるのは、百三十五人です。救助対象、百三十五。ボードに書いてください。その数を切ったら、まだ中に人がいます」


『百三十五——了解! 対策本部、聞いたか、百三十五だ!』


復唱の声が、少し震えていた。


無線の向こうが、動き出す音がした。


止まっていた足が、また動き出す音だった。


数字が一つあるだけで、現場は迷子じゃなくなる。


探す数の分からない救助は、終わることができないからだ。


「主任、もう一つ。魔物です」


『……そうだ、湧きは——柱が一本落ちて、中はどうなる!?』


「第三柱が受け持っていた圧は、今、残りの八本が分担しています。だから、すぐに湧きが荒れることはないです。ただ、八本の設計に、九本ぶんの仕事は入っていません」


「保って、半日です。日が落ちるまでに、全員を地上へ。救助の期限は、そこです」


『日没……了解した! 各班、期限は日没だ!』



そこからは、頭の中の第七を、口から出し続けた。


「第四層の連絡橋は、見た目が無事でも並んで渡らせないでください。支承が古い。人が並ぶと落ちます。一人ずつなら保ちます」


「第六層の非常照明は、三十分で切れます。切れる前に、各班、手持ちの灯りを配り直してください」


「排水路の中は、水音で無線が通りません。無線より笛です。詰所の防災箱に、ホイッスルが四十個あります。入る班に持たせてください」


「粉塵で第七層は視界がないはずです。壁の右側に、手すりが通っています。右手を離さずに進めば、必ず階段に出ます。逸れた班には、それを伝えてください」


「第五層の売店跡に、飲み水の備蓄が二箱残っています。動けない怪我人には、そこの水を回してください」


主任は途中から、俺の言葉を復唱する係になっていた。


『第四連絡橋、一人ずつ! 六層照明、残り三十分! 排水路班、笛!』


『灰田さん、あんた、中に来られないか! 直接見てもらったほうが——』


「行きません」


即答した。


「中に入ったら、俺は無線の前から動けなくなります。俺の足より、あなたたちの足のほうが速い。俺の目より、中にいる百三十五人の目のほうが多い。俺はここで、全部言えます」


『……了解!』


それからの一時間、無線は俺の声と、復唱と、了解で埋まった。


第三層の見学者、全員地上。


第五層、担架二つ、階段を上がり始めた。


百三十五の横に、報告が一つずつ積み上がっていく。


ボードの正の字が増えるたび、ゲート前のどこかで、小さな歓声が上がった。



――『各務ルカのダンジョン日記』配信画面より


浅層、避難通路。


画面は激しく揺れ、砂埃の中を、見学者の列が進んでいく。


配信主は列の最後尾で、撮影機を前に向けたまま歩いている。


列の中ほどに、家族連れの背中が見える。


親が子を、前へ前へと押している。


 おい嘘だろ


 これマジのやつ?


 ルカちゃん逃げて


 音やばかったな今の


「大丈夫、浅層のルートは生きてます! 皆さん慌てず、前の人に続いて!」


配信主の声に、場内放送が重なる。


その放送の指示を、配信主がもう一度、通路の列に向けて読み上げる。


『繰り返します。第二見学口は使えません。北側へ回ってください』


「第二見学口は駄目だって! 北側です、北側!」


 放送聞こえない人に中継してるのか


 えらい


 この子今日ずっと浅層だったの運良すぎ


 声震えてるのに仕事してる


 後ろの人、子供おぶってるぞ


 落ち着いていこう


 みんな無事でいてくれ


 頼む


「北側の出口、見えました! あと少しです、足元だけ気をつけて!」


 みえた


 よし


 ルカちゃんナイス


 最後まで気を抜くな


視聴者数の数字が、画面の隅で膨らみ続けていた。


千、五千、二万。


ニュースサイトの速報が、この配信のアドレスを貼ったからだった。



日が傾く頃、ゲートの前のボードには、正の字が並んでいた。


生還者数。


百三十三。


「……あと二人」


ボードの前には、まだ名前の消えない家族らしい人たちが立っていて、無線が鳴るたびに、一斉に顔を上げた。


母親らしい人が、子供の上履きを両手で抱えたまま、動かなくなっていた。


誰も、上履きのことには触れなかった。


触れたら、崩れそうな顔をしていたからだ。


すぐ後ろでは、若い男が、友人らしい名前を、ボードの正の字が増えるたびに指でなぞっていた。


名前が消えないうちは、まだ終わっていない。


そう決めているような指だった。


無線の各班から、応答が途切れ始める。


『B班、九層まで見た! いない!』


『C班、こちらもだ! 残りはどこだ!』


西の空が、色を変え始めていた。


期限の日没まで、もう長くはない。


第九層より下は、崩落の直撃を受けた区画だ。


喉の奥が、もう乾いてざらついていた。


声は、とっくに掠れていて、自分でもどこまで届いているのか怪しかった。


それでも、口を止めるわけにはいかなかった。


俺は目を閉じた。


頭の中で、第九層の図面を広げる。


配管、隔壁、階段、風の通り道。


十年、毎日歩いた道筋を、逆から辿り直す。


崩れた方向を音から逆算して、埋まっていない空間を、一つずつ消していく。


消していくたびに、可能性がまた一つ、閉じていく音がした。


残る場所は。


「……一箇所だけ、あります」

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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