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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第4話 あと三日

閉場のゲートを出たところで、鶴見さんが待っていた。


制服の上にカーディガンを羽織って、駅とは反対のほうを向いて立っていた。


俺を待つ以外に、そこに立つ理由のない場所だった。


「灰田さん。今日、朝も夕方も来てましたよね」


「見てたんですか」


「受付ですから。入場者は全員見てます」


管理棟の受付は、両方のゲートに向いた窓際にある。


十年、あの窓の中から、出入りの全部が見えていたということだ。


彼女は、少しだけ声を落とした。


「二日で三回も八百円払う元職員って、受付的には要注意人物なんですよ。……普通なら」


「普通なら」


「灰田さんなので、違う理由だと思いました」


それで、と彼女は言った。


「柱、どうなんですか」


ごまかす言い方を、いくつか考えた。


天気の話に逃げる。


まだ分からない、と言う。


大丈夫です、と言う。


考えて、全部やめた。


この人は日誌に書いた時点で、もう半分こちら側にいる。


「進みが速すぎます。今の下がり方がこのまま続くとして、音程の低下から逆算すると——」


俺は指を三本、立てた。


「今日を入れて、三日。明後日の昼までに、支持部が保たなくなります」


鶴見さんは、三本の指をじっと見た。


駐輪場の照明の下で、指の影が三本、地面に伸びていた。


「……確実に、ですか」


「確実なことは何もないです。俺の耳の逆算です。ただ、十年でこの耳が外れたことは、一度もないです」


言ってから、自分の言葉に少し驚いた。


こんなに強く言うつもりはなかった。


十年、締切は全部、自分の中だけで切ってきた。


口に出して他人に渡した締切は、これが初めてだった。


「分かりました」


鶴見さんは頷いた。


「明日の朝、所長に直接言います。閉鎖の進言をします」


「待ってください。あなたの立場が」


「灰田さん」


彼女は初めて、少しだけ笑った。


「日誌に書いた日から、私はもう関係者なんです」



七日目の朝。


八百円。


券売機のボタンを押して、通路の奥へ。


唸りは、また低い。


もう、毎日聴いていない耳にも「何か変だ」と分かるところまで来ているはずだ。


ただし、比べる昨日を持っていれば、の話だが。


見学通路には今日も、比べる昨日を持たない人たちが歩いている。


看板の前で写真を撮る観光客。


社会科見学らしい、小学生の列。


背の順に並んで、前の子の帽子を見ながら歩いている。


先生が、結界柱は街を守る大事な設備です、と説明している。


そのとおりです、と心の中で頷いた。


守るためには、直す時間が要ります、とも。


子供たちは柱に手を振って、通り過ぎていった。


あの子たちの見学が今日で、良かったと思った。


それから、そう思った自分に、少し驚いた。


明後日、と言った日が、明日になっている。


数える単位が、もう日ではなく、半日になっていた。


昼のあいだ、俺は柵の前で、手帳の数列を睨んでいた。


朝の下がり幅は、昨日までの倍。


逆算の着地点は、動かない。


明日の昼。


ずれるとしても、前に、だ。


後ろには、ずれない。


祈るなら、この計算が外れる方向は、一つしかなかった。


引率の先生が、帰り際、俺の会釈に会釈を返してくれた。



夕方、閉場間際に、鶴見さんが見学通路まで来た。


顔を見て、結果は分かった。


「駄目でした」


彼女は、まっすぐそう言った。


「理由を、そのまま言いますね。——受付日誌の記載と退職者の証言では、閉鎖決裁の要件を満たさない。閉鎖には、計器の異常値、有資格技術者の所見、公社本部の承認の三つが要る。どれも、ない」


「……正しいですね」


「はい。悔しいですけど、手続きとしては全部正しいんです。所長も、困った顔をしてました。机の上で書類を三回並べ替えて、それでも判は押せないって。怒鳴られたわけでも、笑われたわけでもないです」


「最後に、灰田の言うことなら、って言いかけてました。言いかけて、やめてました」


仕組みの中の人の限界を、責める気にはなれなかった。


正しい。


主任も、所長も、規定も、全部正しい。


正しい仕組みの網の目より細かいところで、事態が進んでいる。


それだけのことだ。


「それで、あの」


鶴見さんは、少し早口になった。


「進言は文書で出したので、顛末書を書くことになりました。……臨時職員の契約更新、来月なんですけどね、私」


笑いながら言うことではないのに、彼女は笑って言った。


「やめてください、って顔をしないでください。私が勝手にやったんです」


「……なんで、そこまで」


「十年ぶんの記録の人が、指を三本立てたからです」


即答だった。


用意していた答えなのだと、分かった。


たぶん昨夜、彼女も彼女で、朝までかかって決めたのだ。


彼女は柵の向こうの柱を見た。


「それより灰田さん。明後日の昼まで、って言いましたよね。明日、どうするんですか」


「打てる手は、もう内側にはないです」


俺も、黒い柱を見た。


「だから明日は、外側で打ちます」


「外側……」


彼女は聞き返しかけて、やめた。


聞かないほうが、私は動きやすいので、という顔だった。


「準備があるので、今日は帰ります。鶴見さんも、早く帰ってください」


「私、明日も受付ですよ」


彼女は言った。


「何かあったら、受付が一番、放送設備に近いので」


この人は、もう全部分かった上で、座る場所を選んでいる。


俺は何も言えずに、ただ頷いた。



鶴見さんが受付に戻っていって、閉場までの数分、俺は柵の前に一人で残った。


最後にもう一度、耳を澄ました。


唸りが、低い。


それは、いい。


低くなるのは、六日間ずっと聴いてきた。


下がる速さも、手帳の数列の延長線の上にいる。


問題は、そこじゃなかった。


唸りの底に、揺れが混ざっていた。


ウウウウ、と一定だったはずの音が、ウワァン、ウワァン、と、うねっている。


音程の低下は、劣化だ。


うねりは、違う。


柱そのものの揺れと、痩せた支持部の揺れ。


二つの揺れの周期が近づくと、片方の揺れがもう片方を押し、押された揺れがまた押し返す。


揺れが、揺れを育て始める。


うねりは、その始まりの音だ。


共振、という。


ブランコと同じだ。


押す手が、揺れの戻りに合ってしまえば、あとは小さな力で、いくらでも大きくなる。


この柱を押す手は、柱自身の唸りだ。


外からは、誰にも止められない。


止める方法は、一つだけある。


中に入って、支持部を直接締め直すことだ。


資格も、許可も、道具も、今の俺には、何一つない。


ここから先は、坂道ではなく、崖になる。


十年間、一度も聴かずに済んだ音を、俺は柵の外から聴いている。


「……始まった」


明日の昼。


それを越えられる音では、もうなかった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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